・ジジイと沖縄・・・(7) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 ウカウカして居る内に、『7号』まで引きずっても、まだまだ先が長くなりそうだなあ・・・(汗)

 

 毎回、読んで頂くようで、コメントを頂くと、これでも、本当に、申し訳無さは覚えては居るのですが・・・(汗)

 

 と、云うことで、ジジイの

『俄か那覇市内観光・・・』

は、照り付ける沖縄の太陽を浴びて、汗を掻いただけで終わったが、夕方、約束の時間にホテルに迎えに来てくれたのは、ご主人のOさんだった・・・。

 

 そして、NOAHに積まれて案内されたのは、昼間観た沖縄県庁から、まだ少し空港側に走った、建物犇めく街中から少し外れた

『那覇市の郊外・・・』

と云えるような処に立つ、沖縄には珍しいような和風建築の小料理屋さん風の建物で・・・!

 

 Oさんに誘われて暖簾を潜ると、奥に個室が設えて在って、その一室に、例の琉球系肌色の娘さんと、70歳前後と想われる初老の男性が、膝を揃えて、如何にも畏まった格好で座って居られたが、そのお姿は、決して

『パリッとした・・・』

と形容するようなお姿では無かったが、一応、如何にも律儀を想わせるネクタイ、スーツ姿だったのに、些か戸惑ったが、元・税務署員だったと云う昔気質の方には、それほど重い話に想えたのだろう・・・?

 

 お肌の色も顔の創りも、当に、ジジイが識る

『琉球系・・・』

を表した佇まいで有られたが、そのお顔にには、(元)妻から聴かされて居た、

『牛乳瓶の底のような厚いレンズ・・・』

のメガネを掛けて居られて、我が義娘二人が、小学校入学時の視力検査で、二人が揃いも揃って、

『弱視の気・・・』

を指摘され、早速、眼鏡造りをせざるを得なかったのだが、その理由を、

『沖縄の祖父ちゃんが、すごい弱視だったから・・・、その血(=遺伝子)を引いているのだ・・・!』

と、然も迷惑そうに云ったのを想い出したが、お陰で、我が屋の上の二人は、小学一年生から

『要・眼鏡・・・』

の通学を強いられ、小学校の内に、何度壊したり割ったりして、作り直したことか・・・(笑)

 

 ジジイに云わせて貰えば、

『あんたの家の家系も、近視系の血筋じゃないか・・・?!』

と云いたいところだったが、下手な波風を立てないのが、女房を上手く御する方法だとは弁えて居たので、無駄な挟み口はせずに、何度も、修理の出費をぼやく女房を伴って、眼鏡屋さんに通うのも、ジジイの務めだったのだが、この御父上さまのメガネを観たら、女房の主張が正しかったことに、得心がいった・・・(笑)

 

 そんな余談は兎も角・・・!

 

 その御父上の前に、一応畏まって座ったジジイが、突然の訪問を詫び、既に、十分ご存知であろう立場と名前を名乗り、相手側からもご挨拶を頂いたところで、無駄な前語りなどすっぱ抜いて、畏まった口調で、

『話は、既にお聴き及びと想いますが・・・!』

と云うと、御父上さまは、既に眼に涙を溜めて、声を震わせて、

『娘たちから聴かされて・・・、夢のような気持になって居ります・・・!』

と云った趣旨の言葉を云われた・・・。

 

 早、このシチュエーションでは、ジジイの想い描いて居た

『定め台詞・・・』

を宣って、見得を切る場面では無くなってしまった居るわなあ・・・(笑)

 

 ただ、そう云って、ジジイに深々と頭を下げられるお父上と、横に並んだ娘さん夫婦に向かって、些か言葉を強くして、

『但し・・・!』

と声を発し、

『二つだけ・・・、条件を守ってください・・・!』

と告げた・・・。

 

