・たまにゃあジジイも・・・(汗) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 けのふ(昨日)のNew Topic のこんなのは、どなたもが観たり聴いたりされただろうから、きっと、

『明日の、あの毒吐きジジイの駄文ネタは、多分これだろうな・・・?!』

と想われた貴少なフォロワーの方が、ほとんどだろうと想うが・・・(汗)

 

 

 最早、今のジジイには、この問題で毒吐く気力も失せてしまって居るので、そんな貴少なフォロワーの方の期待を裏切って、こんな日ほど、些か趣向を替えて、少しは真面目な駄文を綴って、

『ホウ・・・、あのド田舎毒吐きジジイも、こんな乙な知識を養って居るのか・・・?!』

と想って頂こうと企んだ次第で・・・(笑)

 

 つい2週間ほど前に、

・役立たずの線香・・・

と云う駄文をUpさせて頂いたが、けふの蘊蓄は、その続編と想って頂いて善いだけの話だが、その『千分の一香(=1/1,000項)は、

『苺と艾・・・』

と云う漢字の逸話・・・(笑)

 

『艾』と云う漢字を、すんなり読める方は、相当な『漢字通』だと想うが、これは、Nippon全国の路端に好く生える『ヨモギ(蓬)』を意味し、その『ヨモギ』は、古来より、庶民に愛され重用されて来た、温熱療法の『お灸』に欠かせない

『モグサの原料・・・』

であり、即ち、このヘンテコな漢字は

『モグサと読む・・・』

と云えば、読まれた方の頭の中に、おそらく、こんな画を想い描かれる方は多いはず・・・(笑)

 

(画像は、angie-life.jpより拝借)

 

 と・・・、一応、『艾』の講釈を終えるが、『苺』と云う漢字と『艾』と云う漢字には、どちらも

『草かんむり・・・』

が被せて創って有って、苺の草冠の下は『母』と云う字で、これは、生まれた曰くが、苺の熟れた実の姿が、

 『女性(=母親)の乳首・・・』 

を表して居て、産まれたばかりの乳飲み子は、母親のこの乳首に吸い付き、一生懸命母乳を吸ってお腹を満たし、健やかに育つ

『命の源・・・』

で有り、苺と云う果実は、そんな母乳のように美味しく、誰でも好きだったから喩え創られた漢字なのだそうだ・・・(汗)

 

(画像は、techs.co.jpより拝借)

 

 惜しいかな、そんなにマジマジ視たことはこれまで無いけれど、確かに、云われてみれば、そう見えなくも無いような・・・(汗)
 
 

 だから、産まれたばかりの乳飲み子は、母親の胸に抱かれて乳首を咥えてさえ居れば、心穏やかで泣きもしなかったし、健やかに眠ったが、こればかりは、男には絶対真似の出来ない

『育児の代表格・・・』

だったわなあ・・・!

 

 今は、『粉ミルク』なんて代用品に代わってしまったが、ジジイ等が小さい頃までは、赤子にとって、母親の、あの胸元に二つ突き出た紫色した粒々の部分は、当に、

『生命線・・・』

だったからなあ・・・(汗)

 

 と云うことで、苺の字の謂れは簡単に説明が着くが、問題は、もう一方の『艾』の方だ・・・(笑)

 

 この字は、上の草冠を取ると『乂(ガイ)』と云う字になって、一字では、『刈る』とか

『政事に於いて、整理し納めることや、その才の有る人、或いは、懲すること・・・』

を意味するのだそうで、それが変じて、家庭に於いては、些か抉じ付け(=無理)も無いでは無いが、

『一家を納め、重しとなり、厳しく在る人・・・』

の意味に喩えられて、

『父の字の意味を持たされて居るのだ・・・!』

と、仏法の説話などで語られて来たと、敬愛する

 『元薬師寺管主・高田好胤和尚の説話(=心のことば:徳間書店刊)・・・』 

に在ったのを、もう30年も前に、このジジイが、殊勝にも、我が読書ノートに書き抜いて居るから、お恥ずかしい・・・(汗)

