春陽会誕生100年 それぞれの闘い | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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今年2023年は、春陽会が誕生してちょうど100年目の節目の年。

それを記念して、東京ステーションギャラリーでは、

この秋、“春陽会誕生100年 それぞれの闘い”が開催されています。

 

(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)

 

 

・・・・・と、いきなり言われたところで。

“春陽会って何?”と思われた方もいらっしゃることでしょう。
春陽会は、1923年に発足した美術団体です。

立ち上げたのは、民間最大の美術団体であった、

日本美術院の洋画部を脱退した梅原龍三郎や小杉未醒(放菴)ら。

そこに、岸田劉生や木村荘八といった当時新進気鋭の画家たちが加入。

その発足当時は、帝国美術院や二科会に拮抗する第三の洋画団体と目されていました。

今でいうところの、TOBE(トゥービー)みたいな感じでしょうか(←たぶん違います)

 

何より特徴的なのは、「各人主義」を唱えたこと。

メンバーそれぞれの個性を尊重したのです。

それゆえ、良くも悪くも、メンバーたちの作風にどこか通ずるものはなく。

 

岸田劉生《麗子弾絃図》 1923年 京都国立近代美術館

 

中川一政《女優像》 1941年 真鶴町立中川一政美術館

 

岡鹿之助《山麓》 1957年 京都国立近代美術館

 

 

正直なところ、自分もこの展覧会を通じて初めて、

岸田劉生や中川一政、岡鹿之助といった洋画家たちが、

時期は違えど、かつて同じ美術団体に属していたことを知りました。

 

さてさて、今回の展覧会の開催のために、

そんな春陽会に属した約50名の作家の作品が、

日本全国約50か所の所蔵先から100点以上集結しています。

 

 

 

そのラインナップは、まさにベスト・オブ・春陽会。

誤解を恐れずにいえば、ベスト・オブ・近代洋画です。

 

なお、各人主義を貫いた春陽会は、

洋画に限らず、他のジャンルの出品も広く認めていました。

それゆえ、展覧会では、長谷川潔による銅版画や、

中川一政による新聞挿絵の原画なども紹介されています。

 

長谷川潔《アレキサンドル三世橋とフランス飛行船》 1930年 碧南市藤井達吉現代美術館

 

中川一政《尾﨑士郎著『人生劇場』20 原画》 1939年、真鶴町立中川一政美術館

 

 

これまでスポットが当てられることはほとんど無かった春陽会。

しかし、この展覧会を観てしまうと、

“何でスポットが当てられなかったのだろう?”と、

むしろ疑問に思うくらいに個性的で魅力的な美術団体でした。

星星

 

 

さて、ここからは、出展されていた作品の中で、

特に印象に残ったものをいくつかご紹介いたしましょう。

まずは、木村荘八の《私のラバさん》から。

 

木村荘八《私のラバさん》 1934年 愛知県美術館

 

 

「ラバさん」とは「Loverさん」、つまり、恋人のこと。

昭和初期に流行った歌の歌詞に登場し、浸透した言葉なのだそう。

今でいうところの「すきぴ」みたいなことでしょうか。

と、それはともかく。

女性5人に対して、男性は1人。

おそらくこの5人の女性は、

理想の独身男性のラバさんをめぐって、

婚活サバイバルを行っているのかもしれません。

 

続いて印象的だったのが、椿貞雄の《朝子像》

 

椿貞雄《朝子像》 1927年 平塚市美術館

 

 

3歳となる長女を描いた作品だそうです。

目がパッチリしていて、

たいへん可愛らしいのですが、

それよりも、首が無いのが気になります。

あと、腕がパンパンなのも。

7,8枚くらい重ね着してるのかも。

 

 

 

さて、他にも印象的な作品はありましたが、

なんだかんだで、一番印象に残っているのは、

第10回の春陽会のポスターでしょうか。

 

 

 

顔は魚で、右足は大根、

左足がギリシャ風の柱で、身体はマッチョ。

左手にパレットを持っているので、

かろうじて、美術っぽさはあるものの、

正直なところ、まったく意味が解りません(笑)。

ちなみに、このポスターをデザインしたのは、岡本一平とのこと。

そう、岡本太郎の父です。

さすがベラボーを生んだだけはあります。

 

 

 

 

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