「自分は立派な人間にならなければならない」。最近では、このようなタイプの人間は少ないと思われる。昔は、実態はどうであったかということを別にすれば、建前としては、このような考えがまかり通っていた。

いつも言っていることなので、聞き飽きたかもしれないが、動機とか気持ちの持ち方が大事である。別の言い方をすれば、自分の内部から自発的にでたものか、外部から強制されたものかの違いが重要である。

「立派な人間になりなさい」と説教されているわけではなくとも、今まで育ってきた環境や、すでに持っている先入観がそのように強制する。

これは自発的に出たものでない、むしろ外部から強制されたものである。注、しかし内部からでたように思えるところが犯罪的である。

昔は、そのようなタイプの人が多かった。現在でもそのようなタイプの人は見受けられる。

あからさまに言ってしまえば「立派な人間にならなければならない。進歩しなければならない」と思うのはノイローゼである。違うだろうか。

逆に「自分が成長していくのは、楽しくて充実感がある」と思うのは正常である。外からは両者の区別がつかないが、大きな違いであると思う。