・Boliviaでの彷徨い・・・(帰国後編-6) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 本題に入る前に、本日の精密検査の結果を・・・(汗)

 

 

 還暦半ば過ぎにして、産まれて初めて、『ギプス』なるモノを着ける羽目に・・・(汗)

 

 けのふ(昨日)の先生の診たては正しかったようで、MRI&CT撮影の結果は、

『靭帯断裂と剥離骨折・・・!』

なのだそうで、

『ギプスをしてた方が痛くも無いし・・・、早く治りますから・・・!』

と云われれば、それに従うしか無いが、我ながら、その仰々しさに呆れそうな・・・(笑)

 

 まあ、当分、遠出をする予定も無いし、安宿(やさ)で、薄給バイトに勤しむだけだから、大勢に影響も無いし・・・!

 

 ただ、こうなると、安宿での入浴もだが、今月末までに迫った『100円ジジババ温泉券』の残回数(=8回)の消費が難しく為ったのは、些か惜しい気もするが・・・(汗)

 

 などと云う吝嗇(ケチ)な付け足しは此処までにして・・・、お恥ずかしいお話だが、ジジイは、けのふの記事で、嘘を吐いて居た・・・(汗)

 

 ジジイが、当初、この福島県浜通り界隈に滞在するのは、計画では、2月20日から22日の二泊三日になって居たのだから、正確に云えば、

『一日延長をお願いした・・・!』

のを、『二泊延長をお願いした』などとは、何たる見栄張りの嘘であることか・・・(汗)

 

 お詫びして訂正させて頂くが、何れにしろ、この『原発災害伝承館』の三連休館には不都合を来した訳で、

『此処まで来て、無駄足は踏めない・・・!』

と考えたジジイは、楽しみにして居た孫拝顔を清水の舞台から飛び降りる決断で諦め、翌日と翌々日の二日間を、この浜通りを南北に徘徊し、震災から13年が経とうとする街並みや海岸を観て廻ることに・・・!


 到着初日の6号線界隈は、気候もめっきり春めいた温かさで、時には、車の窓を開けて走れるほどの陽気で、界隈の住宅の庭には、今が咲き頃を迎えた梅が、彼方此方にキレイな花を咲かせ、ジジイに、

『ホウ・・・、九州とはこんなにも違うのか・・・?!』

と云う驚きと、仄かな香りが、心を慰めてくれたりしたのだが・・・!

 

 

 

 おそらく、この辺りは津波も押し寄せ無かった処らしく、梅の立派な老木に、ご覧のような花が満開で、香しい芳香も漂って居て、ジジイの気分を和ませてくれたが、南北に長いNippon 列島の北側では、今が梅の花の盛りだとは、ジジイが真夏の南米に旅立つ前に観た

『早春賦の景色・・・』

を、一年に二度も味わえるとは、何とも有難い・・・!

 

 が・・・、そんな長閑な一日の暮れ辺りから一気に寒気に包まれた相馬地方は、一夜明けたら、ご覧のような雪景色・・・!

 

 

 

 地元の方も、

『この地域は、こんに雪が降るのは珍しいんだわ・・・!』

と驚かれるほどの積雪風景だが、幸い、道路は積んでは居ないから、ジジイも、仕方が無いので、道路向かいの『伝承館』を恨めしく視ながら、ハンドルは、6号線を、先ずは、けのふ出発した北相馬の方へ・・・!

 

 けふは、相馬市の『相馬市伝承鎮魂記念館』を訪ねるところから始めた・・・!

 

 やはり、まだ今は、東北大震災の爪痕を辿ることになってしまうのは、致し方無いことだ・・・!

 

 

 これが、その『相馬市伝承鎮魂記念館』の正面風景だが、この建物の裏は、直ぐのもう太平洋の波を遮る防潮堤が延々と築かれて居て、当時を識らないジジイには、

『こんな処に建てて善いのだろうか・・・?!』

と云う疑念を抱かぬでも無いが、安全な高さまで嵩上げされた上に築かれたのだろうから、余計な心配か・・・(汗)

 

 中は、意外と狭い空間に、亡くなられた『458名』の銘碑と、同じ数の粘土で造られた地蔵が飾られて居て、改めて、あの日、TVで観た津波画像のリアルさを想い出させてくれる・・・!

 

 

 

 小雨に変わった外に出て、横に廻ると、こんな風景が迫って居るが、遠くに視えるのは、あの『福島第一原子力発電所・・・!』

では無いので、念のため・・・!

