これは戦前の陸軍統制派のイデオローグ石原莞爾の本である。彼は第一次世界大戦後ドイツに留学し、先に当地に来ていた永田鉄山や東条英機ら(いわゆる「バーデンバーデンの四天王」)と合流した。彼は戦後のドイツをつぶさに見て回り、また戦争の歴史を研究し、彼の戦争観を打ち建てた。記憶に頼って簡単に紹介しよう。注、最近石原莞爾についての本が出版されているようだが、もう興味はないので読んでいない。

まずは、戦闘隊形の変化。古代ギリシャ、ローマより、中世、近代まで次のように変化してきた。古代では点の隊形、すなわち長槍を中心とした密集した隊形。中世では、騎兵が横に並んだ横隊。そして近代になるとアメリカ独立戦争、ナポレオン戦争では、大量の歩兵により構成される縦隊(平面)となる。すなわち点 →線→面と変わってきたわけだ。そしてこれからは航空機による三次元の戦闘隊形であると戦闘隊形の変遷を跡付ける。これからの時代は各兵員の自覚が必要であると、軍人らしくない(?)ことも言っている。彼はナポレオン戦争での大量の歩兵の出現と隊形の変化を一生の研究課題と言っている。これは近代国家と国民の出現である。注、大量の歩兵の出現は、日本ではすでに戦国時代に見られており、日本の方が時期が早い。ま、戦争の仕方が進んでいるのは自慢にならないが..。

次は、持久戦と決戦の交代。彼は戦争の歴史を分析すると、持久戦が主になる時代と、決戦が主になる時代が交互に現れている。そしてさらに、その交代の周期がだんだん短くなってきていると主張する。(私はこれについてはかなり怪しいと思っている)。

この二つのいわば数列、すなわち戦闘隊形の三次元化と、持久戦・決戦の交代周期の収束する時点に最終戦争があり、以後戦争のない平和な時代が訪れると主張する。さらに、現在(第一次大戦後)はアメリカ、ヨーロッパ、ソ連、アジアが世界の4強を構成しており、次の戦争(第二次世界大戦)が準決勝であると位置づけ、これに勝ち抜かなければならないと言う。

ここまで紹介して、賛成するしないはあるにしても、彼なりの大きなスパンで、戦争の歴史を捉えていることが分かるだろう。実は彼は法華経を深く信仰しており、これを戦争の歴史に当てはめたものとのこと。

しかし彼は満州国における五族共和、すなわち日本人や漢人、満州人などの平等を主張したため、統制派から切られた。なお、戦後広島の惨状を見聞し、その戦争観を改めたようだ。

統制派というのは、東条英機がでてきたことから分かるように、陸軍そして日本の権力を握った右翼団体である。戦前、5.15事件、血盟団事件、2.26事件など、軍部が暴走を積み重ね、その結果として、日本の権力を握ったかのような解説が、大新聞や立派な書籍においても、ずっと繰り返され続けているけれども、これらの事件は、民間人北一輝を思想的源流とし、下級将校に支持者が多く、統制派と対立関係にあった改造派の仕業である。ちなみに北一輝は民間人ではあったが2.26事件の廉で銃殺刑となった。

そもそも陸軍は統制派が最高権力者を占めていたのだから、統制派が反乱を起こす必要はなかったのだ。このような解説は確かに分かりやすいけれども、歴史認識を誤らせるものではないのか。同じようなものが再び現れたら、また引っかかってしまうのではないのか。(統制派の一部が分裂して、改造派と結びついた (皇道派)ので、誤解される素地が生まれているのかもしれない)。ちなみに統制派は美濃部達吉と同じく天皇機関説を主張する。高名な民主主義者と意見が一致するわけだ。

さて現在の時点から、この理論を見てみると、第二次大戦といういわば準決勝があってアメリカとソ連という二強時代が続いた。そして約50年後、最終戦争は発生せずソ連は内部崩壊した。そしてまた現在は混沌としている。

最終戦争もなかっだが、戦争のない平和な時代は到来したか。ご存知のごとく否である。改めて考えてみれば、激しい最終戦争の後、絶対的な平和な時代が到来するというのは、劇画か御伽噺の世界のように安直である。そればかりか、まことにオゾマシイ思考であると言えるだろう。