これは、ケプラーが書いた「小説」である。研究と生活に追われ、最後には、未受領の報酬を請求しに行くための旅の途中で凍死したとも餓死したとも伝えられるケプラーに小説を書くような時間と精神的余裕があったのか。

この「小説」は、いわば月についてのSFである。月に関係するSFとしては「竹取物語」も古いが、こちらも古い。またケプラーはルキアノスの月旅行についての作品について言及しているが、これはルキアノスの荒唐無稽な「本当の話」のことだろうと思われる。

主人公は、アイスランド人、ドゥラコトゥス。14才のときイタズラをして、母親の怒りを買い、船長に売り渡された。その船はデンマークのフヴェン島に寄港し、ティコ・ブラーエという人物に会った。注、これは実在の人物ブラーエそのものである。彼はフヴェン島に住んでいた。そのブラーエの元で天文学を勉強した。数年の勉学の後、故郷に戻った。

そしてストーリーの中心は、故郷に帰った後、母親と一緒に精霊から聞いた物語であるという形式をしている。

精霊たちは、地球と月を自由に往復する。精霊たちは、月をレヴァニア、地球をヴォルヴァと呼んでいる。両者を行き来できるのは、月食のときに限られる。所要時間は4時間。注、4時間は月食の継続時間とほぼ等しいが、ここでケプラーは、他の部分ではレヴァニアでの時間単位を使っているのに、ここだけスヴォルヴァの時間単位を使うというミスをしている。

精霊であれば、この行程は簡単なものだが、人間を連れて行くとなれば大変である。ショックを和らげるために、麻酔薬やアヘンで眠らせる必要がある。また手足をきちんと固定しなければならない。呼吸を維持するためには、湿った海綿を鼻に当てておく必要がある。

レヴァニアに到着すると、すばやく洞窟や暗がりに身を潜める必要がある。強い太陽の光を避けるためである。注、月旅行は月食の時に行われる。

レヴァニアは主に二つの地域に分けられる。プリヴォルヴァ半球と、スブヴォルヴァ半球。前者はヴォルヴァから見えない半球であり、後者はヴォルヴァから見える半球。後者のほうが夜においてもヴォルヴァから光が送られてくるので気候が温和である。

続いてレヴァニアに棲む生物について、若干の言及がある。大部分の生物は、暑さを避けるために、洞窟の中などの水に潜るのが得意で、そして夕暮れになると、地上に出てくる。

レヴァニアから空を眺めると、当然ながらヴォルヴァが定位置に、どっかりと腰を据えているが、しかし太陽を含めて、その他の天体は動きが極めて複雑である。生物についての記述が極めて大味なのに比較して、こちらの記述は、短いものの具体的な数値を上げて説明している。

この「小説」は、文庫本で30ページ程度の短いもので、小説というより「レヴァニアについての簡単な解説書」と言ったものである。特に文学的な表現があるわけでもない。そして彼は、本文に対して、その四倍程度の注釈をつけている。

注釈66。私は「重さ」を磁気力に類似した相互に引き合う力として定義する。この引力は、近接している物体間では、遠く離れている物体間におけるよりも大きい。

注釈76。各々の物体は、物質に比例して運動に対する慣性的な抵抗を持っているからである。

定式化という段階にまでは至っていなくても、ニュートンの万有引力の法則や運動の法則を先取りしていることが分かる。

注釈4.私の「夢」の目的は、地球の運動を支持する議論を打ち立てるために月の例を使うことである。

これがケプラーが、この「小説」を書いた目的。

注釈72。天文学と呼ばれる精霊は、生まれつきの燃え上がるような情熱で思索はするけれども、生活に必要なものを供給する段になると、まるで役に立たないのだ。

これはケプラーの人生、そのものである。

蛇足

ドゥラコトゥスの話も含めてすべてのストーリーが、氏名不詳の誰かの夢であるという想定である。タイトルが「夢」となっている理由は、これだと思われる。

素人の私が読んでも、小説として価値があるものではない。