8月27日 午前中から塾に来ていた。Ⅱ期の授業の最後に受けた「まとめテスト」の答案が返却された。51点と悪かった。秋月先生ではなく、K先生のハンコが押してあった。私はK先生に「まとめテストの復習授業はないんですか?」と聞くと、しばらくして「夕方からやるよ」と言われた。夕方、1番教室に呼ばれたが、私以外誰もいなかった。「私一人だけですか?」「S高の子たち今、修学旅行だから」と授業が始まった。「じゃあ、ここやってみて」と言われてK先生はしばらく席を立った。解き方は全然分からなかった。先生が戻ってきたので「先生、やり方分かりません」と言うとホワイトボードで丁寧に教えてくれた。先生からすればこんな簡単な問題を質問したりして怒っているのかなと思ったが、授業の途中で突然K先生が「timeさんはJAVAとかプログラミングはやってるの?」と尋ねた。「いえ、私はプログラミングは全くのド素人で…先生はMacはどんなソフト使ってるんですか?」「ブラウザーはネットスケープ使ってるよ。あとはアドビのイラストレーターとか…」「何か先生のおすすめのソフトありますか?」「Mっていう数学のソフト知ってる?」「いえ、でも探せばあると思います」「高価なソフトだからまだマニュアルしか買ってないんだけど、すごくいいソフトだからいつか買おうと思ってるよ」「じゃあ探してきますよ。あったら借りてきますから」「そんなことしなくていいいよ。高いんだから」
帰宅して父に尋ねたがこのソフトは知らなかった。

8月28日 言研を探したら、Mは気むずかしい物理の先生が借りているので当分借りられそうにない、とのことだった。
夜中、妹と一緒にマドレーヌを焼いた。母にめちゃくちゃ叱られた。

8月29日 マドレーヌを紙袋に入れお礼状を添えて、早朝塾へ行った。K先生に会った。「先生、Mは他の人に借りられていたのでしばらく待ってください」「いや、いいよ」「それと、この夏いろいろありがとうございました」とマドレーヌの袋をカウンターに置いてすぐに立ち去った。そのあと図書館に行って20分くらい新聞を読んでいる間に自転車を盗まれてしまった。仕方なく、高校の前まで歩いてバス停で座ってバスを待っていると、目の前の塾のビルからK先生らしい人が印刷物を抱えて中等部のほうに歩いて行くのが見えた。夏期講習はもうこれで最後なんだなぁと思った。

8月30~31日 私は塾のお陰でめずらしく自分の宿題が片づいていたので、妹の宿題を手伝ったりしていた。
8月23日 午前中、塾で勉強していたが、午後から運動会のダンス練習で学校に行かなければならなかった。事務のAさんに「今からちょっと外出してきます。ダンス練習なんですけど、いじめっこが大幹やってるから本当はあんまり行きたくないんですよ」と言った。「何ブロックなの?」「赤です」「私の頃から『レッド・レッド』はじまったのよ」Aさんも同じ高校の出身だった。
すぐ近くにK先生の姿もあった。私はK先生に某工大の編入試験の問題を解いてもらった(先生が高専卒だと聞いていたので)。その問題は高専卒対象の編入試験問題で、父が難易度をみるために昨晩私に解かせたものだった。先生は「編入試験じゃない。コンピューターサイエンス学んでないと出来ないよ」と言いつつも、穴埋め問題はほとんど正解だった。
そのあと学校に行ったが、ダンス練習はもう始まっており、途中から入るのもなんだったので、また塾に戻った。
8月18日、昼塾に行くと秋月先生は居なかった。K先生に数学の宿題の質問に行くと、自習室に来られたので、いつもK先生がやるように、自習机の仕切りを外すと、先生は「慣れてしまった」と言った。慣れちゃいけなかったのかな?その後、事務のAさんが何度かMacの使い方を聞きに来られ、先生は遅くまで授業で戻らなかった。

