ナグハマディ写本-発見
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1945年12月、ナイル河畔ナグハマディにおいて古代の写本が発見された。発見者はエジプト人の農夫。洞窟の中で壷を見つけ、その壷を叩き割ると、13 冊のパピルス本と、かなりの量のバラのパピルス紙が発見された。非常に残念であるが、バラのパピルス紙の大部分は発見者の母親が燃やしてしまった。
発見者ムハンマド・アリー・アッサンマーンは、その後、殺された父親の仇を討つために殺人を犯すのであるが、その事件の警察の取り調べの最中に、発見した写本を預けていた教師から、一儲けを企む古美術商などへ闇の市場に流れてしまった。
写本の存在を知ったエジプト政府は、写本を押収したが、しかし一冊は押収を逃れアメリカで売りに出された。これを知ったオランダ・ユトレヒト大学の宗教史家クィスペルは、ユング財団に、この写本の購入を勧め、いろいろな経過はあったが、ユング財団は、この写本を購入した。ユングがグノーシス派に思いを馳せていたことは、ご存知だろう。
しかしこのユング財団が購入した写本に含まれているトマス福音書の冒頭が欠落している事が分かり、クィスペルは、残りの写本が保管されているコプト博物館で調査し、その冒頭部分を発見した。そこには驚くべきことに、次のように書かれていたのである。「これは隠された言葉である。これを生けるイエスが語った。そして(イエスと)双子の兄弟のユダ・トマスが書き記した」。つまりイエスに双子の兄弟がいたというのである。
このナグハマディ写本は1947年に発見された死海写本とともに、よく知られている。死海写本の意義は、旧約聖書の原本にかなり忠実なものが発見されたことにあるのだが、ナグハマディ写本の意義は、資料がほとんどなく、その存在が主に論敵たる正統派の資料によってしか窺い知ることができなかったグノーシス派の直接の資料が多量に発見されたことにある。
死海写本の意義はある意味では地味なものだ。しかし死海写本に関する本は、真面目なものから、かなり危ういものまで、とてもたくさんの解説書が発行されている。一方、ナグハマディ写本の解説本は、その重要な意義に比較すれば、数は非常に少ない。
このような書物についての研究というのは、素人なりに考えると、まずその書物の言語(ナグハマディ写本はコプト語で書かれている)を勉強し、字体はどの時代のものだとか、この儀式の仕方はあの宗教の影響ではないのかだとか、この表現は何語の影響ではないのかだとかいうことを10年とか20年とかかけて根気よく調べていくのだろう。なかなか大変な事だ。しかも研究の全体が徒労に帰する可能性も高い。収入が保証されている人でなければ無理だろう。
今回より数回の予定で、ナグハマディ写本およびグノーシス派について言及する。参考にする書籍は「ナグハマディ写本 - 初期キリスト教の正統と異端」(白水社)である。著者はイレーヌ・ペイゲルス。ナグハマディ写本についての解説書は非常に少ないと書いたが、この本を超える解説書を書くのは、今後新しい資料が発見されたりしない限り、かなり困難だろう。私はナグハマディ写本あるいはグノーシス派の解説書は、あまり読んでいないのだけれども、非常に良い本だというのがよく分かる。何も事前情報を持っていない初対面の人でも、一時間ほども話せば、その人についてある程度の事は分かるのと同じようなものだ。本シリーズで同書から引用する場合は、ページ数のみを記す。
「ナグハマディ写本 - 初期キリスト教の正統と異端」(白水社)イレーヌ・ペイゲルス
「トマスによる福音書」(講談社学術文庫) 荒井献
「ナグハマディ文書」(岩波書店) ←これはナグハマディ写本の翻訳
「グノーシス神話」(岩波書店) 大貫隆
「ユングとオカルト」(講談社現代新書0841) 秋山さと子
最後に、イエスの双子の兄弟の件についてであるが、「トマスによる福音書」の解説の中で荒井献は、ギリシャ語のトマスはアラム語(←これはイエスが話していたとされる言語)のトーマーに相当し、トーマーは「双子」意味し、トマスが固有名詞ではなく普通名詞として用いられているのではないかとの説を紹介している。(しかしイエスに双子の兄弟がいたのかということには関係はない)。