・七つ道具は、幟りにチラシ・・・(笑) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 80年以上前・・・、こんな歌が意気揚々と歌われたことを憶えておいでの方も、まだ少しは居らっしゃるのでは・・・?

 

 

 アメリカ海軍を相手に闘った『太平洋戦争』の中で、我がNippon 海軍が、

『海軍航空隊・・・』

のパイロット促成の為に創設した、所謂

『海軍予科練習生制度(=通称、予科練)・・・』

は、当時、Nippon全国の国防少年たちの憧れの存在で、このジジイの、大正15年生まれのオヤジも、これに入隊したくて両親に懇願したらしいが、我が肚を痛めて生んだ業尽く祖母が、

『せっかく授かった独り息子を、死なせる訳にゃいかん・・・!』

と頑として聴かず、結果、オヤジはショボクレて、同じ海軍でも、空とは縁の無い『佐世保海軍工廠』に入り、終戦前には、南洋のレイテ島海戦で、同じ『大和級戦艦・武蔵』が、敢闘虚しく撃沈されるところを、旗艦『大和』は、傷つきながらも何とか母港の『呉港』まで辿り着き、オヤジは、その修理に佐世保から趣き、戦争最末期に、その『大和』が修理を終え、沖縄へ向けての特攻出撃(=「海上特攻隊」と云われる)で、関門海峡を抜けて佐世保で最終補給を終えて出撃する時の

『補給要因80余名・・・』

の中に名が載って居たそうだが、既に関門海峡を米軍に機雷封鎖されて居た為、『大和』は佐世保には回航出来ず、豊予海峡から日向灘を南下して、大隅半島から薩摩半島南端へと西航して坊ノ津沖から南下するところを、1945[昭和20]年4月7日、待ち構えて居た米軍の航空母艦艦載の機動爆撃部隊の一斉攻撃の前に、敢え無く撃沈されて、今も

『坊ノ津沖の海底に眠る・・・』

と云う最期を迎える顛末を辿るのだが、ジジイの父は、その報を佐世保で二日ほど後に聴かされ、何せ『名誉の乗艦』だと心待ちにして居たジジイのオヤジは、

『とても複雑な心境で聴いた・・・!』

と、ジジイが物心着いてから『大和』を語る時、いつもその複雑さ漂わせながら語って居たが、独り息子を死なせずに済んだ『業尽く祖母さん』は、世間に隠れて仏壇のご先祖に掌を併せて感謝の念仏を唱えて居たらしいから、当時で云えば、

『非国民の最たる不心得者・・・』

だったのかも識れぬな・・・(笑)

 

 尤も、受験資格が、当時の高等小学校卒業者で、『満14歳以上20歳未満』は満たして居たとは云え、全国からの志願者が多い時は6,000名近い中から、100名にも満たない合格者しか出なかったという狭き門を、このジジイのオヤジが潜れたかどうか自体が、甚だ怪しいのだが・・・(笑)

 

 そんな訳で・・・、この『荒鷲の歌』は、戦後もオヤジの愛唱歌のトップで、何か有ると、酒も呑めないオヤジが、右腕で調子を執りながらこの歌を歌って気勢を上げて居たので、ジジイの耳にも今でもこびり付いて居り、中学生の頃、校舎の廊下をこれを放歌して歩いて居て、

『ガチガチ日教組の反戦教師・・・』

に頭をドヤされたことも一度や二度では無かったが、まあ、今では、こんな歌を歌って居ても、先生たち自体が、その意味も背景も識らないだろうしな・・・(笑)

 

 オッと・・・、いかん・・・!

 

 話のトバ口で、大きく脱線してしまったが、けふ(今日)のジジイのネタは、オヤジが憧れた『七つボタン』では無く、

『七つ道具・・・』

の方だった訳で、先に創った政治団体の

『本気で日本をよくする会・・・』

の活動を始めるに当たって準備して居たチラシや名刺、或いは印章に加えて、けふ、遂に、こんな代物が届き・・・!

 

 

 ムフッ・・・(汗&!)

 

 これ・・・、観た人は、

『一体・・・、何ごと・・・?!』

と驚くだろうなあ・・・(笑)

 

 そして、近くで、徐(おもむ)ろ、こんなチラシを渡された日ににゃ・・・・、想わず後退りしそうな・・・(笑)

 

 

 これに・・・、こんな小道具まで拵えて、いよいよ準備完了・・・!

 

 

 

 法律(=政治資金規正法)に基づく『政治団体届』はもう2週間も前に届け出て有るから、何処からも文句を云われる筋合いは、無し・・・!

 

 

 さあて・・・、初陣は、どこで飾ろうか・・・?!

 

 って・・・、コッチは準備万端なのだから、その前に、この長雨を、早くどうにかして欲しいわなあ・・・!

 

『七つ道具・・・』

と宣ったが、これでは、まだ五つで、二つ足りないが、その一つは

『街頭拡声器・・・』

なのだが、これは、只今、資金不足につき、歩きながらの『カンパお強請(ねだ)り』ででも調達するしか無さそうな・・・(汗)

 

 メルカリに、そこそこ遣えそうなヤツが出て居たが、3万円近くしたから、ジジイの痩せ財布では、チョッと手が出なかった・・・(汗)

 

 最後の一つ道具は、ジジイの連れ合いBikeに、この幟を建てるパイプステー(=受け)を2本取り付ける段取りだが、これは、DIYのイメージ(=設計図)がしっかり出来て居るから、

『予算3,000円以内・・・』

で賄えるだろうから、雨の合間を縫って買い出しに走れば、一日も有れば完了させて、これで、

『老いボレの七つ道具の揃い踏み・・・!』

って訳だ・・・(笑)

 

 まったく、

『老人、閑居して不善を為す・・・!』

とは、当にジジイのことだわな・・・(汗)

 

『岸田殿・・・、首を洗って待って居なせえ・・・!』

とまでは行くまいが、まあ、太平洋の中での丈棹掻き廻しくらいの微渦にでも為らないかなあ・・・?!

 

 などと・・、毎度のバカネタで、失礼しました・・・(謝&拝)