表現者にとって何のために表現者になるのか。
何かを表現したいからだ。そして、表現したものやことが、自分にとって
人との共通の疑念を解決したり、
理念に対して共通のアクションが可能だったりするための
ヒントや仮設を包含したものが目的となる。
20世紀末、ミレニアムを目前にしたパリで、
「大都市軸」なる言葉が日本でも話題になった。
フランス、ミッテラン大統領の提唱した200年後に向けての
パリ大改造計画、グランプロジェクトである。
大都市軸はルーブル美術館から
シャンゼリゼ通り、ナポレオンの凱旋門
そして新しいパリの象徴となるラ・デファンスの新凱旋門を抜け
30km先の新都市セルジー・ポントワーズに至る。
ダニ・カラバンの表現にはドイツ、ケルン大聖堂裏の広場や
ニュルンベルグの州議会場前の広場にしろ、
人類が築き上げてきた哲学、思想を破壊したナチズムをテーマにして、
名声と評価を高めてきた。
そしてセルジー・ポントワーズでは、文化大国としてのフランスの根幹を象徴する表現だった。
世界中の誰もが、刷り込みによって忘れることのできない歴史と
いまだにナチの空気が漂っているのではないかと思ってしまう街並みを背景にして表現する。
もちろん、セルジー・ポントワーズの件も
ルーブル美術館という人類の輝ける創造の歴史をバックに表現する。
かつてマドリードのバラハス空港に隣接する
カルロス一世彫刻公園に行った時から疑問が起きた。
ダニ・カラバンがつくった水路に架かる橋を見た時だ。
ドイツその他で見たあの緊迫感はどこへ行ってしまったのか。
関連資料 ⓵日経アーキテクチュア 1994年1月17日号
海外ランドスーケープ●マドリード フォン・カルロス1世公園
/樋口正一郎/水路の残土でつくったピラミッド
/中央部に下を覗く穴があけられている橋(制作:ダニ・キャラハン)
それは刷り込みや状況がセットになっていなければ
作品だけでは存在が自立しないということが分かった。
表現とは、一体何なのだろう。
先週のアンゼルム・キーファーの作品もナチズムの行為がなければ、
それに刷り込みがなければ人の心にどんな風に映ったのだろうか。
どんな見え方をしたのだろうか。
作品とは表現しようとするテーマと彼らのように、
人類にとって、あれ以上のインパクトのあるテーマに、ある面では拘束され、
受け狙のい便乗ともとれる行為が、表現者としての自由は何かと考えてしまった。
②日経アーキテクチュア 1996年1月29日号
海外ランドスーケープ●スペイン・ポル・ト・ ボウ/パツサージュ(記憶の通路)
/樋口正一郎/海に向かって落ちる鉄の通路
樋口正一郎「ヨーロッパ50都市の環境彫刻」掲載:ダニ・カラバン
/Cergy-Pontoise(P44-45)、 Zurich(P73)、Nurnberg(P125 )
Koln (P128) Dusseldorf (P137) Madrid(189) Port Paw (P196)
