HSPの子どものことを、
わざわざHSCと表記すると、
別の性質の名前に思えてしまうので、
書き方に戸惑っている、nishioです。
ごちゃごちゃ考えず
HSCって書けばいいんだけども。
それで、HSCといっても、何才までが子どもなんだ?と思うかもしれませんが、
私は一応、10才が一区切りかと思っています。
プラス15才までは、HSC対応の子育てが大事だと思っています。
なぜかと言うと、
人口の8割を占める多数派の非HSPの集団の中で、
非HSPのルールを受け入れ、
アップアップしながら
やっとこさ混じりながら幼少期を過ごすと、
自己肯定感がとっても下がるから。
そして、自己肯定感が低いと、
その後、
いろんなことがこじれる可能性が高い。
なので、どうしても10才までに
〝これだけは教えてあげたいスキル〟
というのがあります。
その中で、
私が、特に大事だと思うものは、
『イヤなことや苦手なことを、
言葉にして相手に伝える技術』
…私自身は子どもの頃、
これを知りませんでした。
「なんか違う…」
と、思いながらも、
みんなが望むように、みんながスムーズにいくように、いつでも、その場に最善な行動を選んでいただけだった。
私が当たり前と思っている道徳的行動は、
なんだかめっちゃ褒められ、
みんなの見本にさせられる。
こういう時、
普通の子は、嬉しいと思うのかな…
みんなの要望が手に取るようにわかる。
先生の要望まで。
めんどくさい…めんどくさすぎるよ。
ほっといてよ~
って思い。
自分の本当の思いは、恥ずべきもので、
質問すらしてはいけないと思い込んでいました。
存在ってなんなの?
宇宙ってなんなの?
とか、先生に言ったら絶対に困ると思ったし、
先生を困らせることもイヤだった。
叱られるのが怖かったし、いい子でいたかった。
でもね、
今になってよく考えると、
〝先生はその質問に答えてくれたかもしれない。〟
『どうせ分からないから困らせる』
そうやって、相手をみくびっていたのは自分の心だけだ。
試してもいないのに、どうせダメだと決めつけていたのは、
HSPの性質を他人(親)に認めてもらえず、
自己肯定感が低いために、
傷つくのを恐れて、自分を守るためにとった行動だったと、
今なら分かる!
たがら、子どもにはね、
多くの人とは違う感覚を持っているけど、
それは才能だということ。
あなたが、考えることは、
みんなが考えもしないことかもしれないから、
口に出して、相手に分かってもらわなくちゃいけないということ。
あなたは、相手の気持ちが聞かなくても分かるけど、相手は言葉に出さないと分からないということ。
イヤなことをどうしてもイヤだと主張すれば、
仲間が現れるということ。
非HSPは、何にも分かっていない人なんかじゃなく、
そんなことが「イヤ」という人がいるという事を、知らないだけだということ。
たから、
自分の心が「イヤだ」と感じるのなら、
それを言葉にして先生に伝え、
どうして欲しいのかも教えてあげること。
それを、当たり前にできるようになって欲しいと思っています。
好きなことだけやるのもいい。
同質の仲間とだけつるんでいるのも悪いことじゃない。
でもね、
自分の場所を広げるために
ミッションをクリアすることだって大事だと思う。
だって
その方が、かっこいいじゃん。
自分を信じること!
そして、経験すること!
今日は、
ドッジボールのボールを柔らかいボールに変えてもらうことと、
英語フルーツバスケットを、見学にさせてもらう事を、
先生に提案すると言っていました。
私が子どもの頃より、
だんぜんカッコいい。