・不可解なチケット・・・ | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 自慢話のような話になってしまうが、ジジイの手元に、一枚の

『乗り損なった航空券(チケット)・・・』

が一枚、未だファイルに入って居る・・・!

 

 

 細かい文字は読み難いだろうが、日付は『05/02/2024』となって居るってことは、ジジイが、51時間半の長苦行を終えて辿り着いた、南米・Boliviaは『La Paz』の国際空港で、翻訳機に頼って、漸く手に入れた代物で、出発時間が、『8:30PM』となって居り、行き先は、

『To CBB/COCHABAMBA・・・』

となって居るってことは、5日の朝、到着と同時に勢い込んで飛び込んだ『JICA(=国際協力事業団)』のボリビア事務所で、愚息の居場所を訊くために寄った一歩から、Nipponで練り上げた完璧な旅程計画を、眼の前でシュレッダーに掛けられた日の夜、漸う許された息子の居る『Cochabamba』までは行くことを許され、又もや標高4,040mの空港へと、あの気の快いタクシー運転手の

『ミヒャエルさん・・・』

にわざわざリターン願って、La Paz市内観光案内付きで採って返して、息子への手土産の

『大学ノート30冊とRITZクラッカー30本・・・』

が邪魔して、手荷物超過料金『21.00Bs(≒500円)』を徴収されたレシートまで残って居る・・・(笑)

 

 

 

 このタクシードライバー・ミヒャエルさんとの珍道中は、以前綴ったと想うが、氏に送り届けて貰ったLa Pazの空港での搭乗前の珍騒動と、お陰で乗り損なったこのチケットは、ジジイには、未だ納得が行かないし、お陰で、更に用心した『JICA』が、遂には、息子を身元引き取り人に仕立て、翌日夕刻La Pzzに呼び立て、翌朝(=7日)の朝の便でCochabambaまで護送された訳だが、息子に、空港でこのチケットを見せて、

『このチケット代は、返して貰えるのだろう・・・?!』

と息巻くと、息子は、話がややこしくなるのを見越して、

『まあ・・・、もう良いじゃない・・・!』

といなしやがって・・・(笑)

 

 しかし・・・、あの5日の夜・・・、航空会社と警備員等が、長旅で疲れて、ついうたた寝をして居た処を、搭乗時間前になって肩を叩いて起こして貰った時、ただ少しふらついたジジイを疑って、薬物常習者のような扱いをして、空港ビルの2階の長い廊下を往復させ、約1時間半以上も一カ所に立たせ放しにしたことが許せず、最後にはブチ切れて、バルコニーから1階の搭乗待ちの客人たちに向かって、

『この理不尽は、何ごとだ・・・!』

と大声で叫んだら、皆、

『何事が起ったんだ・・・?!』

と云う顔で視上げて居たが、後から考えてみれば、このジジイは母国語(=日本語)で叫んで居るのだから、お相手の方々に通じる訳も無い訳で、極めて滑稽な話と画だった訳だが、あれも、標高4,000mの高山病が起こした錯乱だったのかな・・・(笑)

 

 尤も・・・、元政治屋のジジイは、バルコニーから声を張り上げて、下に集って居る無関係の方々に向かって、『アジ演説』を打って居る時、些か、キューバ革命の英雄『チェ・ゲバラ』に成ったような気分を味わって、久しぶりに快感を得て、最後には、薩摩民謡『おはら節』までご披露したが、その間、空港の職員や警備員の一人も、誰も止めに来なかったのは、何故だったのだろうか・・・?

 

(画像は、Wikipediaより拝借)

 

 やっぱり、あれも、高山病に侵されたジジイの勝手な幻覚だったのだろうか・・・?

 

 どう考えても、不可解な一夜だったとしか想えないのだが・・・(汗)

 

 街中で見掛けたゲバラの画のTシャツを買って来るのを忘れて、惜しいことをしたと想って居るが、今頃は、もうこの仁を識る人も居ないだろうなあ・・・!

 

 尤も、このジジイは、ガチガチの共産主義革命家では無い故、お間違い無く・・・(汗)

 

 などと・・・、今頃、取って着けたような昔話を持ち出し、申し訳有りませんでした・・・(謝&拝)