Alexander the Great

アレキサンダーはマケドニアの王フィリッポス二世の息子として生まれ、父親の跡を継いでギリシア、ペルシャ、エジプト、インドまで勢力範囲を広げた。


映画関連目次(闇雲映画館)

製作年:1956,監督:Robert Rossen,脚本:Robert Rossen


■ はじめに

◆ 登場人物(キャスト)

アレキサンダー大王(リチャード・バートン)
フィリッポス二世(フレドリック・マーチ)
オリンピア(ダニエル・ダリュー) フィリッポスの妻
パルメニオ(ニオール・マッギニス)
アリストテレス(バリー・ジョーンズ)
アッタロス(スタンリー・ベイカー)
エウリュディケ(マリサ・デ・レザ) フィリッポスの妻
パウサニアス(ピーター・ウィンガード)
カラノス(?)
メムノン将軍(ピーター・カッシング)
バルシネ(クレア・ブルーム) メムノンの妻
ダレイオス3世(ハリー・アンドリュース)
ロクサネ(テレサ・デル・リオ)ダレイオスの娘
ゴルディアス(?)
アリスタンドロス(Jesus Luque)
アイスキネス(ウィリアム・スクワイア)
クレイトス(?) アレキサンダーの親友
ダリアス(?) バビロンの王
デモステネス(マイケル・ホーダーン)ギリシャの弁論家

◆ 補足

我々が「アレキサンダー大王」と呼んでいるのは「アレキサンダー三世」のことである。「アレクサンドロス」とも呼ばれる。

出生は紀元前356年7月20日、死没は紀元前323年6月10日。32歳没。このような昔の人物の出生と死没が日付まで分かっていることに驚く。

彼の活躍範囲はギリシア、ペルシャ、エジプト、インドにまで及び、数多くの戦争に負けたことがないそうである。

それだけではなく、ヘレニズム文化の拡散、都市建設による学問・商業の発展、民族融合政策なども行った。

リチャード・バートン(1925年11月10日-1984年8月5日:58歳)は有名俳優で出演作は多い。

エリザベス・テイラー(1932年2月27日-2011年3月23日:79歳)と二度結婚している。エリザベスは7人と8回、リチャードは4人と5回結婚。

二人は「(1963)クレオパトラ/Cleopatra」で共演し、恋愛関係になったが、二人とも配偶者がいたためスキャンダルとなった。
 


■ あらすじ

◆ アレキサンダーの誕生

フィリッポス二世が北ギリシャのオリントスに遠征していた時、妻のオリンピアが息子を産んだという知らせが届いた。

彼は妻が姦通を犯したのではないかと疑ったが、将軍のパルメニオは彼を諫めて、生まれた息子を後継者にするように進言した。

息子の名前はアレキサンダーと名付けられた。

◆ アレキサンダーの成長

アレキサンダーは立派な少年に成長し、偉大な哲学者のアリストテレスから教えを受けるようになった。

彼は歴史、数学、論理学などを学ぶとともに、政治や軍事にも意欲を示した。

ギリシャ神話に登場する英雄アキレウスのような人生を送りたいと考えた。

◆ マケドニアの首都を統治した

フィリッポスは自分が遠征に出ている間に、アレキサンダーにマケドニアの首都ペラを治めるように指示した。

それは妻の監視のためでもあった。

これによってアレキサンダーは、統治能力を養い父親からの独立も獲得した。

◆ カイロネイアの戦い

アレキサンダーはフィリッポスに合流し、紀元前338年のカイロネイアの戦いで、アテネなどのギリシャの都市を征服した。

彼は、これらの都市の武装を解除し、さらにペルシャとの戦争に備えるように指示した。

◆ アレキサンダーは王になった

フィリッポスはオリンピアを不貞の廉で離婚し、アッタロスの姪エウリュディケを妻とした。

アレキサンダーの母親は拒絶され、また宮廷の一部がアレキサンダーを私生児とみなしていたため、彼の王位継承権が危うくなった。アレキサンダーはそのように考えた。

フィリッポスと宮廷は、アレキサンダーの友人であったパウサニアスを嘲笑した。

パウサニアスはオリンピアの唆しでフィリッポスを暗殺した。

逆にアレキサンダーはパウサニアスを殺した。

続いてオリンピアスはフィリッポスとエウリュディケの間にできた息子カラノスを焼殺した。

結果的にマケドニアの王となったアレキサンダーは、すべてのマケドニア人に忠誠を要求した。

それに従わなかったメムノン将軍は追放された。

◆ グラニコス川の戦い

アレキサンダーはペルシャに向かって進軍をはじめた。

アケメネス朝ペルシア帝国のダレイオス3世の元に逃れていたメムノンは戦略的に撤退してチャンスを待つべきだと進言した。

だがペルシア側は、アレキサンダーを過小評価し、グラニコス川で決戦に挑んだ。

アレキサンダーはこの戦いに勝利した。

◆ アレキサンダーは神々を凌駕した

敗北したダレイオス3世はカスピへ逃亡し「自分の娘ロクサネを妻に迎えよ」として妥協を図った。

アレキサンダーはダレイオスを串刺しにして殺すように命じた。

アレキサンダーはバビロンで「我々は世界の果てまで進軍する」と宣言した。

この宣言はアテネまで届いてソクラテスの弟子のアイスキネスは「アレキサンダーは神々を凌駕した」と宣言した。

◆ アレキサンダー死去

だが多くの戦争に勝利したアレキサンダーに傲慢さと偏執狂がが芽生えて、これが際限なく増大していく。

アレキサンダーが友人であったクレイトスを酔って殺害し、彼の運命は反転していく。

インドまで遠征していたアレキサンダーはバビロンに向うが、この過程で多くの部下を失った。

ダレイオスの娘ロクサネと結婚するが病に倒れた。

アレキサンダーは自分が死んだら、遺体をユーフラテス川に流せと指示した。

「帝国を最強の者に引き継がせよ」と息を引き取った。