災害対策 | 路上から眺める平和なような日常

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拙著『憲法9条の逆襲!』連動ブログから衣替えしました。
たまー・・・に更新します。きっと。

遅い朝食の用意をしていたら大地震のニュース。

折しも参院選中の休日、長崎市で演説をしていた安倍首相は、
これから東京に戻ると述べた……と報じられています。

自民党には酷かも知れないが、当然、選挙より災害への対応が重要だ。

おそらく阪神大震災の教訓を活かして、
政府の危機管理体制ははるかに改善されていることと思う。


以下、1995年2月2日付の毎日新聞「検証・阪神大震災 兵庫県南部地震 その時、政府は/上 官邸、情報過疎に焦り」より抜粋します。


◇阪神大震災ドキュメント◇

【17日】

 5時46分 地震発生。のちに神戸で震度7と判定

 6時15分 警察庁、全国の機動隊に出動待機を命令

   45分 兵庫県警、他府県警に機動隊派遣を要請

 7時14分 陸自の偵察ヘリコプター発進

   30分 首相秘書官、村山首相に震災状況報告

   58分 陸自部隊、阪急伊丹駅で人命救助活動

 8時10分 陸自、兵庫県に電話で自衛隊の災害派遣出動要請を促すが

       「被害状況不明」の返答

 9時0分  防衛庁陸上幕僚監部が震災対策の作戦室を開設、非常勤務態勢を発令

  50分  警察庁が震災状況を発表(死者22人、負傷者222人、

       生き埋め223人)

10時0分  兵庫県知事、陸自に出動要請

       自治省消防庁、大阪府消防本部などに派遣出動を要請

   4分  閣議開始、非常災害対策本部(本部長・小沢国土庁長官)を設置

11時0分  警察庁の震災状況、死者98人

  15分  国土庁で関係23省庁の連絡会議

  25分  国土庁で非常災害対策本部の初会合

12時0分  警察庁の震災状況、死者203人

   7分  政府与党連絡会議、村山首相が死者数203人に「えっ」と驚く

13時10分 陸自部隊の第1陣、神戸市に到着

14時38分 小沢国土庁長官ら政府調査団、航空自衛隊の輸送機で

       埼玉・入間基地から出発

17時0分  陸自、計1000人を人命救助に投入、海・空自も艦船・航空機で

       物資と人員を輸送

20時0分  陸自、計2300人を投入

 【18日】

 2時45分 警察庁の震災状況、死者1712人

 9時46分 臨時閣議

10時15分 在日米軍が救援の提案(食料・毛布の贈与、医療支援、

       輸送手段の提供)

12時45分 警察庁の震災状況、死者2014人

17時12分 村山首相に小沢国土庁長官らが視察報告

18時31分 地震対策関係閣僚会議

 【19日】

 2時45分 警察庁の震災状況、死者3021人

10時13分 村山首相が自衛隊機で神戸視察へ出発

11時1分  スイスの捜索犬12匹を自衛隊が空輸

15時0分  石原官房副長官、自衛隊の出遅れを批判、防衛庁は反論

18時0分  陸自、計1万3000人を投入

20時2分  帰京した村山首相、閣僚会議を格上げした緊急対策本部の第1回会合

23時45分 警察庁の震災状況、死者4015人

 【20日】

13時30分 村山首相、小里震災担当相を任命

 【22日】

18時0分  陸自、計1万6000人を投入

 【23日】

18時45分 警察庁の震災状況、死者5002人で5000人を突破



赤い文字のところ(17日12時7分)、当時テレビニュースで流されていたと記憶している。
その2時間前、閣僚会議が和やかに執り行われている様も…。

まだ学生だった僕だが、これは酷いと思った。
昼時といえば世間は既にショック状態だったが、
そのときまで時の首相事の重大さを知らなかったのである。
これは情報を上げる体制などの問題ではなく、
意識が低かったということだろう。

あれから12年。

しかも新潟では3年前にも「新潟県中越地震」があったばかり。
負傷者の救護と復興作業が速やかに進みますように、と願う。