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「劇的な転換はゆっくり進む」という言葉自体が矛盾を含んでいるが、これは外から見れば劇的なことではあっても、内部的には積み重ねがあって実現されたものであるという意味だ。今までまったく知られていずに、パッと出てきて成功する企業がある。そのような企業を見て「あんなことなら自分にもできるのではないか」と思ったことがあるかもしれない。しかし成功するには、それなりの理由・根拠があるのが普通だ。長い間の一貫した努力によって初めて達成できる。最初は、ほとんど効果が現れないが、効果が目に見えるようになると、驚くほどのスピードがつく。これを著者は弾み車にたとえている。

著者は飛躍した企業の経営者にインタビューし、彼らが「一挙にものごとを達成しようとしたのではなく、地道な努力を重ねてきた」ことを明らかにしている。 274pに各社の経営者の典型的な言葉が紹介されている。合計11社だが、面白いことにそのうちの5社に「進化」という言葉がでてきている。そしてそのすべてが「進化」という言葉を、表現の違いはあっても、「劇的な変化ではなく、少しずつの変化」という意味で使用している。(注、これらの言葉はもちろん著者が選んだものであり、その点は割り引く必要がある)。

また著者は経営者自身が、自社の努力が大きな転換をもたらしているものとは認識していなかったことを指摘している。「飛躍した企業の内部にいた関係者は、転換の時点ではその規模の大きさに気がつかず、後に振り返ってみてはじめて、大規模な転換であったことに気がついている場合が少なくない」。296p。

本章について二つのコメントを出したい。まず、それを実行した者(経営者)も評価する者(著者)も、「劇的な転換を一挙に成し遂げた」というような言葉は好まないはずだ。やはり「地道な努力を積み重ねて困難なものごとを実現する」という言葉の方が美しい、感激する、受け入れられやすい。彼らの無意識にこのような気持ちはなかっただろうか。このような心理は十分に考えられるが、私はこれを(一応)否定する。

次に、積み重ねとは言っても、やはり最初の一歩というか、「あの時に、我が社は変わったのだ」というような転換点があるのではないか。本章は「特別なことはない、積み重ねなのだ」ということを強調しているので、転換点の存在を示すような手がかりはない。(「やはり転換点はあったのではないか」ということと本章の主張は論理的に矛盾しているわけではない。念のため)。問題を捉え返してみると、「転換点はあったのだろうが、当事者はそれを認識していなかった」とも考えることができる。この方がすっきりするようだ。