・外国を識る(大陸編)・・・(13) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 727に別れを告げて、ボーディングブリッジを渡って、これまた

『バカでかいターミナルビル・・・』

の2階ロビーへと向かうのだが、ほとんど横に並んで歩く御義父上様の脚取りも、自ずと軽く弾んで居るように視えるような気がして・・・(笑)

 

 チャーター便を離れて、いよいよ、自分のツアーを率いる形になった、添乗員のH田さんの掲げる紺色の小旗を視失わないように、総勢28名の

『R・Sと往く中国6泊7日の旅・ご一行様・・・』

の一団は、まるで蟻の行列のように、その脚を弾ませながら進み・・・(笑)

 

 海外旅行で、一番最初に通る関門の、

『Immigration Counter (=入国審査)・・・』

など何の問題も無く、二、三時間前に、鹿児島空港で叩(う)って貰ったPASSPORT の同じ項に、

『上海・CHINA ・・・』

の紅いスタンプを、些か乱暴気味に叩き捺して貰い、次に進んだ手荷物受取所で、預けた旅行バッグを受け取り、そのまま進んだ

『Costoms Counter(=税関審査)・・・』

など、何のお咎めも無く通過するが、この15分ほどの流れの間に感じたのは、兎に角、この空港内に居る係官たちの

『人相が悪い(=眼付きが厳しい)・・・』

と云う感懐だったのを、今でも忘れない・・・(笑)

 

 別に、

『笑顔で迎えろ・・・!』

と云うつもりなど毛頭無かったが、兎に角、その眼が、

『こいつ等、日本人(リーペンリェン)だ・・・!』

と云う眼で視て居るように感じられて、五年ほど前に渡った香港や台湾の時とは、明らかに違う

『尖った空気・・・』

を纏って居るように感じらた・・・(汗)


 そんな違和感を感じながら、到着ロビーに出ると、これまたダダッ拡いフロアーの正面から少し右手に、画用紙のような白い紙に、マジックインキで、

『MBC開発様・・・』

と太く大きく書かれた紙を掲げた男性が、にこやかな顔で待って居てくれ、その脇に、もう一人、バスガイドと思しき女性も佇んで居た・・・。

 

 一緒の

『727・チャーター機・・・』

に乗って来た、他の幾つかの旅行社のグループも、それぞれが同じような光景を、其処此処で繰り広げて居て、旗を持ったH田さんが、早速、その男性の立つ場所へと歩み進んで行くので、当然、ジジイ等一団もそれに続く訳で・・・(汗)

 

 その現地ガイドと思しき男性と、H田さんが、手短かに何やら打ち合わせをすると、男性が、一団を眺めるように視て、如何にも流暢に聴こえるNippon 語で、幾分照れ臭そうな笑顔を浮かべ、周りの喧騒を弁えて、声を張り上げるようにして、

『はい・・・、では、皆さん・・・、ようこそ中国へー・・・!』

と云って一礼した後、頭を上げて、悪戯っぽい笑い顔を浮かべて、

『熱烈歓迎、でーす・・・!』

と宣ってみせたのには、一行全員が、一気に気分を高ぶらせたと云うか、喜んだと云うか・・・(笑)

 

 なかなかに

『茶目っ気を宿したガイドさん・・・』

だったらしく、このお道化で、参加者全員が一気に和んだ空気を掴むと、続けて、

『これから・・・、バスまでご案内しまーす・・・!』

と宣ったのだが、その人相は、間違い無くNippon 人の骨格とは違う

『中国人的人相・・・』

だったのと、もう一つの特徴は、

『頭一つだけ抜け出た長身・・・』

だったことだった・・・(笑)

 

 恐らくは、180cm以上は有りそうなガイド男性のお陰で、ジジイ等は、その後頭部を目印に後に従えば善かった訳だが、到着ロビーから、用意された貸切りバスの駐車場までは、この空港全体のダダッ拡さを想えば、然程の距離には感じなかったような気がする・・・。

 

 そこは、西側資本主義諸国の懐を狙った中国政府の、

『外貨獲得のオ・モ・テ・ナ・シ戦略・・・』

と云ったところだったのだろうか・・・(笑)

 

(画像は、ameblo.jp より拝借)

 

 そんな訳で、上海虹橋国際空港に到着して、凡そ30分も経った頃には、ジジイ等一行は、

『中国・上海の貸切り観光バス・・・』

の中に積み込まれて居た訳だが、朝、鹿児島空港の国際線ターミナルの一階ロビーに集まってから、このバスに乗り込むまでには、一行28人の顔触れも、自然と判るようになって来たりして、どちらからとも無く

『どうぞ、よろしくお願いします・・・!』

と挨拶し合い、

『どちらから、ですか・・・?』

とか、

『お連れさんは・・・?』

とかの探り合いも、彼方此方で繰り返される訳で・・・(笑)

 

 そのプロセスの中で、ジジイが目聡く悟ったのは、このツアーが、MBC(=南日本放送)の看板女性アナウンサーである(=あくまでも『当時』だが・・・笑)

『R・Sさん・・・』

の名前を被せて居ることも有ったのだろうが、そのR・Sさんのお識り合い(=お友達)と思しき

『セレブ女性陣・・・』

が、概ね5~6人参加して居ることと、年配の夫婦連れが、これまた5~6組ほど混じって居ること・・・(笑)

 

 これに、友達同士らしい3~4人の女性の組が一組加わって居て、

『男だけの連れ組・・・』

は、ジジイと御義父上様だけで、残りは、

『独り参加の男性が、3~4名か・・・?』

と云う構成比だと云うことだった・・・(笑)

 

 そして、この目算が、概ね外れては居なかったことを、ジジイは、このバスに乗り込んでからの座席の取り方で、改めて確認したのだが、結論から云えば、ジジイら二人の他には、男性の独り参加者は、我が御義父上様と然程変わらぬご年配の

『お二人だけ・・・』

と云うことが判り、つまりは、此処に、

『男だけの四人組・・・』

が、図らずも一組成立して居り、この四人は、以降の7日間を、ほとんど行動を共にすることになる訳で・・・(笑)

 

(つづく・・・)