 

 よく、世の中で、悪いことをした人を叱ったり懲罰を与える時に、

『お灸を据える・・・!』

と云う云い方をすることは聴かれたことが有るだろうが、その『お灸』には、この『艾』が必需品で、このジジイもその昔の悪たれガキの頃、短気なオヤジが、大事な跡取り(=末っ子長男)の悪さに肚を立て、直ぐに殴って諌めようとするのを視て、それを視る祖父が、

『殴っちゃいかん・・・、お灸を据えろ・・・!』

と取り成してくれて、結果、オヤジと祖父が幼いジジイを縁側の板の間に押さえ付け、母が、臍の下の丹田の辺りに艾を盛り、線香の火で火を点け、それが燃え尽きるまで、息を吹き掛けて火の勢いを保つので、熱くて痛くて泣きじゃくった経験が3度ほど有るが、翌朝になると、その灸の跡は、火傷の火膨れのように赤く腫れあがって居り、さすがに殊勝に一日を過ごし、夕方、風呂に入る時、父が、憎っ垂らしい皮肉顔で、そこを擦ってくれながら、

『どうだ・・・、痛いか・・・?!』

と訊くのを、泣きべそ顔で黙って頷くと、

『もう二度とするな・・・!』

と説諭するのを聴きながら、同じ懲罰を三度も受けたのだから、経験と学習が全く出来て居なかったと云うことだな・・・(笑)

 

 しかし、あの熱さと痛さは長く忘れず、社会に出て、

『お灸を据える・・・!』

と云う表現を聴くに付け、誠、佳く云ったモノだと今でも関心するが、残念ながら、その性格は治っては居ないわなあ・・・(笑)

 

 つまり、お灸に遣う『艾』には、そんな

『懲らしめる・・・』

と云う意味も含まれて創られた字だと云うことを、果たして、今の人たちは識るや否や・・・?

 

 この字の成り立ちに立ち返り、父親(=男たち)が、もっと

 『懲らしめる立場(=重み)の復権・・・』 

を取り返さないと、

 『世の中にしっかりした心棒は、一本貫(と)おって行かないのではないのかな・・・?!』 

と、『役にたたない線香』を捲り返しながら想った次第だが、今は、我が子を押さえ付けて、お灸でも据えようとすれば、泣き喚く子の声を聴いた近所から、直ぐに

『虐待だー・・・!』

と云われ、逆に自分が懲らしめられる時代になってしまったから、艾も、鍼灸院の医療材料以外には、使い道は無くなってしまったってことか・・・(笑)

 

 因みに、僅か4、5歳の頃据えられたジジイの

『懲らしめ灸・・・』

の痕跡は、今でもジジイの臍の下に、痣となってしっかり残って居るから、余程大きなお灸を据えられたのだろうが、オフクロが、幾分遠慮がちに息を吹き掛けて火勢を保とうとすると、頑固オヤジは、横から、更に強い息を吹き掛けて、熱さと痛さを味わわせてくれた恨みは、今も忘れては居ないのだが・・・(笑)

 

 尤も、今、想い返しても、あの短気なオヤジの怒髪天は、確かに、こっちが悪かったのは確かだったわなあ・・・(笑)

 

 この漢字のジャンルは、ジジイが毎日訪読させて頂いて居る文文雅雅さんの専門分野だから、些か領域侵犯をしてしまって申し訳なかったが、英才の文文雅雅さんには、

『懲らしめ灸・・・』

のご経験など無かろうから、ご勘弁下さいませ・・・(謝)

 

 と云うことで、けふは、敬愛する高田好胤和尚の本の中から一話お借りしてネタにさせて貰ったが、最後までお付き合い頂いて居りましたら、感謝申し上げます・・・(謝&拝)