・外国を識る(大陸編)・・・(7) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 そんな

『些か複雑な心境・・・』

に陥りながらも、今更、後へは引けなくなったジジイは、何せ、

『人前では、快い顔・・・』

を演じることにソツは無いから、上機嫌の御義父上様&御義母上様が、

『婿殿の旅費も、家(うち)が出そう・・・!』

と仰ってくださるのを、

『否々、それはなりませぬ・・・!』

と云う態で、丁重にお断りし、厚過ぎる面の皮で、

『本当なら・・・、御義父様の分も、私等がお出しして差し上げるべきなのですが・・・?!』

などと、心にも無いお調子をくれたりして・・・(汗)

 

 我が女房殿は、実家の両親の申し出を、

『折角だから、出して貰えば善いじゃない・・・!』

などと、然も当たり前のような顔でジジイに毒吐いたが、男としたモノ、そうした借りを創っては、

『漢(おとこ)が廃(すた)る・・・!』

などと、空見栄を切るのだから、世話は無い・・・(笑)

 

 最早、35年も前の話だから、記憶は正確では無いかも識れないが、あの当時の

『鹿児島発着、中国・6泊7日の旅・・・』

は、確か、

『27万円・・・』

だったと記憶して居る・・・・?!

 

 今と違って、中国の通貨価値が、まだ

『1元=5~6円・・・』

だった頃だが、それが安かったのか高かったのか・・・?

 

 そんな余談もだが、ジジイがご機嫌取りも兼ねて強いられたのは、御義父上様の

『PASSPORT 発給申請・・・』

から始まる訳で・・・(笑)

 

 何せ、

『第一回目の中国大陸訪問・・・』

は、遥か数十年前に、大日本帝国(=昭和天皇陛下)発出の、

『赤紙(=召集令状)一枚・・・』

と云う、まったく有り難くない

『Free PASSPORT・・・』

で渡って居られる訳で、それ以外に、戦後の日本国政府になってからは、海外旅行など為さったことの無い御義父上様だから、今回のTour の正式な申し込みで、先ず最初に要求される質問が、

『PASSPORT は、持って居らっしゃいますか・・・?』

と来るのは、当然だ・・・(笑)

 

 それもだったが、当のジジイのPASSPORT も、前回の

『香港&台湾・二週間洋上研修旅・・・』

の際に取得してから、既に五年の有効期限が過ぎて居て、結局、二人揃っての

『PASSPORT 取得申請・・・』

をする羽目になったのだから、世話は無い・・・(笑)

 

 またまた余談に奔るが、この女房殿との結婚が決まった時に、ジジイは、

『結婚式はしない・・・!』

と駄々を捏ね、仲人を引き受けてくれた先輩夫婦の奥方様から、

『あんた、ねえ・・・、結婚式と云うのが、女にとってどんなに大事な事だか判ってんの・・・!』

と、これまた眼を三角にして怒鳴られたのだが、

『あの雛壇のような処に座るのだけは、絶対嫌だ・・・!』

と突っ張り通し、遂には、仲を取り持ってくれた先輩の、

『会費制のパーティー形式なら、善いだろう・・・?!』

と云う折衷案で妥協したのだったが、当時、ド田舎でも、ボチボチ流行り出して来て居た

『海外新婚旅行・・・!』

を企んだジジイに、今度は、喜ぶはずだとばかり想い込んで居た変わりモノ女房殿が、

『わたしは、海外より北海道に往きたい・・・!』

などと、殊勝な顔をして駄々を捏ね・・・(笑)

 

 結局、これも先輩の奥方様の

『あんたが、譲りなさい・・・!』

の一声で、折角目論んだ

『ニュージーランド&オーストラリア・8泊10日の旅・・・』

が吹き消されて、

『北海道・6日間の自由旅・・・』

へと変えられて、ジジイが姉から借金までして取得したPASSPORT は、机の引き出しの中で、貴重な五年間を、たった一回遣っただけで、期限を切らしてしまって居たのだった・・・(笑)

 

(つづく・・・)