論理的思考法というと価値があるものの代表のように思われている。ビジネス書としても多くのものが発行されている。多くの人が論理的思考法を体得したいと考えているようだ。
しかしここで、論理的思考法の限界について考えてみたい。もちろん論理的思考法の有用性は認識しているので、その点はお忘れなく。
まず「論理的思考法にはジャンプ力がない、あるいはジャンプ力が弱い」ということを指摘する。
論理的思考法は、あたりまえだが論理の積み重ねである。論理をこつこつ積み上げていく。確かにそれは確実な方法だが、それではカメである(←カメを槍玉に挙げてカメには申し訳ないと思っている)。
カメのように確実であることも確かに有用だが、大きくジャンプしたり、空を飛んでいくのには不適当だ。先の見えない現在においては、時には大きく発想の違う考えも必要なはずだ。それは論理的思考法の得意とするところではない。
次に「論理的思考法は誰にでもできる、誰でもおなじ結論となってしまう」。
いろいろな本やブログを読んでみると「論理的に考えていないのではないか」と思える本が非常に多いのも事実だが、それは措いておいて、論理的な結論には、着実に手順に従って考えれば確実に到達できる。
それは極論すれば書物で問題を解決でき、コンピュータで問題を解決できるという世界だ。それで問題が解決できるならば、生身の人間は不要である。生身の管理職や経営者はいらない。
誰にでもできるということは、利点でもあるが、しかしそれでは他社や他人と差別化することができない。
考えてみれば分かることだが、確実な情報があって、それを論理的に判断していけば、目的を達成できるという仕事は、実は極めて限られている。
多くは不確実な情報しか手に入れることができない情勢の中で決断を下さざるを得ない。そのような場面で有用なのは、経験や勘、常識や判断力、あるいは発想力である。
そしてこのような場面での判断こそが重大な判断なのだ。重大な局面ほど、情報は限られており、論理的に判断することは不可能なのだ。
