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第一章で「偉大な企業ならば、ありそうなものが、見つからなかった」事実として8項目挙げている。その中から4項目紹介してみよう。
「著名で派手なリーダーが社外から乗り込んできたことは、偉大な企業への飛躍との相関性がマイナスになっている。飛躍をもたらした十一人のCEOのうち十人は内部昇進であった。(後略)」14p。
これは「改革を推進するには、外部の血を入れたほうが良いか」という問題と考えても良いと思う。曰く「身内同士では、甘くなる」、「内部からでは、視点が限られる」などの意見がある。理屈としては尤もである。しかし「外部から来た場合のほうが、遠慮して甘くなるのではないか」、「やはり内部からでないと、深い問題点は分からないのではないか」というような突っ込みも可能だ。ま、それは別にして若干教条的に言うならば「自分の内部から自発的に湧き上がってくるものでないと、本当の改革ではない」と言うことができる。外部からリーダが乗り込んだほうがやはりインパクトはある。そして強力なリーダシップで改革を進める。しかしそれは内部から湧き上がってきた改革ではない。リーダがいるうちは秩序が保たれる。盛り上がったように感じる。リーダが去った後、そのタガが外れて押さえ込まれていた問題点が噴出してくる。すると立ち去ったリーダには「やはり彼がいないとダメだ」という評判が立ち、却って彼の評価が上がる。皮肉を言っているように聞こえるだろうか。私が以前にいた会社にも(経営者ではないが)改革者が外から入ってきた。当初は会社全体が引き締まったように思えた。その後しばらくして会社全体の雰囲気が以前と比べてずっと暗くなったように感じた。私にとってはこれは納得できる。
「合併と買収(M&A)は、飛躍をもたらす点ではほとんど何の役割も果たしていなかった。(後略)」15p。
企業の文化とか体質というものは、長い期間に醸成されるものだ。私はM&Aについては詳しくないが、異質のもの同士が一緒になっても力を発揮できないのではないかという疑問は大きい。この問題も上述の「内部の力と外部の力」と言う見方をすると納得できる。
上述の二つは「納得できる」と書いた。以下の二つは、私にとってはある意味意外だ。そして考察する価値があるように思う。
「飛躍した企業は変化の管理、従業員の動機付け、力の結集にはほとんど注意を払っていなかった。条件が整っていれば、士気、力の結集、動機付け、変化といった問題はほぼ消滅する」15p。
引用の後半を読めば、著者が「これらが重要ではない」と主張しているのではないことが分かる。「士気、動機付けと言ったものが、そもそも管理して醸成していけるものか」ということだ。
現在の企業は、従業員の士気などに非常に気を配る。それは企業全体の施策から管理者の気遣いまでも含んでいる。効果のほどは疑わしいが、これらのことには、かなりコストがかかっているものと思う。有体に言えば、小手先の技術で解決できるわけではなく、企業そのものが変わる、あるいはもっと他のことが必要なのだろう。
飛躍した企業は、これらの問題を解決したのではなく、最初から問題が存在しなかったということを著者は示唆している。
「飛躍した企業は、飛躍の動きに名前をつけておらず、標語も作っておらず、開始にあたって派手な式典を開いてもおらず、計画や制度も作っていなかった。(中略)実績の面では確かに革命といえるほどの飛躍を達成しているが、革命的な方法を使ったわけではない」15p。
この事実を認めるならば、以下のようなことが私の頭に浮かんでくる。ビジョンの役割は何か。ビジョンを提示することによって人を動かすとは、どのようなことか。ビジョンとは往々にして、前述の「外から来たリーダ」ではないのか。ビジョンとは、これまた往々にして問題点を隠すための煙幕ではないか。私は常々「目的を明確にすることが大事だ」と言っているが、それとの関係は。経営者は最初から目指すものを知っていたわけではないということなのか、あるいは「目指すもの」という発想が違っているのか。
これをきっかけに私が認識したことは、「個人を動かす原理と組織を動かす原理が微妙な部分で異なっており、それを認識していないがために、士気・動機付けといった問題が発生するのではないか。個人企業・家族的な企業が次第に大きくなっていく過程で発生する問題のかなりの部分が、これに関係しているのではないか」ということだ。