ラスプーチンについては別途に解説するかもしれないが、ラスプーチンは第一次世界大戦前の帝政ロシア、ロマノフ王朝の最後の皇帝ニコライ二世や皇后のアレキサンドラ(←じつはドイツ人)に取り入って権力を握った人物である。

ラスプーチンは、皇帝夫妻の息子の血友病による出血を精神力で止めたとも言われている。ラスプーチンは、権力を握って我が物顔に振舞ったという意味でも、女性関係でも非常に評判が悪い。権力を握ったものに対する悪口として考えると、どこまでが本当なのか、あるいは嘘なのか、はっきりしない。

ロンドン公園に野宿してアウトサイダーを書き上げたコリン・ウィルソンは第一次世界大戦を阻止できた唯一の人物であったが、しかし暗殺されたためにできなかったと評している。

これは、ラスプーチンを暗殺した当の本人による記録である。

ユスポフはロシアの公爵だが、ラスプーチンを信奉する知人の女性から紹介されて何度かラスプーチンに会ううちに、一介の農民でありながら強大な権力を持っていたラスプーチンの殺害を決意するに至る。

ラスプーチンを快く思っていなかった国会議員のプリンシュケヴィッチと相談し、ラスプーチンが大きな影響力を持っていることを考慮して、公然とではなく秘密裏に暗殺することが必要と判断した。そしてユスポスの自宅地下で毒殺する計画を立てた。

(ラスプーチンには敵も多かったので、)行き先を明らかにしないようにしてラスプーチンを招待した。

他の部屋に武装した支援者を待機させた状態で、ラスプーチンと歓談しながら、青酸カリの入ったケーキを勧める。最初はなぜか、口に入れなかったが、そのうちに何個も口に入れた。

しかしすぐに死亡するはずの量でありながら、ラスプーチンはまったく平然としていた。さらに青酸カリを塗布したワイングラスで何杯もワインを飲んでも平気である。「今日はちょっと調子が悪い」といって、さらにワインを飲む始末。

うろたえたユスポスは、結局ピストルをラスプーチンの胸に向かって発射する。それでラスプーチンは崩れ落ちた。

支援者と死体を捨てる準備をしているうちに、しかしラスプーチンは起き上がり逃げ出した。鍵がかかっていたはずのドアがなぜか開き、屋敷の外に飛び出した。追いかけたユスポスたちは、二発のピストルの弾を発射して、ラスプーチンをしとめた。

ラスプーチンの死体は、車で運んで、川に捨てられた。しかし検死の結果は「溺死」だったそうである。

当の本人自身しか目撃していないことなので、本当にラスプーチンが、このように生命力が強かったのかは分からない。

ラスプーチンを秘密裏に暗殺しなければならないという条件は、守ることができず、官憲や民衆に知られることになってしまった。