Bandit Queen

プーランは差別、虐待、レイプなど数々の苦難の後、盗賊のリーダーとなった。彼女が義賊であるかは疑問だが、一般の人々は拍手喝采を送った。


製作年:1994,監督:Shekhar Kapur,脚本:Mala Sen,原作:India's Bandit Queen:The True Story of Phoolan Devi(Mala Sen)


■ はじめに

◆ 登場人物

プーラン・デーヴィー(シーマ・ビシュワース):主人公
ムーラ:母親
デヴィディーン:父親
カイラシュ:プーランの従兄弟

プティラル
パンチャヤト
ヴィクラム・マラー・マスタナ
バブ・グジャール
タークル・シュリ・ラム
マン・シン
ババ・ムスタキム
 


◆ 補足

本作はインドの女性プーラン・デーヴィー(1963年8月10日-2001年7月25日:37歳)の伝記映画。言語はヒンディー語だが英語字幕がついている。

映画なので脚色はあるだろうが、ネットで確認できる彼女のストーリーとさほどは違わないようである。

本作はインド映画だが、現在インドは世界中で一番映画が作られている国である。年間の製作数は概数だが次のようになっている。

インド:2000本
中国:900本
アメリカ:650本
日本:600本

日本がわりと多い印象。当然以外の国は少なくなっている。

インドの映画製作の中心地はムンバイで「ボリウッド」と言われている。ムンバイの旧名はボンベイで、それとハリウッドを組み合わせた言葉である。

原作の翻訳本は二巻に別れている。「女盗賊プーラン」。上巻:978-4794207463、下巻:978-4794207470。

なお、同じ英語原題の「(1950)山賊女王/The Bandit Queen」という映画がある。主演はバーバラ・ブリトン(1920年9月26日-1980年1月17日:59歳)で、スペイン領時代のカリフォルニアで両親を殺された復讐をするストーリー。
 


■ あらすじ

◆ 11歳で結婚

1968年の夏、ウツタル・プラデーシュ州の村。わずか11歳のプーランはプティラルという20代の男性と結婚させられた。

母親のムーラは結婚に反対したが、父親デヴィディーンが結婚を強制した。

プーランはプティラルに連れられて船に乗って村を離れて、それから歩いてプティラルの家に行った。

◆ 差別と暴力と虐待

プティラルもプーランも下層のカーストに属しており、差別を受けた。

おまけにプティラルもプーランに暴力や性的虐待を行った。

さらに高位のカーストの男性からの性的欲求を突き付けられて、それを拒否すると村から追放された。

◆ 盗賊団に襲われた

それからプーランは従兄弟のカイラシュと暮らした。

だが別の村に旅行した時、ヴィクラム・マラー・マスタナが率いるバブ・グジャールを頭領とする盗賊団に襲われた。

怒ったプーランは警察署に駆け込むが逮捕され、警官に殴打され、さらにレイプされた。

タークル・シュリ・ラムが保釈金を払って釈放された。

だがその保釈金は盗賊団に流れた。

◆ 盗賊団の頭領が射殺された

プーランは引き続き盗賊団に捕らわれた。

頭領のグジャールが彼女をレイプした時、同情したヴィクラムがグジャールを射殺して、組織のリーダーとなった。

二人の間には恋愛感情が芽生えた。

この頃プーランはヴィクラムととも元夫のプティラルを訪れて、彼を拉致した。

◆ 全裸で引きまわされた

1980年8月。刑務所からタークル・シュリ・ラムが釈放された。彼が本来の盗賊団の頭領である。

彼はヴィクラムと対決して彼を殺した。またしてもプーランに地獄の日々が訪れた。

彼女は全裸で村を引きまわされて、その姿で水汲み作業を強制された。

◆ 盗賊団を結成

プーランは従兄弟のカイラシュの元に逃れて、しばらく休んだ。

彼女はヴィクラムの知人のマン・シンを探し出した。

二人は大規模な盗賊団を率いているババ・ムスタキムの元に向かった。

ムスタキムの支援の元にマン・シンとプーランは新たな盗賊団を結成し、二人はリーダーとなった。

◆ だが国家の敵となった

この点においてプーランは才能があったようである。勇気と狡猾さを持っており、大活躍した。

彼女の評判は高まり、民衆の英雄となった。そして「盗賊の女王」という称号で呼ばれた。

プーランは新たな一味を率い、勇気と寛大さ、謙虚さと狡猾さを兼ね備えていた。

1981年2月、ババ・ムスタキムが大規模な結婚式を行った。

その結婚式にタークル・シュリ・ラムが出席することを掴んだプーランは、結婚式を襲撃し、多数の男たちを捕らえて射殺した。

この事件でプーランは国家の敵となり手配された。

◆ ついに投降

彼らの追跡作戦が展開され、プーランたちは多くの犠牲を出して、食料も水もない険しい渓谷に追い込まれた。

この状況においてプーランは投降することを決意し、当局に伝えた。

1983年、高台に作られた会場で当局者が待っている。噂を聞いた多くの人々が詰めかけた。

プーランが現れて、ライフルを掲げた後、膝まづいてライフルを地面に置いた。

その後、人々の方を振り向いて、両手を合わせた。

ネット上の資料によると一万人が詰めかけたそうである。

◆ その後

この映画は投降する場面で終わっている。

その後、彼女は無裁判で11年間投獄された。

ウッタル・プラデーシュ州首相が働きかけて釈放された。

1996年、サマージワーディ党から出馬して国会議員となった。

だが2001年7月25日、ニューデリーの自宅前で射殺された。