旧交のある幸福と映画『ひめゆり』について。 | 路上から眺める平和なような日常

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拙著『憲法9条の逆襲!』連動ブログから衣替えしました。
たまー・・・に更新します。きっと。

圭君がブログで僕のことを紹介してくれました。
って自分の名前も圭なんだけどさ!

いやー、もう十年以上のお付き合いですか。
身もフタもないこと書かれちゃってますが、ハハッ!
しかし古い仲間ってのはいいもんだと常々思います。
またメールやブログ、SNSなんかのおかげで近況もつかみやすくなったし、
そういうのが実感しやすくなった点がすごくいいですね。近年。

元ロッカーの“骨盤院長”こと圭君についてはまた近々触れましょう!

ところで古い仲間といえば……。
『ひめゆり』っていう記録映画を観ました。
ホントは今日封切りの『サウスバウンド』あたりの方がスゴク観たいんだけど、
エンタテインメントへの欲求とは別に、こいつは観ておかないとなぁって。
知花竜海さんが勧めてくれてたもんで。

陸軍病院に動員された十代の少女たち。
彼女たちの職場は赤十字の旗の下ではなく、銃弾飛び交う前線だった……。

211名が亡くなったといったかな。
忘れてしまいたいはずの記憶を、生存者の一部が語ってくれているという。
その内容は、やはり重い。重過ぎる。

いまだ口を閉ざしている生存者もおられると聞けば、
無理もないと思います。

だって、想像できますか?

壕の中で兵隊さんの傷口に湧くウジをピンセットもなしに取り除いてやる作業を。
切断したばかりで体温の残る腕や脚を手術台から引きずって歩く自分を。
既に失われてしまった手を握ってくれと兵隊さんから請われる場面を。
何人も何十人も見殺しにしなければならない日常に慣れる現実を。
爆撃を受けて壁にへばり付いた友だちの亡骸を見る瞬間を。
腹が割けた、頭が割れた、胴体だけになった知人の姿を。
火炎放射や銃弾から逃げまどう海岸の地獄絵図を。
味方の兵隊さんに、いっそ殺してと頼む覚悟を。
ガスを放たれた壕で混乱と恐怖のなか、死んでいくのを。


「神国日本が負けるはずはない」なんて根拠もないことを信じ込み、
「捕虜になるくらいなら潔く死ね」と教え込まれたが故の悲劇。

そいつを知った上で、先の教科書問題など考えてみるといい。

たとえば軍が住民に自決を強制したかどうか、
白黒はっきりさせるのは難しいでしょう。
ただ軍の関与を否定できることは誰にも出来やしないんじゃないか。
そのあたりを考えると、伝え方は幾通りかあると思う訳です。

そこで、たぶん、一度考えなきゃいけないのは、
何のためにそれを教えるか。そうでしょう?

たとえば「主張する外交」を展開するためフタをするのか。
それとも二度と戦争を起こさないために直視するのか。

後者であって欲しいと切に願いますね。僕は。


忘れてしまいたいであろう恐ろしく辛い記憶を掘り起こして、
後世のために語り継いでくれる“おばぁ”たちに感謝しつつ、
竜海さんが教えてくれた、この映画の紹介文をご紹介しましょう。

SCHOOL OF LOCK! & Cocco meets “ひめゆり”



ひめゆり