・柏手・・・(Ⅲ) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 初詣ネタで、二つ記事を綴って居る内に、遥か昔(=40年ほど前・・・)に働いた

『悪事・・・』

を想い出したので、もうとっくに時効だろうから、悪戯ごころで白状してみようかと想った次第で・・・(汗)

 

 その悪事とは、ジジイが、

『俄(にわ)か神主・・・』

を演じて、訪問した家で、差し出された

『玉串料をせしめた・・・!』 (=正確には、『預かっただけ』だが・・・)

と云う、何とも罰当たりこの上無い仕儀なのだが、その顛末を語ると、こうだ・・・(汗)

 

 他の地方に有る風習かどうかは判らないが、薩摩には、神道を主宗教として居る家では、年末の頃に、一斉に、我が家に神職に来て貰って、氏神様を祀る

『神祀り・・・』 (=鹿児島弁では、『かんまつい』と云う・・・)

と云う行事を執り行う慣習が有るのだが、当時、小生の二級(歳)先輩の親友に、

大東塾(=東京)出身のバリバリ右翼神主・・・』

が居て、彼が、実家の養豚業を手伝いながら、地元の神社(=2、3社)の宮司(=非常職)も引き受けて居り、この

『かんまついの時季・・・』

になると、氏子からの依頼が多かったり重なったりして、非常に多忙を極めて、困って居たのだ・・・。

 

 で、或る年の秋頃に、仲の快い数人が集まって、焼酎を酌み交わしながらワイワイ語り合う中で、彼の多忙の時季が来ることが話題になり、この禿ジジイが、完全に冗談のつもりで、

『俺が、手伝おうか・・・?!』

と宣ったところ、当の本人の眼が、瞬間、キラリと輝(ひ)かった次第で・・・(笑)

 

 何せ、当時のジジイは、建築設計屋で、仕事柄

『地鎮祭・・・』

と云う神事には、数多く立ち会って居たから、

『お祀りの方法&仕来り・・・』

は、既に手に取るように弁えて居たし、一番神職らしさを発揮する

『祝詞(のりと)奏上・・・』

の文章も、謳い出しの数行ほどは

 

≪掛(かけ)まくも 畏(かしこ)き 伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)・・・、

 筑紫(つくし)の 日向(ひむか)の 橘(たちばな)の小戸(おど)の 阿波岐原(あわぎはら)に・・・≫

 

と諳(そら)んじられるほど、耳に憶えて居たのは確かで・・・(笑)

 

 ただ、我が実家は、

『浄土真宗の仏教門徒・・・』

だから、正確に云えば、

『そんな罰当たり(=邪道)な・・・!』

と云わねばならないところなのだが、何せ、高齢のご両親を支えて、家業の畜産業を忙しく営みながらの

『副業神職・・・』

としては、まるで、

『渡りに舟・・・』

とばかりに、ジジイのこの冗談を真に受けて、一気にその気を催してしまったと云う訳だ・・・(笑)

 

 その場面からの経緯を綴ると、これだけで数編を要してしまいそうだから、中間は、大きく省くが、そんな些細な切欠から、ジジイの

『俄か神職アルバイト・・・』

の条件が簡単に整ってしまい、此方も、半分遊びのノリで、彼の家で、数回の

『予行演習・・・』

と、彼に随(つ)いての、数軒の

『見習い見学修行・・・』

を修めて、いよいよ、独りでの

『氏子家訪問&御祀り神事 Début ・・・』

となった訳だ・・・(汗)

 

 まだ、二十代前半の頃だから、後ほどに地元界隈に顔が売れて居なかったことが幸いし、ジジイの身分は、

『或る神社(=名前は伏せる・・・笑)の神職・・・』

と云う紹介で、

『応援に来て居る・・・!』

と云う事前の案内を得て伺うのだから、受ける氏子家側は疑いもしないし、寧ろ有難がってくれる次第で・・・(笑)

 

 後は、練習した通り、その家の神棚の前に携えて来た三段棚を組立て、そこに、七つ道具(=大麻や御幣など)を置き並べ、氏子家が用意した榊を人数分切り置き、これも氏子家が、年に一度故、奮発して用意した

『御供え物(=御頭付けき鮮魚[鯛]や果物等)・・・』

を置けば、事前の設(しつら)えは終わる・・・!

