この名前をご存知の方は少ないだろうが、しかし英語の辞書にも出ているほどの人物だ。辞書的に紹介すると、アメリカの植物育種家。マサチューセッツ州の農家に生まれた。独学で育種学を学び、ダーウィンの「飼育栽培による動植物の変化」に感銘を受けて、カリフォルニア州サンタローザの農場において数多くの新品種を生み出した。

以下は主に「植物の神秘生活」(487502133X)からの要約。

植物の新品種を作るなどというのは、そんなに簡単なことではないはずだが、彼は生涯に一千種を超える品種を作ったという。この数で彼がこの仕事をしていた期間を割ると、三週間に一つの品種を作ったことになる。現在アメリカの市場に出回っているジャガイモとスモモの主要なものは彼が開発したものである。

彼の驚異的な能力は、誰しも認めたが、しかし彼は、他の人にとっては不可解な人物だったようだ。

突然変異を発見し、メンデルの法則を再発見した有名な植物学者フーゴ・ド・フリースは、彼のカタログにある品種に仰天し、その秘密を探るべく、わざわざオランダから海を渡って大陸を横断して彼を訪ねた。

詳細なデータが提示してもらえると思っていたフリースは、バーバンクが書庫も実験室も持たず、またほとんどメモも取らずに、仕事をしていると知って愕然とした。一晩中質問攻めにしたが「実験室なら頭の中にある」と言う彼から、フリースにとって有益なことは得られなかった。

バーバンクは1901年サンフランシスコの会議で、次のように語ったそうだ。「昨今の植物学者たちの主要な仕事は、魂が逃れ去り、干乾び、皺くちゃになったミイラの研究と分類でした。彼らは自分たちが分類した種は、(省略)固定的で不変なものと見做していたのでした。(省略)植物の種は可塑性があり、(省略)容易に作り変えることができ..」。

次はある農業指導員の言葉。「彼はグラジオラスの列に沿って歩いていきながら、必要でないものはできるだけ早く引き抜くのだった。彼にはある本能があるらしく、まだ小さい植物が成長したら彼が望む類の果実や花をつけるかどうかが分かるようであった。私には、立ち止まって一心に見ても、それらの違いは何も分からなかった」。

しかし彼を訪ねたヘレン・ケラーは「彼はもっとも希有なる天賦の才の持ち主で、子供と同じ受容力のある精神を持っている。植物が彼に語りかけると、彼は耳を傾ける。賢い子供だけが、花や木々の言葉を理解できる」(「Outlook for the blind」)と言っている。眼も見えず、耳も聞こえなかった彼女の方が、バーバンクを理解していたのかもしれない。彼女は子供の伝記に登場するだけの人物ではないようだ。

これだけ語れば彼が研究に値する人物であることが分かるだろう。

次は伝記作者に語ったバーバンクの言葉。「私は77才に手が届こうとしているが、今でも門を乗り越えたり、かけっこをしたり、シャンデリアを蹴ったりすることができる。それは私の体が私の精神と同様決して年を取らないからだ。私の精神は青年期だ。大人になったことは一度もないし、これからも決してならないように願っている」。これはヘレン・ケラーの言葉を裏付けている。我々もこのようでありたいものだ。

しかし上のように語った後、ある百科事典には「1926年、進化論を巡って超保守的なキリスト教徒との論争に巻き込まれ、死期を早めた」とあった。これだけしか書いていないので詳細は分からないが残念なことだ。


蛇足

カルフォルニアに「バーバンク」という都市があるが、これは彼に由来するものではない。ドイツから移住した医者に由来するようだ。

「植物の神秘生活」。現在、この本は持っていないが、「バクスター効果」から始まって、植物についての各種研究を紹介している。いくぶん怪しげな記述も多いが、まさにこれこそが、私の興味をひきつける。

ヘレン・ケラーは単に「一生懸命に頑張った人」ではない。