◆産業革命

ネクスト・ソサエティにおいて、ドラッカーは、産業革命と今日進行している、いわばIT革命を対比させている。まず産業革命をどのように分析しているのかを見てみよう。

蒸気機関。1785年に綿紡績に使用された。さらに続いていろいろなものの生産に使用された。「紙、ガラス、皮革、レンガの生産も機械化された」(p73)。「鉄鋼や鉄製品が蒸気機関の力によって機械化され、コストと価格を下げ生産量を伸ばした」(p73)。と、いろいろな消費財、生産財の生産量を大きく伸ばしたことを指摘している。

「ところが、これだけ大きなインパクトを与えた産業革命が、実際の最初の50年間にしたことは、産業革命以前からあった製品の生産の機械化だけだった。..(中略)..製品そのものは産業革命の前からあった」(p75)。

鉄道が1829年に出現した。「鉄道は、実際に発明されるまでは、そのようなものがありうることさえ気づかれなかった。..(中略)..鉄道こそ、産業革命を真の革命にするものだった。経済を変えただけではなく、心理的な地理概念を変えた。人類が、初めて本当の移動能力を得た。初めて普通の人の世界が広がった。しかも、その結果生じた変化は、直ちに広く認識された」(p76)。

「しかし、蒸気機関がらみの技術、さらには製造プロセスにかかわる技術は、やがて舞台の中心から身を引いた。代わりに、鉄道の発明後に芽を出した新産業、しかも蒸気機関とは無縁の新産業が躍動を始めた」p83。「これらの新技術に続いて、新たな社会制度が現れた。すなわち近代郵便、新聞、投資銀行、商業銀行だった」(p83)。

以上簡単に紹介したが、ドラッカーの主張をさらに要約すると、蒸気機関は生産性を挙げたが、それだけのことで新しいものを生み出さなかった。しかし鉄道の発明は、人々の世界観を変えて、蒸気機関とは関係のない新産業を生み出し、新しい社会の制度を生み出した。ドラッカーが、このことについて大きな確信をもっており、大きな重要性を認めていることが、筆致から窺える。

「蒸気機関は、生産量を伸ばしはしたが、新しいものは生み出さなかった」。議論を先取りすることになるが、そして彼自身は明示していないが、本書を注意深く読むと、ドラッカーは明らかに「新しいものは人間が生み出すものである」と考えていることが分かる。「当たり前ではないか」と言われるかもしれない。しかし改めて考えてみると、我々が通常はほとんど見落としている視点ではないか。機械が新しいものを作るのではない、ITやコンピュータが新しいものを作るのではない、制度が新しいものを作るのではない、新しいものを作るのは人間である。私が言っていることはお分かりだろう。

引用はしなかったが、鉄道は最初は、貨物用ではなく旅客用として作られた。そしてこの事実をドラッカーは非常に重視している。これまたその理由を明示していないが、よく理解できる。代弁すると鉄道が貨物用であったならば、それはスピードを速め効率を上げただけであり、新しいものではない。旅客用であったからこそ新しいものである。人体を運ぶのみならず、人間の精神を新しいところに運ぶのである。そしてこの新しい精神が新しいものを創造する。

このことからドラッカーが心理的な要因を大きく重視していることが分かる。もう一度先の引用を読んで欲しい。鉄道の出現の心理的な影響を極めて重視している。この心理的な変化、世界観の変化が、新しいものを生み出す原動力である(と彼は考えている)。

私が本書を読んで、もっとも納得・共感した部分は、ここである。新しいものを生み出すのは、緻密に収集された情報でもなく、精緻に構築された企業組織でもない。新しい精神を持って生まれ変わった新しい人間が新しいものを考え出すのである。自分自身が新しくなれば、新しいアイデアも浮かんでくるし、思いもよらなかった道も(、今までなぜそれが分からなかったのかが不思議なくらいに)突然見つかったりする。

注、このような考え方は魅力的なのだけれども、新しいものを生み出す力と、企業を運営し業績を上げていく力とは、基本的に別物であると思っている。前者は個人に属する力であり、後者は組織に属する力である。これについては後述する。


◆産業革命とIT革命

ドラッカーは産業革命とIT革命を対比させている。蒸気機関に相当するものが、コンピュータ。鉄道に相当するものがeコマース。

「1940年代の半ばにコンピュータの出現とともに始まったIT革命は、今日までのところ、IT革命の前から存在していたもののプロセスを変えたに過ぎない。情報自体にはいささかの変化ももたらしていない。..(中略)..昔からあった種々のプロセスをルーティン化しただけだった」(p77)。