 

 わざわざ断るまでも無い距離感だが・・・(汗)

 

 

 普段なら、波穏やかな平和な海が、あの日は、高さ10mを優に超えて襲い掛かって来て、何も斯も根こそぎ呑み込んでしまったと云うが、この穏やかな風景からは、とても、そんな光景は想像出来ない・・・!

 

(寝っ転がってて、スミマセン・・・謝)

 

 この元日に起きた『能登半島大地震』でもそうだが、地震と云う自然災害は、人間に抗う術を与えてくれないところに、その恐ろしさを改めて想い識らされるわなあ・・・!

 

 そんな感傷に暫し浸ったジジイは、此処から、国道6号線をまた南に辿りながら、酔狂を兆して、同時に、

『道の駅廻り・・・』

とシャレ込んでみた・・・(汗)

 

 お上の『災害復興交付金』の有難さも手伝って居るのだろうが、沿線には、都合4、5カ所の『道の駅』が設けられ、それぞれの特徴を演出して見せてくれて居ると踏んだ次第だ・・・(汗)

 

 で・・・、先ず飛び込んだのが、『道の駅・そうま』・・・(笑)

 

 

 ここで出会った珍名物が、これ・・・!

 

 

 ジジイが、怪訝な表情で、

『これは、何ですか・・・?』

と尋ねるのに対して、近くに居られた地元のご婦人が、会津言葉で、

『グズオのしぇみもつぇ・・・!』

と教えて下さったが、ジジイには、何を仰って居るのかさっぱり理解不能・・・(汗)

 

 だが、ラベルを読めば一目瞭然な訳で、

『くずおの凍(し)みもち・・・』

と云う、当地の昔からの名物らしいが、搗(つ)いた餅を、一度外の寒気に晒して凍らせて、水分を飛ばしてカチカチにした保存食で、食べる時には、水で柔らかく戻して煮たり焼いたりして食べるのだそうだ・・・! 

 

 昔のNippon 列島は、北に行くほど稲作は厳しかった訳で、それを弁えて、気候を逆手に取った、この地方の厳しい寒さを利用した生きる智慧に、脱帽するしか無かった・・・(汗)

 

 人間とは、実に逞しいし強かな生き物だわなあ・・・!

 

 特に、会津地方の方々は、その気質が高いようにも想えるような・・・?!

 

 それは、あの大震災の被害から、10年以上を掛けて、漸く落ち着きと活力を回復したように見える復興の足跡にも、直に感じない訳には行かない・・・!

 

 ただ、あの『原発災害』に見舞われ、未だ産まれた場所への帰還が適わず、無理に充てがわれた

『復興住宅・・・』

と云う名の、酔って帰れば、我が家の玄関を間違えそうな

『金太郎飴マッチ箱団地・・・』

に住むことを余儀無くされて居る方々の理不尽を想うと、やはり、諸手を挙げて祝福する訳には行かないのだよなあ・・・!

 

 

 これでは、まるで高度経済成長期の中頃の

『都市郊外型分譲住宅団地・・・』

と一緒ではないか・・・!

 

 これでは、昔、労働者一家が憧れた

『庭付き一戸建て・・・』

とも云えない狭さにしか視えないが・・・?!

 

 画の上を左右に貫いて居るのが、お上(=政府)が、

『復興の御旗・・・』

として一気呵成に、大突貫工事で造った『常磐自動車道』と云う自動車専用道路だが、阿武隈山系の裾野近くを南北に貫く道路は、復興成った後も、この常磐地方の復興にも大きく貢献してくれるのだろうな・・・?!

 

 2019年に来訪した時には、この道路と東北自動車道の間に、もう一本の自動車道路の建設も噂され、その地盤に、例の

『除染汚染土・・・』

で埋め立て、それをコンクリートとアスファルトで覆い隠して、除染土の最終処分方法とすると云う話も有るやに聴いたが、福島県から運び出せ無くて困って居るお上からすれば、何れ、今の中間貯蔵の期限が切れる前になれば、お上(=政治)が云い出しそうな話では有るのは、沖縄の住民の意思など

『辺野古埋め立て・・・』

に固執し続けたのと同じ構図だわな・・・?!

 

 政治家と官僚とは、自分らが責任を取らなくて良いシステムの中で、その場その場で、都合の善い柵を押し通せば済む話だからな・・・(笑)

 

 いかん・・・!

 

 話が大きく逸れてしまって、道の駅廻りが停まったままになってしまったが、けふは、この辺りで終わらせて頂くことにするが、若し、こんな駄文を読んで頂いて居りましたら、感謝申し上げます・・・(謝&拝)