8月20日、塾の中等部の校舎に「合格はちまき」を買いに行った。ひょうきんな社会科のI先生にサインしてもらった。「サルでも合格!!」と書かれていた。秋月先生や国語のG先生は、2時から中3の授業が入っているらしい。高等部の校舎に行くと秋月先生だけがいたので「はちまき書いてください」と言ってはちまきとマッキーを鞄から取り出して渡した。「何か冷たい物入れてた?」「ええ、麦茶が入ってます」「濡れとったよ」と秋月先生はティッシュでマッキーを拭いてはちまきを書いてくれた。秋月先生は中等部の授業はサボることにしたようだ。夕方頃、国語のG先生が来たので「先生もはちまき書いてください」と言うと、G先生はすごくためらっていたが、秋月先生が「いいじゃないか。すごい漢文書けるんやから、ねぇ」と言った。そばにK先生もいたが、K先生は授業に行って10時過ぎまで戻ってこなかった。授業から戻ってきたK先生は忙しそうだったが「先生もはちまき書いてください」と言うと「え?」そんなの書いたことない、といった感じだった。「他の人はどんなふうに書いてるの?」「えっと、『サルでも合格』とか…」と言うと、「何言ってるの、あなた…」と呆れたように言われた。K先生にはちまきを見せた。他の人が書いたのをいろいろ見ながら「うまく書いてあるね」と言った。K先生もペンを取って「このうえな集中力でがんばろう」と書いた。とても力の抜けた字だった。「このうえない」ではなく「このうえな」とはどういう意味なのだろう、と思った。
8月17日、この日は先月収録したラジオの放送があり、同時に地元の県代表の高校が甲子園で負けた日でもあった。お盆休みが明けて、塾へ行った。秋月先生に渡そうと、家にあった「宇宙へのフロンティア」のCD-ROMを持って行ったが、秋月先生はおらず、K先生に塾のPCに入れてもらった。ちゃんとMPEGなしでも見えた。秋月先生は居なかったので、月の便せんに手紙を書いて帰り際にカウンターで事務の人に渡した。その時、K先生が見ていて、なぜか胸がズキっと痛かった。
8月9日、朝から自習室に行くと、夏期講習で仲良くなったCO高校2年のC子さんに会った。雨が降っていたので、傘を貸してC子さんは本を買いに行った。『24人のビリー・ミリガン』という本を買ってきた。彼女は読書家で、医学部を目指していた。数学のO先生が自習室に入ってきたので「高校時代の秋月先生ってどんな人でしたか?」と尋ねた。「わりと明るくてひょうきんだったよ。先輩として全然怖くなかったし。合宿の写真とかもあるけど、見せるなって言われてるよ」あれ?秋月先生の話ではO先生のほうが二つ年上って聞いたけど、O先生の話では秋月先生の方が先輩だということだった。どちらが本当なのか分からなかった。

8月10日、K先生の授業アンケートに「解法があまりにも型破りの発想なので、ついていくのが大変です。今日の複素数のところ中途半端なところで終わらないでくださいよ。少しくらい時間オーバーしてもかまいませんから、明日になったら自分の脳みそを立ち上げるのに時間がかかってしまいます」と書いたので、放課後いろいろ教えてくれた。

