ながながとドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」(ダイヤモンド社)にコメントをつけてきた。本書ネクスト・ソサエティへのコメントとしては、この長さは世界一(!?)だと思うが、いかがだろうか。
結論から言えば、本書はドラッカーという知性が気力を集中して書いたものではないと思う。
読者の方は、私がかなり本書を批判したので、気分を害されたかもしれない。また私は「私が世間的な常識をわきまえていないために、分かってはいても言ってはいけないことを言ってしまったのかもしれない」との思いもあるが、私自身は、本書を読んで、むしろ評価している。
読者の方は、すでに私の性格をお分かりだと思うが、私は「自分が納得できないこと、価値があるとは思えないことを、実行できない」という性格である。価値がないと思ったら、これだけのコメントを書くことはできない。
昔、あるパソコン雑誌の編集長と話した時、「雑誌で取り上げるものは、いくら批判したとしても、価値があるものだ。価値がなければ最初から取り上げない」という言葉を伺った。このことを了解していただきたい。
論理的に説明できた部分、確信を持って言えた部分があり、一方で感覚的にしか言えない部分、確信を持って言えなかった部分がある。重要なのは後者である。今後さらに考える価値がある。論理的に考えれば分かることは、すでに分かったことであり、克服されたことだ。
最後に簡単にドラッカー(、ネクスト・ソサエティ)の考え方から印象に残ったものを挙げてまとめとしたい。
予測と主張を分けている。当たり前のことだが、これを区別していない、区別できていない書籍は多い。
技術ではなく社会の方が重要。ここにおいて社会とは何かということがあるが、それは措いておいて第一部の最後の文章を再度引用する。「ITは重要ではあるが、要因の一つに過ぎない」との見解の後、「ネクスト・ソサエティをネクスト・ソサエティたらしめるものは、これまでの歴史が常にそうであったように、新たな制度、新たな理念、新たなイデオロギー、そして新たな問題である」(p67)。このような点においては、やはりドラッカーは凡百を抜け出ていると思う。
二つのものの両立。第四部で「自立性を保ちつつ、一体性を回復する」という主張が展開された。われわれの目の前に起こるすべての問題は複数のものの対立である。なぜ「すべて」と断言するかと言うと、複数のものの対立がなければ、われわれはそれを問題であると認識しない。
それを「解決」するには、どれかを選択するか、それらのバランスをとるか、と言うことになる。これは必然のように思われる。
しかし思考の地平、世界観が変わることにより、それらの両立が可能となったり、あるいは問題が問題ではなくなったりすることがある。(すべてとは言っていない)。この点についてはドラッカーが意識的にこのようなことを考えていたようには思えないが、このようなことがあることを認識してほしい。
全体としてはドラッカーは歴史の流れを見て判断している。これはよくお分かりだろう。
対比による思考。これはすでに指摘した。産業革命とIT革命の対比、農業と工業の対比など、本書では頻繁に見られる。とても有益だが、諸刃の剣でもある。
ネクスト・ソサエティは価値のある書物である。お読みいただきたい。