昨日、二輪レーサー・阿部典史選手の告別式に行って参りました。
場所は青山葬儀所。

“ノリック”と呼ばれて愛された天才ライダー。
もしかすると日本よりもっとイタリアやスペインでは知名度が高かったかもしれません。
初めてその名を知ったのは、1993年の春。
当時僕は『ミスター・バイクBG』という二輪誌でバイトする大学生だったんですが、
あれはたしか編集部で聞いたのかな。
全日本ロードレース選手権500ccクラスでのデビュー戦で、
最後尾から2位まで追い上げた17歳がいるって。
「ドゥーハンに似た乗り方の奴だ!」
その映像を観たのはテレビ東京の『モーターランド2』だったかと思います。
上体を起こし気味にして、
暴れるマシンをギリギリ手なずけているような。
強引にねじ伏せているのか、マシンと対話しているのか。
当時ちょっとサーキットを走り始めた程度の自分には、
一体何が何なんだか。。。
ただ、その危うい速さに魅了されつつ、
ヘルメットを脱いだときの幼さにズッコケつつ。
何だか妙な気持ちでその活躍を遠くから見ていた感じ。
デビューイヤーにしてあっさり全日本王者となった彼は、
続く1994年の春、世界GP第1戦・鈴鹿ラウンドにスポット参戦します。
当時はGP1といったかな?
世界最高峰の500ccクラスに挑む18歳のノリック。
「勝てますかねぇ!」
一緒にテレビ観戦していた後輩に聞かれました。
そういやその後輩ってのが当時ガンガン峠を走り込んでいて、
この年の秋には仲間内最速(笑)になっちゃうんですけどね。悔しかったな~!
ま、話を戻しましょう。
まっすぐに捻くれていた僕は、
日本人選手の活躍ばかり騒ぎ立てるのが好きでなかったので、
ノリックのことよりも、大好きなケビン・シュワンツが
'93年に続いて年間タイトルを獲れるかどうかに注目していました。
前年3位のミック・ドゥーハンが脅威でしたからね!
(結局ドゥーハンはこの'94年から5年連続王者となる訳ですが)
「うーん、ノリックはタイヤがもたないんじゃないか?
ほら、全日本でもずいぶん(マシンが)暴れてたし、世界GPだと周回数多いし…」
なんて後輩の前で物知り顔のワタシ。
いざレースが始まったら、あ然、そして熱狂ですよ!
先頭集団はシュワンツ、ドゥーハン、そしてノリック。
3人が激しく順位を入れ替えながら周回を重ねるんですから、もう!!
惜しくもノリックは終盤、第1コーナーで転倒してしまい、
僕らは「あ~っ!」と肩を落としてしまうんですが、
世界に与えたインパクトは絶大だったようです。
'01年~'05年王者となるヴァレンティーノ・ロッシも、
「毎朝学校に行く前にこのレースを見返していた」といいます。
その後、元世界王者のウェイン・レイニーに見込まれて
ホンダ系列の国内チームからからヤマハへと移籍したノリックは、
本格的に活躍の場を世界へと移します。
振り返ればGP最高峰クラスに'95年~'04年の10年間フルエントリーしたのかな。
息長いですね。
その間に3勝を収めて、スーパーバイク世界選手権を経て、
今年が久々に全日本復帰。その最終戦を控えて、何と公道で事故にあったのです。
右車線を走行中に左車線からトラックがUターンかましてくるという、
無茶な話だけど過去に自分の上司も同じ目にあって死にかけたので、
意外とある事例なんでしょうね。きっと。
そんなん、いくら天才ライダーでも避けきれねえよ。
…。
遺影は1996年、世界GPで初優勝したときに表彰台で見せた笑顔でした。
あの優勝シーンはよく覚えてますよ。
取材を終えて編集部に戻ったとき、
「ああヤベエ今日だ!」と慌ててテレビ点けたらノリックがトップ独走していて。
そのままチェッカー!
「ぅああああああああああああ!やったああああああ!」
そんな感じだったな。
甲高い雄叫びを上げる様を、やけに嬉しい気持ちで眺めていたものです。
思えば随分とイイ夢を見させてもらいました。
二輪誌の記者とはいえ面識もない僕ですが、
感謝の気持ちからなんでしょうね。何か無性に参列したくなったのは。
何でも夕べのニュースでは3000人も集まったんだとか!
出棺のとき、皆で応援旗を振りました。
あまりの呆気ない最期は、残念だし、虚しいし、やりきれない。
けど、あちこちから聞こえてきたのはすすり泣く声だけじゃありません。
「ノリックー!」
「ありがとーっっ」
映画『イージー・ライダー』から一言引用しましょう。
「人の価値は棺を覆って初めて定まる」
本当にありがとう! ノリック!