今回元気になれるということで、この講演会に行ってみる事にしたんです。

http://www.simpletask.co.jp/seminar/fight2011.html


最初の講演は、大嶋啓介さん。

居酒屋てっぺんの代表者であります。最近は居酒屋の経営よりも講演会の方が多くなっているんではないでしょうか?
彼は本気の朝礼で有名になり、毎年多くの方々がその朝礼を見にやってくるんだとか。
DVDも発売されているようなので、興味のある方はご参考に

http://teppen.info/


大嶋さんは、いつも夢を熱く語るタイプ。
いつも本気です。じゃんけんも本気。

冒頭に本気のじゃんけんを会場全員が体験することになりました。多分これで20分位は時間を使ったのではないでしょうか。


そして、ひと段落したあと、彼は近い将来やりたい夢を語って頂けました。
それは、学校に関わり、子供たちに笑顔と夢を語れる人になる教育をしたいのだそうです。
もし、それが実現したら、とても頼もしい子供たちが日本を背負ってもらえるような気がします。
心から応援したいですね。


で、大嶋さんがある逸話を紹介して頂きました。
それは、耳が聞こえなくなった子供とそのお父さんの話。


話をそのまま伝える事はできませんが、僕の儚い記憶をたどりダイジェストといっても長いので落ち着いて読んで下さい。


産まれたばかりの赤ん坊を抱えたお母さんとお父さんが道を歩いていた時の事。
居眠り運転の車が、その家族に突っ込み、お父さんは軽傷、お母さんは重傷を負い
結果、亡くなったそうです。
お母さんの最後の言葉は、自分の息子を幸せに育ててくれとのことでした。
その子供(当時は赤ちゃん)も奇跡的に助かったらしいのですが、耳が聞こえな
くなる致命傷をおってしまったんです。
主人公は当時赤ん坊だった、その彼です。


幼少期は耳が聞こえないということから、普通の学校には行けなかったそうです。
でも、耳が聞こえないということから、その学校でもかなりのいじめにもあったそうです。
その時彼がとった行動は、唯一の肉親であるお父さんに反発し、反抗し、憎み、親を殴ったんですが、お父さんはただただ「ごめんなぁ・・・」とつぶやくだけでした。


彼は耳が聞こえなくなってからも、主治医に定期的な診察を受けていました。

その先生は、お父さん以外の肉親的な相談相手ともいえる人だったそうです。


ある時、彼にとてもショッキングな出来事が起きたそうです。
耳が聞こえないので、先生との会話は手話を使っています。

そのショッキングな出来事を相談し、最後に「死にたい」と本意ではないと思いますが、

ついつい言ってしまったそうです。


その瞬間、先生は彼を殴り、その目からは涙が溢れていたそうです。
その場で、彼に耳が聞こえなくなってからのお父さんの取った行動について話をしたそうです。


耳が聞こえなくなった息子にしてあげられることはなんだろうか。
先生に何とかしてくれと言っても、どうにもなりません。
息子にしてあげられることは、手話を教える事。
物心ついた時から何となくできるようになっていた彼はそのことに気づきませんでした。


手話って健常者がちょっとやそっとではすぐに覚えられないそうです。
一般的には数年程度かかると言ってもおかしくない位の時間を要するとのこと。


お父さんは息子のために仕事を投げ出し、手話を覚え自然と話せるように教えていったんです。

その苦労は半端な決意ではできなかったと思います。


涙ながらにそのお父さんの苦労を語った主治医から、その事実を聞いた彼。

そんな事とはつゆ知らず、今までお父さんに反発、反抗ばかりしてきたことを後悔しました。


時間は経過し、そんな彼も自分をそのまま受け入れてくれる人と出会い、結婚することになり
お父さんに報告をしたそうでう。


その時、お父さんは今は亡きお母さんに手を合わせ、語りかけたそうです。

その言葉は、手話ではなかったそうですが、彼にはそれが何を言っているのかわかったんです。


「お母さん、俺は息子を幸せに育てられたんだろうか。これでよかったのかなぁ」


その語りかけるお父さんの方は震えていたそうです。


親の愛ってとても深いなぁと涙が止まりませんでした。


紹介して頂いた話は、ざっくりとこんな感じです。

多少の記憶違いはあるかもしれませんがそこはご容赦くださいビックリマーク