「IT革命におけるeコマースの位置は、産業革命における鉄道と同じである。まったく新しく、またまったく予想外の展開である。そしていま、170年前の鉄道と同じように、eコマースが新しい種類のブームを呼びつつある。経済と、社会と、政治を一変しつつある」(p79)。

賛成するか否かは別にして、この主張は説明の必要がないほど明白だ。一つ指摘しておこう。普通IT革命とは、近年のコンピュータやインターネットの普及のことを言うのだが、ドラッカーはIT革命と言うものをコンピュータが出現した時からという長いスパンで考えている。

そして産業革命と同じように考えても見なかった新しいものが出現すると主張する。「しかし、絶対とまでは行かなくてもかなりの確率をもって予測できることがある。それは今後20年間に、相当数の新産業が生まれるであろうことである。このことは歴史の先例が示している。すでに現れつつある新産業にも見られるとおりである。バイオであり、養殖である」(p85)。「養殖が新産業なのか」と突っ込みたいが、それは別にしてドラッカーはご覧のようにかなりの確信を持って主張している。

これを読んで、次の課題が考えうる。


コンピュータはスピードを速めただけで、新しいものを生み出さなかったのか。
これに説得的に反論することは、おそらく可能である。しかしこれに「まじめに」反論することはむしろドラッカーの歴史理解を曲解することであり、また私のやりたいことではない。
ドラッカーは「マネジメントの大家」なので、暗黙のうちに企業経営などの分野を前提としている。したがって他の分野の反例を持ち出してもピント外れとなる。また彼の主張の全体を見ると、「コンピュータが新しいものを生み出さなかった」ということよりも、「eコマースが鉄道に相当する」ということに重点がある。
「何が単にスピードを速めただけで、何が新しいのか」という判断は事実認識であるとともに、価値判断でもある。実は事実認識と価値判断は、明確には区別できないのだが、これについては後述する。
スピードを速めること自体に意味はないのか。もちろん意味はある。ちなみにドラッカーも意味がないなどとは一言も言っていない。「新しいことではない」と言っているだけだ。実は、この項目は次の項目を明白にするために設けただけ。
スピードを速めることが別の変革の触媒となりうるのではないか。これが私が論じたいこと。後述する。
eコマースは鉄道に相当するのか。これから新産業が生まれてくるのか。これは予測なので取り扱わない。

◆スピードを速めることが別の変化を生み出す

この課題をもう少し一般化すれば次のようになる。「単純にスピードを上げることや、既知のものが大量に集積することによって、すなわち既知のものの量的な変化によって、まったく別の新しい変化を誘発することはないのか」。

まず、このことを認めるにしても、これをきちんと「証明」することは、きわめて難しいだろう。また後述予定の「事実認識と価値判断の区別の曖昧さ」もこれに輪をかけてしまう。

しかし私は、これをありうることだと思っている。これを認めるとドラッカーの産業革命の解釈やIT革命の解釈を少し違った観点から見ることができる。

鉄道やeコマースを量的な変化の結果だと考えたらどうだろうか。本書のこの部分を注意深く何度か読み返してみれば、蒸気機関から鉄道へ展開する過程、コンピュータ出現からeコマースへ展開する過程が不明瞭であることがお分かりだろう。

私のアイデアを言うと、蒸気機関による種々の生産物の生産性の向上、コンピュータによる種々の作業の生産性の向上というスピードの変化、すなわち量的な変化が鉄道やeコマースの誕生を準備したと考えたらどうか。

ドラッカーが鉄道やeコマースの影響を論じるときに、心理的な変化をきめわて重視したように、私も単なる生産性の向上における心理的な影響を重視する。むしろ私にとっては鉄道の心理的な影響を認めたドラッカーがなぜ蒸気機関による生産性の向上の心理的影響を認めることができなかったのかが不思議である。

蒸気機関やコンピュータによって生産性が向上し、少しずつではあるが、その結果を日常体験していることが、人々の心の中に少しずつ心理的な変化を蓄積し、ある日突然と思われる変化を準備したのではないかと見る見方もあると思われる。

最初に言った、これを証明することの困難性から、このような説明では不十分であることは認識している。また私が言いたかったことは、「量的な変化が、別の変化を誘発する」ということであって、これを説明するのに、鉄道やeコマースを持ち出すことが最適ではないことも知っている。後日、きちんとした説明にチャレンジしたい。