 

(画像は、kyouei-bisou.co.jp より拝借)

 

 ジジイの服装は、最初から白袴を着た

『神職装束・・・』

で乗り込むのだから、後は、白い上羽織を羽織って、頭に、

『黒烏帽子・・・』

を被り、顎下で紐を結べば、準備完了・・・(笑)

 

『馬子にも衣裳・・・』

とは、誠、佳く云ったモノで、識らない人が視たら、何処から視ても神職に視えるし、自分でも、気分は神主に成り切ったつもりで居るから、誠に不思議な気分に浸りながら、胸前に

『笏(しゃく)・・・』

と呼ばれる40センチくらいの長楕円の板状のモノを構え、飾り棚に向かって左側に正座すれば、氏子家の家族も、祭壇から2メートルほど離れた処に、正座して座るから、一座が一気に引き締まって、神事の空気が調う訳だ・・・(笑)

 

 後は、ジジイが、深く一礼して、

『それでは、これより・・・、モゴモゴモゴ・・・』

と神事執り行いの挨拶をして、立ったり座ったりを繰り返すだけの話だが、一番最初は、祭壇の前に進んで、腰を折って、肚から声を押し出すようにして、

『ウヲォォーー・・・!』

と、獣のように唸る・・・(笑)

 

 これは、これからお祀りをするので、

『神様に降臨を願う儀式・・・』

を意味するのだそうだが、ジジイは、単に教えられたように遣って居るだけで・・・(汗)

 

(画像は、jinjairoiro.jp より拝借)

 

 一番肝心の

『祝詞奏上・・・』

は、装束の胸の襟の間に挟んだ厚和紙に書いてある

『決まり文句(=定型文章)・・・』

を威厳を装いながら抜き出し、敢えて意識した

『厳かな声音と口調・・・』

でゆっくり読み上げて進み、肝心の

『氏子家の所在と戸主名・・・』

は、事前に、メモ用紙に記して挟んで居るから、間違うことも無く流れ、

 

≪祓(はら)へ給(たま)ひ 清(きよ)め給(たま)へと 白(まを)す事(こと)を 聞食(きこしめ)せとー・・・、

(かしこ)み恐(かしこ)み 白(もを)すうー・・・≫

 

で終わる訳で・・・(笑)

 

 此処まで終われば、後は、氏子家の祭主から順に

『玉串奉奠(てん)・・・』

をして貰い、最後に、自分が玉串を捧げ、神水やお神酒を入れて居た白磁の容器に蓋を被せる

『撤饌(てっせん)の儀・・・』

を終えて、もう一度座って、また立ち直し、祭壇前に摺足で進み、深く腰を折って、もう一度、あの

『ウヲォォーー・・・!』

と云う獣声を唸って、今度は、

『神様にお帰り頂く儀式・・・』

を済ませて、最後に、

『二礼、二拍手、一礼・・・』

を、わざとゆっくり時間を掛けて行い、後向きに引き下がって座って、氏子家側に向かって、軽く頭を垂れて、

『これを持ちまして・・・、モゴモゴモゴ・・・』

と宣えば、一件落着・・・(笑)

 

 ジジイの

『モゴモゴモゴ・・・』

で、一気に部屋の空気が弛めば、後は、飾って措いたモノ等を片付け、座を、その家の都合の善い場所に移して、

『直会(なおらい)・・・』

の真似事をする運びだが、此処での

『長居は無用(=注意)・・・』

で、敢えて

『忙しいフリ・・・』

をして、出された『仕出し弁当』をそそくさと包んで貰い、神事で飾り物にした

『尾頭付きや果物・・・』

も、慣例に従い

『お土産代わり・・・』

に預かって(=頂いて)、早々退散せねばいけない・・・(笑)