8月11日、夏期講習Ⅱ期授業最終日。この日は学館でマーク模試が終わった後、塾の自習室に行った。今日はK先生が夕方までいなくて秋月先生だけだったので、昨日K先生が出した因数定理ところを秋月先生に聞いた。そのついでに「大数クラブ」(大学への数学)のことを聞いたが、まだ一人も会員はいないらしい。先生はG大学の問題を解きながら「標準偏差とかもう忘れたばい」と言っていた。
今日のメインの授業は1時間だけ。秋月先生だった。1年の授業があったので、けっこう急いでいたみたい。そのあとはまとめのテストとベクトルの補習だった。この補習のあと、しばらくトイレに行ったり教室に残ったりして帰る時に、教室のドアのところでちょうど秋月先生に会った。
「先生、できればⅢ期の授業も受けさせてもらえませんか?」「何の?」「先生の…」「私はⅢ期は別の仕事が入っているので授業はありません。それより君はもう大学の入試問題とかやっていったほうがいいよ。いろいろK先生からも聞いたんやけれど、まだ浪人なんて考えない方がいいよ。そうでないと、現役の時にがんばれないから。たとえ目標が遠くても現役で行くつもりでがんばったら、それだけ目標が近くなるやろ。だからまず目標を持って早く進路を決めなさい。君もこれから現役で行くつもりでがんばったら、こういうふうに成績が伸びてくるよ」と、ロビーにある観葉植物のUの字に曲がった枝をなぞりながら言った。「それにしても面白い形の木やねぇ」「ところで先生、ひとつ聞いておきたかったんですけど、この前おっしゃっていた先生の「高校の頃の夢」って何だったんですか?」「ああ、私の名前に「月」が付くやろ?」と掌に「月」の字を書きながら言った。「私が高2の時に人類が初めて月面着陸をしたんよ。それを見て、自分が作ったロケットで、月まで行ってみたかったんです。その時、進路について親と意見が合わなくて、けんかしたんやけれど、一応機械学科に行きました。大学院に行くとき、私が希望した研究室は希望者が多くて、アイウエオ順で学生をとったんです。別に他の研究室に残っても面倒見てやるとは言われたんやけれど、そこまでするのが嫌だったから、それ以上学問を追究する気がなくなったんです」「でも大学院から別の大学に行くことってできますよね。G大も大学院は定員割れしてるみたいで、推薦状だけで行けるみたいですよ」「確かK先生が大学院から別の大学に行ったんよ。あと、君も習ったことのある国語のG先生も確かN大の大学院出てるんよ」「先生は東京にいた頃は何をされていたのですか?」「普通の会社で仕事してました」

それにしても秋月先生の子どもの頃の夢ってすごくスケールの大きい夢だったんだなぁ…まさか先生自身も「月」の名前にこだわっているとは思わなかった。せっかくの志も半ばで夢破れてしまったなんて…。月まで飛ばしてあげたい。
夏期講習は間に一日休みを置いて、8月7日から後半の授業が始まった。今日から授業は新任のK先生になった。秋月先生は隣の教室で高1の授業をしていた。楽しそうだった。
K先生はとても親切で「何でも質問していいよ」と言ってくれたので、「ⅢCもですか?」と尋ねると「もちろん」とのことだった。

翌日8月8日、朝から自習室に行くと秋月先生が来られた。
「先生、もう授業には来られないんですか?先生の授業を受けたくて、学校の補習とってないんです」「補習とってないなら、こちらでフォローします。課題とかたくさん出てるんやろ?そういうのの分からないところは、どんどん私やK先生に聞きなさい」「授業終わっても夏休みいっぱい、来てもいいんですか?」「自習室空いてるからどんどん使いなさい」

それからしばらくしてG大学の二次試験のことを聞きに行った。
「新聞に載ってたんですけど、理科は廃止なんですか?」
今度はK先生がとりあってくれて、G大学に連絡してくれた。そして数学の問題をコピーさせてもらった。

夕方4時に、高校の三者面談を受けて、また塾に戻った。

今日の授業でK先生から「補習とってないなら、課題とかどんどん持ってきなさい」と言われ、K先生がこんなに親切なのは秋月先生に私の面倒を見るように言われたのではないかと思い、「もしかして私の宿題手伝うように頼まれたんじゃ…」と尋ねると「いや、補習をとってないって聞いたから、たぶん課題がたくさん出てるだろうと思って…」と答えた。

