「大きな泉」 by アーマンド・バイランコート
20世紀は破壊の時代だった。2
度の世界大戦、600万人ものユダヤ人の殺戮、
そして2度の原爆投下など、都市というものを灰塵に帰し、
人間であっても種族が違えば、また思想が異なれば徹底的に根絶やしにする。
人間とはデーモンとの二重人格の種族であることが20世紀の大発見であった。
破壊を表現した作品をパブリックアートで探したが僅かであった。
作品はサンフランシスコのエンバーデロ広場にある
ダイナミックで混沌とした現代文明の瓦礫の山といった光景はまさにそれに相応しい。
プールの中に四角のコンクリートの不規則に折れ曲がったパイプから、
詰まったものを水で吐き出したい。
20世紀まで溜め込んだ人類の垢、欲望に塗(まみ)れ、
邪悪な妄想で爆発しそうな人間の姿を水を使って洗い流そうとする。
しかし、一見、ビルの残骸といった作品を
行政府は大きな費用を払って制作にこぎつけたのか。
市民は模型を見て、実際のスケールと費用対効果を読み取ることができたのか。
かわいらしく、美しい装飾過多のアクセサリーのようなオブジェしか
日本の都市では見られない。
日本ではどのように市民に説明できるのか。
市民に対峙するような、
装飾を剥ぎ取った生の表現に出合える国や都市は尊敬される対象になる、


