月がきれい

月がきれい

気まぐれに更新。

投げやりに生きたら後悔することを忘れずに。
人が発する言葉は自己紹介。人を蹴落とす発言をする人は、自信があるようで無い人。自信があるなら、わざわざ表現しない。それを、本人も認めてる。攻撃的な人に自分から近寄らなくて良い。








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これから私の新しい人生が始まる。
そう思っていた矢先に丁度、メガマソが結成されました。
11年前…私が18歳になる年だった。
あの頃は、まだ音楽に夢中だった。
いつも情報誌をチェックして、音楽番組は片っ端から録画していた。
新しい音楽を聞くと、新しい自分へ更新された気になっていた。
やっと苦しみから抜け出せる。
そう思っていたのに、新しく困難な苦しみに飲み込まれた。

今の自分を、11年前の自分が知ったら、どんなに悲しむだろう。
私は何が変わったのだろう。
出来ないことが増えただけじゃないか。
まだ自分の人生に責任を持てない。
だから自由じゃない。
まだ足枷を外せないでいる。
外して逃げ切ったとしても、自分の身を守る術を持っていない。
路頭に迷っても自己責任。

もう11年も経つのに、私は何も変えられていない。
なのに時間は過ぎて、何があったとしても自分の人生の責任を負わなければならない期限は迫ってきている。

教えなど殆ど無い私に、自分の何を変えられるのか?
どうやって生きていけというのか?

メガマソの話とは、だいぶズレてしまった。
メガマソの世界に幕が下ろされるまでの11年間、私は何が変わったのだろう?
孤独に慣れ、孤立して、支配から逃げ切れず、不安が大きくなるだけで。

偶然、見つけた「奇跡」は、私の恐怖の記憶を打ち消す程の楽しみや、自分の中で渦巻く悪意から気を逸らしてくれました。
悲観的な気持ちを無くすには、上記のような方法が心理学にはあるけど、ただの統計学に、何の支えも感情もありません。

人間は感情のある生き物だから、機械みたいに簡単に割り切ったり、不要なものを削除できるほど出来は良くないんです。

11年間、私は一体、何を変えられたんだろう。
ただ存続して活動しているだけで嬉しかった。
私はメガマソを見ているのが楽しかった。
そんなメガマソの歴史が終わる。
今までメガマソを支えてきてくれた皆さん、有り難うございました。
在り来たりな言葉しか思い付かないけど、11年間、見たこともない奇跡を見せ続けてくれて有り難う。