・澁澤栄一翁の復習・・・(15) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 自分が建言した政策を大いに取り入れられ、更には、それへの責任者として

『兵隊組立御用掛・・・』

として、一橋家の領地を巡回した澁澤翁は、見事に、その役目を果たして京に凱旋して、大いなるお褒めに与る訳だが、一方で、この道中で、且つて鍛えた

『武州の藍玉農家の子倅の眼・・・』

でも、領内を見聞して居た訳で、その産物(=米や綿花・硝石等)が、如何にも疎か(=安く)に取引されて居ることに眼を着け、これに、付加価値を着けて売れば領民も助かるし、一橋家も

『運上金(=関税)・・・』

を取れて財政的に助かると想い着き、今度は、これを、黒川用人に言上し、これも、早速、採用され、『兵員搔き集め掛』が、一転して

『勘定組頭・・・』 (=勘定奉行の下役)

なる要職を命ぜられて行く訳だが、此処からが、

『算盤屋(=実業家)・澁澤栄一・・・』

の始まりと云えるだろう・・・(笑)

 

 此処を、澁澤翁は、『雨夜譚』で、

『兵制 を 説く よりは 理財 の ほう が まだしも 長所 で ある と 自信 し た・・・』 

(渋沢栄一・自伝 雨夜譚 ; 東林出版・Kindle 版)

と述べて居るが、自分でも、その才が在ると感じて居たと云うことだろうし、当に、

『水を得た魚・・・』

と云う活躍で、一橋家の理財整理に活躍を始め、周囲に、その才を認めさせて行く訳だ・・・。

 

 こうして、順調に一橋家での存在感を増して居た澁澤翁に、突然、

『不愉快な一件・・・』

が、降って湧く・・・!

 

 それが、仕えて居た慶喜公が、

『第15代・徳川将軍家・・・』 (=1866[慶應2]年12月)

へと就任させられてしまう一大事だったとは・・・(笑)

 

 普通の武士感覚なら、自分の仕えるご主人(=殿)様が、武士の頂点で在る将軍家に就任するとなれば、その将軍様の直々の家臣となる訳だから、自分たちも、

『天下を獲った・・・!』

と大喜びするところだが、澁澤翁と喜作には、

『実に、この上も無い不幸だった・・・!』

と嘆いて居るところなど、如何にも変わり者を現して居て、面白い・・・(笑)

 

 折角、一橋の領内を廻って気付いた

『商売のタネ・・・』

を建言し、

『お前に任せるから、遣ってみろ・・・!』

とのお許しを得て、あれこれ思案し、実行に移し、殊が順調に進み始めて間も無くの、この

『大珍事の出来・・・』

に澁澤翁や喜作は、大いに戸惑うのである・・・(笑)

 

『今更、この屋台骨も腐り、屋根も朽ち落ち掛けた徳川将軍家を継承しても、とても立て直せるモノでは無い・・・!』

と想い極めて居た二人は、一橋家の用人に対して、直に、その旨を訴え、

『絶対に、御請けなさいませんように・・・!』

との動きを、熱誠を以って執るのだが、その翌日には、慶喜公自身が、この将軍就任の懇請を、断り切れず受諾してしまったらしい・・・。

 

 結果、この

『武州の百姓出の熱血漢二人・・・』

は、想わぬ形で、遂には、図らずも

『将軍家の家来・・・』

の身分へと、身を変えさせられてしまった訳だ・・・(笑)

 

 謂わば、

『尊王攘夷派・・・』

と云う

『討幕の志・・・』

から始まった志士活動は、180度違う

『正反対の立場(=幕府の役人)・・・』

に立たされて、

『大阪城下・・・』

へと移って、日々悶々と働かされるのだから、澁澤翁と喜作が困惑・落胆するのも、当然の話だったろうが・・・(笑)

 

 最早、

『第十五代・徳川将軍・・・』

となった慶喜公では、これまでのように、建言を申し述べるための拝謁も出来ぬ

『雲上人・・・』

となってしまわれたし、如何な賢明な人と云えども、この傾いた幕府を立て直すなど、土台無理な話だと見極め、喜作と

『いっそ、出奔するか・・・?!』

と談合したりもしたが、斯と云って、次に打つ手も直ぐには浮かばない二人は、ただ悶々と、

『無為の食禄を食む身・・・』

となって居て、いよいよ、その境遇に嫌気が差して、

『いつまも因循として、亡国の臣となることは 必然であるから、 元のとおり、浪人に戻ろう・・・!』

と二人で話し合って定めたところに、降って湧いたように、

『仏国行の御内意のお達し・・・』

を告げるお呼び出しが飛び込んで来てしまうのだから、この仁の人生は、実に奇々怪々と云うしか無いし、逆に云えば、つくづく運が強いと云うか・・・(笑)
 

(つづく・・・)