・アアー、初任給・・・(笑) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 けふ(今日)は、卯月四月の朔日(ついたち)で、

『令和6[2024]年度の元旦日・・・』

と来れば、メディアも挙って、

『入社式ネタ・・・』

で燥いでくれて居るが、中でも、今年度は、

『稀に見る高額初任給・・・』

を謳うTopicに集中し、中には、

『2万円を越える引上げ・・・』

の企業も珍しく無いのだそうで、そこを突っ込むメディアのインタビュアーに応える、黒スーツ姿も初々しい新入社員たちは、眼を輝かせて、

『そうなんですよ・・・、嬉しいです・・・!』

と率直な喜びを現し、

『初給料を貰ったら・・・、家族を美味しいモノでも食べに連れて行きます・・・!』

とは、実に平和で長閑だわなあ・・・!

 

 中でも、先般、親分国家Americaの重工業産業のシンボルとも云えた『US STEEL社』の買収を発表した『日本製鉄』では、

『大卒の総合職の初任給は月額で4万1,000円引き上げ、26万5,000円となっている・・・!』

のだそうで、全国で7割の労働者が就労して居る中小企業の社員たちが聴けば、涎れが垂れるのを通り越して、怒鳴りたくなるような好待遇にも想えるだろうな・・・?!

 

(画像は、NHK Nes Web より拝借)

 

 そんな好景気な話題に刺激されて、ふと、この還暦半ば過ぎの高卒ジジイの入社式と初任給を想い起こしてみると、刻は昭和51[1976]年4月1日だった訳だが、3年前(=昭和48年)に起きた

『第二次オイルショック・・・』

の後遺症(=不景気)をまともに喰らった『就職難』の年で、一緒に卒業した42名の建築科同級生の内、実に1/5の8名が、ほぼ100%の合格率を誇る

『自衛隊に入ろう・・・!』

を選択した年でも有った・・・(笑)

 

(画像は、拝借モノ・・・)

 

 そんな余談は置くとしてだが、当時の高卒社員の初任給なんて、まだ10万円には2万円近く開きが有った中で、ジジイが運良く潜り込めた新宿、本塩町の『元・内閣総理大臣だった越後の今太閤』と呼ばれた仁が創業した土建会社は、求人票に記入された初任給額が、

『破格の10万円越え・・・』

を謳って居て、確か、10万5,000円くらいだった記憶が有る・・・?!

 

 あの時代は、大卒の初任給でも、12万円に届くか届かないかくらいしか無かった時代だから、ジジイの同級生で、ジジイの会社よりも大手に就職した連中から、ジジイが、マグレで入社合格の通知を貰った後、随分羨ましがられた記憶が有るが、謳って有った求人票の給料額は嘘では無く、あの頃は、まだ給料の銀行振込など遥か遠くの時代で、手渡された『給料袋&明細書』が入った茶封筒の中には、基本給に通勤手当の3千円か5千円が加わった額から、保険料等と寮費&朝晩の食事代で3万円ほどが差し引かれた

『7万円と幾らか・・・』

が入って居たのを憶えて居るわな・・・(笑)

 

 何せ、丸貧家庭の辛酸を舐めたジジイには、当時は、一万円札の肖像の『聖徳太子様』など、纏めて7枚も拝んだ経験など無かったから、封筒から恐る恐る抜き出して枚数を数え確かめたような・・・(笑)

 

(画像は、washimo-web.comより拝借)

 

 今の高卒初任給が、果たしてどれくらいになって居るのかは存知上げないが、上の今年の賃上げ額から推して読んでも、まだ20万円に手が届くかどうかだろうから、そう考えると、半世紀も前のあの頃の

『初任給10万円越え・・・』

は、何とも有難かったことになるわなあ・・・(笑)

 

 然も、都心に働けば通勤用の車を持つ必要も無かったし、従って、オイルショックで跳ね上がったガソリン代も要らなかったし、まだ18歳の上に、ほとんど下戸に近いジジイは、酒は飲まないしタバコなど、家系的に受け付けない体質だったから、ド田舎から上京したばかりの半青年には、小遣いなど然程要らないから、早速、その中から、薩摩で病気のオヤジの面倒を見ながら苦労して居る母親に、半額近い3万円を『現金書留』で送金し、残りは、郵便貯金にして・・・(笑)

 

 今から考えれば、

『なんと健気で親孝行な息子・・・』

で有ったことか・・・(汗)

 

 後々の悪態と親不孝とは、雲泥の差が有るわな・・・(笑)

 

 そんな東京暮らしも僅か1年足らずで、オヤジの死を機に呼び戻されて、一年半後にはド田舎役所に入れられた訳だが、そこでっ貰った初給料は、

『日給・2,500円也 × 24~5日 ≒ 60,000円チョイ・・・!』

が一年間続く日雇い臨時職員とは、露識らず・・・(笑)

 

 貰った茶封筒の中身は、東京の半分しか無いのに、自宅からの通勤の為の車は買わなきゃ為らない(=当然ローン)し、おまけにガソリン代は要るし・・・(笑)

 

『日給2,500円 』は、ジジイが高校時代にバイトしたガソリンスタンドの日給と同じだったのを、今でも忘れないわな・・・(笑)

 

 そんな不遇だったから、実家に食費など入れる訳が無く、母親が造ってくれる朝、昼(=弁当)、夕食を、当然の如く徒食するところから、ジジイの親不孝は始まった訳だから、『殊勝な息子』は、僅か一年足らずで終わって居る訳だ・・・(笑)

 

 イヤー、母上殿・・・、今更間に合いませぬが、随分長いこと親不孝を重ねましたなあ・・・(汗)

 

≪ たらちねの 母の苦労を 偲ぶれば 

       今の我が身の 恥しきかな・・・≫

 

 歴史的好条件の中、けふ、意気洋々と入社式に臨まれた若人諸君よ・・・、このNipponを頼みまするぞ・・・!

 

≪ もらう給料(かね) 誰が稼ぐか 吾れ稼ぐ

         寝て居て他人(ひと)を 起こす勿(なか)れぞ・・・≫

 

 この国の未来は、苦労続きですからな・・・!

 

 などと云う・・・、毎度のバカ駄文にお付き合い頂いて居りましたら、御礼を申し上げます・・・(謝&拝)