 その二つの条件の一番目は、今後、遠慮無く交誼を創って頂くことを許すのは、

『あの娘(=二人の孫と姪)たちの、お祖父さん、お祖母さんと、叔父さん叔母さんや従兄たちだけで有って、実の父親(=息子さん)との交誼を許す訳では無い・・・!』

と云うことと、

『あの娘たちには、父親の違う妹弟が居りますから・・・、向後の交誼には、この二人にも、平等の扱いをお願いしたい・・・!』

の二つだった・・・。

 

 一つ目の条件は、一度、大きく傷付いた妻への気遣いも宿して居たが、何よりも、このジジイが、

『そう云う男を許せない・・・!』

と云う強い主観が混じって居たのは、正直に云って、そうだった訳で、そんな男が、これを機に、

『実の父親で御座い・・・!』

とばかりに連絡をして来たり、贈り物など届ける情景を、平気で観過ごせるほど、ジジイも、まだ人間は練れては居なかった訳で、今は、もう大いに行き来も成り立って居るらしいが、今でも、あまり快い気はしないが、最早、籍を抜けた大人の二人に、血の繋がらない、

『一時養育人・・・』

に過ぎなったジジイが、あれこれ論う話でも無いと想って、口は挟まないままにして来たが・・・(汗)

 

『血は、水よりも濃い・・・!』

は、世の常だし・・・(笑)

 

 二つ目の条件の、

『下の二人の妹弟を、平等に扱って頂きたい・・・!』

と云う条件と云うか願いは、当時、まだ三番目が、小学一年生に上がったばかりで、末っ子長男は、幼稚園の年中(=5歳)だったから、この子らに、

『義理の・・・、実の・・・』

と云い聴かせても、理解出来るはずが無いと考え、沖縄から、上の二人にだけ、届けモノが来たりしたのでは、

『何で・・・、お姉ちゃんたちだけ・・・?!』

と云う僻みを宿さないとも限らないと案じての、ジジイの予防線であった・・・(汗)

 

 ジジイの宣った条件の一番目を聴かれた三人は、確かに、幾分、気文を害されたような表情にも観えたが、これは、絶対に譲れないジジイの拘りだった・・・。

 

 だから、若し、この条件が受け入れなければ、卓袱台をひっくり返して帰っても善かったのだが、眼の前の御父上は、一言の云い訳もされず、

『ご尤もです・・・!』

と云う風で頷かれ、

『仰る通りに、します・・・!』

と云って頂き、隣の娘さん夫婦も、

『兎に角・・・、AちゃんとMちゃんに逢えるようになっただけで・・・、

 父と母が、元気になってくれると想います・・・!』

と云って納得して頂いて、ジジイの目的は、無事、初期の計画通りの結果を得られたのだった・・・。

 

 此処まで、話が調えば、後は、お互いに胸襟を開くしか無い・・・(笑)

 

 早速、御父上の振舞いだと云う珍しい琉球料理を、心置きなく、胸襟を開いて語りながら頂き、勧められるままに、元々、酒にあまり強く無いジジイは、飲んだ泡盛の所為で、最後の方は、何を語ったかも定かでは無かったような気がするが、一通りの話を終え、お互いに、胸の痞えを取り払えた

『妙な関係の一座の夜・・・』

は、案外長く続いて、更けたのだった・・・(笑)

 

 一応、此処までが、

『ジジイと沖縄の第一幕・・・・』

と云うところだが、翌日、前の日の朝には、

『大阪に往って来る・・・!』

と告げて家を出たジジイが、何故か、空港で、強引に押し付けられた

『沖縄土産・・・』

を提げて帰宅したのだから、我が家の女房殿の眼は点になり、しつこく、

『何で・沖縄なの・・・!』

と問い詰められ往生したが、子供等が寝静まってから、殊の顛末と、ジジイの目論見を披歴すると、安堵するように納得してくれたので、まあ、一応、殊無きを得た次第だったが、それから20年の間に、状況は、大逆転してしまったことになるわなあ・・・(笑)

 

 と云うことで、この際、この顛末の『第二幕』を、このまま、続け綴らせて貰おうと想う次第で・・・(汗)

 

 読んで頂いて居る方々には、返す返すも、御礼を申し上げます・・・(謝&拝)