授業が終わった後も自習室で勉強していると秋月先生が入ってきた。「今日は台風が近づいているからもう帰りなさい。君の場合はもう時間がないから入試問題とかどんどん持ってきて私やK先生に聞きなさい。私はもう何十年も前のことだからかなり忘れているけれど、K先生は大学院まで出てるから受験の数学に詳しいから」「でも私、文転するかもしれないので、ⅢCいらなくなるかもしれません」「君には得意分野があるんだから、まだあきらめたらいかんよ」「実は今日、三者面談があったんですが、まだ進路がはっきり決まってないんです。先生はどうやって決めたんですか?」「私には夢があったんで、理系に進みました。浪人して遊んで、滑り止めに行ったんです」「でもW大ですよね?」「W大と言っても、ピンからキリまであるからねぇ。本学のほうは楽しいかもしれないけれど、理工学部は作業服着て男ばっかりで汗まみれで…一人だけ女子がいて、一番頭が良くてアメリカに留学しましたけど…」「何学科だったんですか?」「機械学科です」
先生の「高校時代の夢」とは何だったのか具体的に聞きたかったが、秋月先生は自習室に入ってきた別の男子のところに行って「山田、ここで会ったが百年目」と言って、部活の話をはじめた。バスケやバレーや陸上なんかの話だった。
私は「先生は高校の時、何部だったんですか?」と尋ねた。「あんまり言いたくないんやけど、卓球です。ほとんど毎日走らされたり、ウサギ跳びで階段を上がったりして陸上部よりも足が速かったんよ。実は数学のO先生も、同じ高校の卓球部で私より二つ上なんだけどね」秋月先生は職員室に戻って「今日は台風が来とるから、我々も早く帰るぜよー。帰れんくなったら困るやろう」と他の先生方にも呼びかけていた。
本当に体育会系の部活の先輩のような雰囲気だった。
8月2日からついに悲願の塾の夏期講座がはじまった。昔なじみの秋月先生の高2数学(アドバンス)の授業だった。初日に塾のグッズの消しゴムをもらった。8月4日、授業で秋月先生に当てられたが、予習をしていたのでなんとか答えられた。帰りにチェックテストを出す際に、秋月先生に三角関数の50頁の問10と11を質問したが、問11の方で秋月先生はかなり悩まれて、代わりにK先生という新任の先生がその問題を解いた。

私は秋月先生に「先生もどこか塾とか予備校とか通っていたのですか?」と尋ねた。
「私は浪人したからK学館にいたんだけれども、あまり行かずに家で勉強しよったから、もう来なくていいと言われて「退学」という不名誉になってしまって、こっちに叔父がいたから途中からS学館に通うことにしたんです」「でもあそこつぶれましたよ。クーラーが効くから補習の部屋とかにも使ってますけど」「学校の建て替えの時に教室として使うんじゃない?新しい校舎には冷房付くんやない?」「さあ、公立だからどうなるか…でも寂しい気もしますね」「そりゃいろいろ思い出もあるからねぇ」

私は帰りがけに自分が家で使っていた月齢の卓上カレンダーを塾のカウンターに置いていくことにした。事務の女性が「何それ?月齢カレンダー?」ときいた。もう一人の数学のO先生が「大潮はいつかな?この魚のマークは大潮で魚がたくさんとれるのかな?」とたずねた。私はラジオの放送日に魚のシールを貼っていたが、ラジオのことは誰にも言わなかった。

8月5日、秋月先生の話では『解法のテクニック』は、昔は矢野健太郎さんが書いていたらしい。私は中学の頃は「タイム・マシン」を作るのが夢で、矢野健太郎さんの『アインシュタイン伝』を読んで、アインシュタインの来校記念碑のある高校を受験したが、その後「タイム・マシン」という無謀すぎる夢は破れていくのであった。


※しかし今思えば、この頃書いていた「日記」はある種の「タイム・マシン」である。

7月に入って地元のAMラジオ局のスタッフから6月の文化祭での発表内容について話してほしいと、ラジオの出演依頼があった。伯母がMCをつとめている対談番組だった。私は自分の声が嫌いなので、自分の声が公共の電波に乗るなんて冗談じゃないと思い、速攻断った。しかし、一週間後に再び同じスタッフから再度電話があり、しぶしぶ出ることになった。どうせ知り合いにラジオを聴いている人なんていないだろうと思った。

夏休みに入り、7月29日の午後3時40分に某テレビ局の中にあるラジオ局のスタジオを一人で訪ねた。局の中は複雑怪奇で、案内されながらいくつもの扉をくぐり抜け、スタジオにたどり着くまでに時間がかかった。話し相手はよく知っている伯母とはいえ、うまく話せるか不安だった。対談では赤の他人同士ということで、他人行儀な会話のやりとりだった。文化祭での発表内容についておおかた話し終わった後、伯母から「将来の夢はなんですか?」と尋ねられた。

将来の夢…と言われても、まだ漠然としていた。下手くそだけれども、子どもの頃から絵を描くのが好きだったので、志望校はデザイン系の学科のある地元の「G大学」を考えていた。