 

 何せ、

『俄か神職・・・』

の身としては、

『ボロが出ない内に・・・!』

と云う心掛けだ・・・(汗)

 

 ただ、この退散前に、一つだけ、忘れてはいけない

『肝心な要件・・・』

が有るのだが、それは、氏子家側から差し出される

『玉串料・・・』 (=御礼金入り祝儀袋)

を与る儀式だ・・・(笑)

 

 大概の家では、用意して有った仕出し弁当を出された後、戸主殿から恭しく差し出されるから、それを、

『おっとり刀・・・』

を装って、一礼しながら

『お預かり・・・、致します・・・!』

と云ってゆっくり引き寄せ、徐(おもむろ)に、装束の上着の襟の間に挟み込む・・・(笑)

 

 いかん・・・(汗)

 

 極力短くするつもりだったのだが、やはり、相当長くなってしまったが、もう此処まで来れば、最後まで一気に綴り進ませて貰う・・・(笑)

 

 今、改めて、あの頃を想い返して視ると、ジジイは、この『俄か神職アルバイト』を、都合二シーズン(=2年)手伝ったような気がする・・・(汗)

 

 この後は、ジジイの顔が、世間に売れ過ぎる仕儀となり、下手にそんな悪戯は働けなくなったのだが、そうなったのも、元を糺せば、この

『超バリバリ右翼神主・・・』

が仕掛けたことに始まるのだが・・・(笑)

 

 件数にすれば、4、50件は廻った計算だろうか・・・(笑)

 

 普段、件数が少ない平日は本物(=本人)が行くのだが、週末、土、日曜日の希望が多くなった時代だから、この混雑日に、ジジイへの助け舟依頼が来て、午前と午後の二軒を引き受けることが多かったように憶える・・・。

 

 当のご本家神主は、一日、4、5軒も熟(こな)して居たから、如何に忙しかったか判って貰えると想うが、おっとり刀で預かった玉串料の入った祝儀袋は、そのまま親友に渡し、後から、彼が纏めて

『御礼(=分け前)・・・』

と云って、幾度かに分けて渡してくれたと想う・・・(笑)

 

 下世話な話になるが、あの当時の氏子家側からの玉串料は、確か

『一軒、一万円・・・』

だったと想うが、ジジイが貰う分け前は、確か

『一軒、六、七千円・・・』

だったような気がするから、一年に、

『20万円前後の余得(=副収入)・・・』

を得て居た計算か・・・(汗)

 

 尤も、そんなお金は、毎晩のように繰り出す

『ド田舎・厚化粧オバちゃんスナック通い・・・』

で、すべて水の泡と化してしまって居たのも、間違いは無いが・・・(笑)

 

 そんな訳で、ジジイは、初詣などに行くと、拝礼は人の倍ほど時間が掛かるし、柏手二拍などは、隣の人が驚くほど

『佳い響きの音・・・』

で叩くことが出来る癖が着いてしまって居るし、我が子たちにも、幼い頃から、正当な礼拝の仕方を仕込んでいたのだが、一人、一緒に往く

『生きた連れ合い(=元妻)・・・』

だけは、最後まで、そんなことなどお構い無しに、仏様を拝むような

『合掌一礼・・・』

は治らなかったな・・・(笑)

 

 毎回、偉そうな駄文を宣って居りますが、性根は、こんな

『大罰当たりな仕儀を働いて来た人間・・・』

で有りまして・・・(汗)

 

 今回も、まったく面白くも無い『昔話・・・』を、若し此処まで読んで居られましたら、心からお詫びを申し上げる次第です・・・(謝&拝)

 

 と云いながら、仏教でも、八月の初盆の法事では、お寺のお坊さんたちは、家族総動員で、檀家を

『師走のように風情・・・』

で駆け巡って、忙しくお経を上げて廻られるから、案外似たようなモノのような気もするが・・・(汗)