11月26日

 久しぶりにまとまって小説を読む時間が取れた。でも、本を読む時間は早い方ではない。良く、速読出来ればな、と言う人がいるけれど、本を楽しもうと思ったら早く読める事は邪魔になるのではないかな、と思う。ちなみに、このブログ上では、読み終えた本は記載する事にしているけれど、一応小説だけにしている。専門書や戯曲なんかは掲載していない、はず。後、ネタバレになる様な事は書かないつもりなので、批評めいた物を期待してはいけない。めいていない物も無い。期待している人がいれば、だけど。
 そう言えば(めいた物と言えばという意味)、子供の頃近所のスーパで『手作り風メロンパン』と言う商品が売っていた。手作り風にする意味は、あるのか?手作りではない、という印象を植え付けるのには適していると思うけれど。
 似ているや何とかの様、風のという言葉には必ず、元になる物が必要だ。何かはじめの物があって、それに対してどれだけ近似しているか、という事だ。
ただし、似ているね、と評価されている場合、まず間違いなく比較されたはじめの物の評価を超えてはいない。すごくがんばって、同じくらい、までだろう。似ている、という言葉は少なくともポジティブではないと思う。
 ただ、これが人になると、多少複雑だ。有名人の誰それに似ているね、と言われた場合がそうだろう。他人に誰かの顔を説明する時に、有名人を例に挙げるのはわかる。有効だと思う(他人に顔を説明する必要があるのか、という部分は疑問だ)。これが、芸能人だと、有名じゃない事も多いから注意が必要だ。
 似ていると言った当人が、例えた有名人を好きならば、その人には劣るけど好感触だよ、という事。最大で同じ位好き、だろう。嫌いだと、あっさりと当人を超えて嫌われる事もあるだろう。どうでも良い場合は、どうでも良い以上にも以下にもならない。やはりどちらかと言えば、ネガティブか。
 なのに、何かに(誰かに)似ているねという会話が、そこここで起きている。多分、ほとんどの人がどうでも良い、のパタンで使っているのだろう。