~前回までのあらすじ~
日本全国に点在する国宝をすべて目にする。
ただ、それだけの企画として2011年にスタートした“国宝ハンター”。
前回の記事で、ついに200回を迎えました!
わたしが思うに、これまで200回まで続いた国宝ハンターがいないのは、
ほとんどの国宝ハンターが200回まで続けようと思ってないからだと思うんだ。
200回まで続けようと思う国宝ハンターが増えれば、
そのうち一人ぐらいは200回まで続くかもしれない。
とに~は天下を取りにいく。
5月某日。
京都の泉屋博古館を訪れた際、
ついでに近くの南禅寺水路閣を観てきました。
その数日後、驚きのニュースが飛び込んできました!
この南禅寺水路閣を含む、
琵琶湖疏水の諸施設が国宝に指定されるそうです。
国宝ハンターのルールとしては、指定後に観ないとノーカウント。
リアルに「それ、早く言ってよ~」が口をついて出ました。
というわけで、《琵琶湖疎水施設》(ジャンル:建造物)を改めて、ハンティングすべく。
6月某日、琵琶湖へとやってきました。
『成瀬は天下を取りに行く』を読んでいたので、
クルーズ船ミシガンの姿に思わずテンションも上がります。
琵琶湖をクルーズしたい気持ちをグッと堪え、
ここから歩いて10数分ほどの場所へ向かいました。
こちらが、琵琶湖疏水の入り口です。
琵琶湖疏水とは、琵琶湖の湖水を京都へ流す水路のこと。
滋賀県民が言う「琵琶湖の水止めたろか!」は、
この琵琶湖疎水の流れを止めることに他なりません。
延べ作業員数は400万人。
お雇い外国人無しで、設計から施工まですべて、
日本人の手によって行われた日本初の近代的大土木工事で、
約5年に及ぶ難工事の末、明治23年に第1疏水が完成しました。
そんな琵琶湖疎水を構成する施設の中のうち、
5か所が今年国宝に指定されることとなったのです。
その1つが、水路の先に見える・・・・・
第一隧道です。
日本で初めて竪坑方式で造られたトンネルで、全長は2436m。
明治23年完成当時は、日本最長のトンネルでした。
なお、トンネルには近づけないので、
よく見えなかったのですが、扁額には、
『気象萬千』という4字が書かれているそう。
揮毫したのは、あの伊藤博文です。
ちなみに、反対側の入り口には、
山県有朋が揮毫した『廓其有容』があるとか。
さてさて、さすがに水路は通れないので、
お次は京阪電車と京都市営を乗り継いで、蹴上駅へ。
4つ目の国宝施設である蹴上インクラインへとやってきました。
(第二隧道、第三隧道は飛ばしました)
インクラインとは傾斜鉄道のこと。
疏水上流の船溜と下流の船溜、
その36mある水路の落差を結ぶために、
明治22年に蹴上インクラインは建設されました。
全長約582mのインクラインは、建設当時世界最長だったとか。
舟運の衰退とともに、昭和23年に廃線となったようです。
そんな蹴上インクライン内は現在、自由に歩くことができます。
なので、線路内の写真がブログで公開されていても、何ら問題はないのです。
線路の上を歩くなんて、なかなかできない体験ということもあり、
『スタンド・バイ・ミー』を鼻歌で歌いながら、歩き始めたのですが・・・・・。
ただでさえ、砂利道で歩きづらい上に、
インクラインゆえ、傾斜がゆるやかに続くわけで。
約582m分歩ききった時は、足がガクガク震えていました。
当たり前といえば当たり前ですが、線路は歩くものではないですね。
さぁ、琵琶湖疎水を巡る旅もいよいよフィナーレ。
南禅寺境内を横切る水路閣にやってきました。
煉瓦造による14連のアーチからなる水路橋は、
当時世界最長で、世界的にも高い評価を得たそうです。
その風格は、まるで古代ローマの遺跡のよう。
現時点では、京都では最も新しい国宝なのですが、
京都にあるどの国宝よりも、昔からここに建っていたような印象がありました。
これまで数多くの国宝を巡ってきましたが、
2つの都道府県をまたいだ国宝は、今回が初めて。
文化庁の皆さま、国宝を増やすなとはもう言いませんが、
せめて、国宝はコンパクトに巡れるものでお願いいたします。
今現在の国宝ハンティング数 1075/1149(1148改め)