・外国を識る(大陸編)・・・(16) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 昨今の上海を映す映像や画像では、必ずと云って善い程映される、あの中央に丸い球体を串刺しにしたような塔や、その周りに聳え建つ

『超高層ビル群・・・』

など、まだ視る影も無かった時代である・・・(笑)

 

(画像は、Tripadvisor より拝借)

 

 まだ、公園も樹々が立って居て、その木陰では、地元のオジサン、オバサンたちと思しき人たちが、彼方此方でおっとりと

『太極拳・・・』

を嗜んで居た、長閑な時代だった・・・(笑)

 

(画像は、Tripadvisor より拝借)

 

 バスから降りた全員が、少し離れた場所に立って待ってくれて居る袁さんの周りを取り囲むように立ったところで、

『みなさーん・・・、此処が、上海で一番有名な「濱江大道(ビンジャンダーダオ)」と云うところでーす・・・!』

と云ってくれたのだが、その段階では、誰もが、チンプンカンプンな顔をして居るのみ・・・(笑)

 

 そこで初めて、先ほど、バスの中で、女性ガイドさんがたどたどしく宣った、

『これから・・・、皆さまを・・・、○△◇?・?へご案内しまーす・・・!』

と云う意味不明の

『○△◇?・?・・・』

の意味が、腑に落ちて来た次第・・・(汗)

 

 つまりは、彼女は、この

『濱江大道・・・』

のことを、中国語の発音で云ってくれて居ただけのことだった訳だが、Nippon 人ご一行には、その

『本場の発音・・・』

が上手く聴き取れて居なかっただけの話だったのだ・・・(笑)

 

 以前の『香港&台湾旅』でも経験して居た現象であるが、久しぶりに、

『中国語の発音の難しさ・・・』

を想い出した瞬間だった・・・(汗)

 

 我が御義父上様も、本場、中国大陸に

『一朝の長・・・』

は有らせられるが、何せ、その時は、

『鉄砲担いだ兵隊さん・・・』

だった訳だから、そんな素養が在られるはずも無く、ぶりっ子婿殿よりも戸惑って居られるご様子で・・・(笑)

 

 一団の、そんなチンプンカンプンな顔など一向気にせず、然も自慢気に、公園を横切るように川岸に向かって歩き始めた袁さんに従ってゾロゾロト歩いて行ったら、途中に、

『濱江大道・・・』

と記した立派な朱御影石の石碑が据えられて居たから、そこで、初めて、此処が、『濱江大道』と云う漢字で表される処だと、教えられた次第で・・・(汗)

 

 この石碑を視て、参加したNippon のオジサン&オバサンたちは、皆が密かに

『ひんこうだいどう・・・と、書くんだあ・・・!』

と呟くのだった・・・(笑)

 

 そして、心の中で、

『何だよ・・・、漢字で教えてくれれば、簡単に読めるし判る名前じゃ無いか・・・!』

と毒吐いたりして居たが、以降7日間、ジジイたちは、ずっと、この

『発音のギャップ・・・』

には、苛まされ続けるのである・・・(笑)

 

 アルファベット圏の観光客なら、最初から

『俺、判らん・・・!』

と投げ出して済ませるところなのだが、なまじ、母体の漢字を識って居るが故に、この

『発音の違い・・・』

に苛むのだが、一方では、それ故に、助かることもたくさん有る訳で・・・(笑)

 

 その一番は、行った処行った処で、掲げて有る看板や案内板の漢字を読めば、そこが、何の場所かや何を云わんとして居るかの、大方が理解出来るし、何よりも一番助かったのは、

『筆談なら、通じる・・・!』

と云うことだった・・・(笑)

 

 若し訊きたいことが生じて、近くに袁さんや日本語が判る人が居ないときは、メモ帳や紙片を取り出し、漢字を書けば、大体の意味は通じるし、書いて貰えば、大方の意味は理解出来る仕掛けになって居るところが、

『中国の有難さ・・・』

でも有った訳だが、もう今(=現在)の中国では、この有難い技は、昔ほどには遣えない・・・(笑)

 

 それは、これ以降に、このお国では、使用する母国語(=漢字)

『一気の簡体文字化・・・』

が進み、昔の漢字は、今の中国人には、ほとんど通じなくなって居るのを、ジジイは、一昨年、三十数年ぶりに往った

『大連旅行・・・』

で、痛烈に想い識らされた次第だ・・・(汗&笑)

 

 いかん・・・!

 また、余談に奔ってしまった・・・(汗)

 

(つづく・・・)