「できればグラフィックデザイナーになりたいです」
と、対談ではその場しのぎの回答をした。
それが本当に自分のやりたいことなのか、よく分からなかった。

番組の最後に、事前にリクエストしていた曲が流されることになっていた。
私は小6の頃レンタルCD「昭和24年~いつか見た青い空」で聴いたことのある武田鉄矢の「風景詩」をリクエストしていた。廃盤になっていて手に入らなかったCDだったからだ。しかし、私が希望していたCDは見つからなかったようで、海援隊の別のメンバーが歌っているバージョンの「風景詩」が流れた。(歌詞は同じ)

「舞い上がる鳥たちは 影を残して まっすぐ空へと 駆けてゆく…」
高3になって、私は新しいクラスにはなじめず、6月の文化祭で部活の研究発表が終わったら、もう学校は辞めたいと思っていた。意地悪なクラス委員長が、秋の運動会の大幹をやっていたので、夏休みの運動会の練習にも出たくなかったのだ。でも辞めたあと何をすればいいのかもわからなかった。将来の目標というものが漠然としていた。無事に文化祭の研究発表を終えた数日後、学校の東門のところで、新規開校予定の塾のチラシが配られていた。私が小中時代に楽しく通っていた塾が、7月から高等部を開校するというチラシだった。それも私の通っている高校の目の前に。私は懐かしさのあまり、昔通っていた塾の中等部の校舎へ向かった。塾に着くと入り口の近くに、文化祭の取材を受けた私の新聞記事が貼られていた。卒業生の私のことをまだ覚えていてくれる先生がいるのだなぁと思った。小学生の頃からお世話になっていたひょうきんな社会科のI先生が出てきた。私はI先生に高等部のことをたずねた。すると小中時代にお世話になった数学の秋月先生が高等本部長になって、7月から高等部を開校するのだという。その夜、秋月先生からも電話があり、「まだ高3の受け入れは考えていないのだけれど」ということだったが、私はぜひ入塾させてほしい、と無理に頼んだ。学校に居場所がない私にとってはもう塾しかないと思ったからだ。それに高校数学は苦手で、高1、高2の授業からでも受けたいと思った。
7月1日、期末テストで学校は2限で終わり、放課後、開校前の高等部の教室にヤクルトの差し入れに行った。秋月先生が出てきた。「先生、ヤクルト好きだって聞いたから。Y君に」「いや、本校にヤクルトの自販機があって、飲みよったらYが来てからさぁ…いろいろ言ってきたんよ。家近くなの?」「妹が中学の同級生で、学校でもよく秋月先生のこと話してたみたいですよ」「卒業したYから手紙もらったよ。部活や勉強がんばってるって」「ところで先生のお嬢さんF高に行かれたんでしょう」「なんで知ってるの?」「以前、成績優秀者に名前が載っていましたよ」「そんなはずはないんやけど。私がいるから恥ずかしいんで女房の名前使ってたはずなんやけど」「え?じゃあ秋月Y子さんじゃないんですか?」「そうやけど」「お嬢さんは高等部には来られないんですか?」「いや、家が遠いからねぇ。私が通うのだって大変なんだから」そんなたわいもない雑談をした。7月5日夕方に入塾説明会があり、私は8月2日からの高2の数学の授業を申し込んだ。学校には行きたくなかったので夏休みの学校の補講は申し込まなかった。
『夏の庭』(初版1991年)の著者である第一の哲学者と出会って、今年の夏でちょうど20年になる。
わたしは今年でようやく、第一の哲学者が『夏の庭』を上梓した年齢に追いついた。
第一の哲学者ほどの文才にはとうてい及ばないが、わたしも同じ場所で
20世紀の〝夏の庭〟と21世紀の〝夏の庭〟を、
バブル期の人々の姿と、バブル崩壊後の〝失われた20年〟の人々の姿を
比較して書いてみたいと思った。
『夏の庭』2012では、未来への不安や希望が若者によって語られる。
21世紀は20世紀に比べて幸せな未来だろうか。
通信機器の発達など、物質的には便利な世の中にはなったかもしれないが、
精神的にはどの時代の人々も、それぞれに生きづらさを抱えているのかもしれない。
さらに20年後の〝夏の庭〟はどんな世界になっているだろう。