まさに我が意を得たりと言いたい書名である。マスコミ、政治家、企業、評論家などが自分の都合の良いこと、勝手なことを喋っている。私を初めとして多くの善良な(?)人びとは、残念ながらそれらが正しいか否かを判断する情報を持っていない、判断する能力を持っていない。
そして何が正しくて、何が正しくないかは、個人的な価値基準、個人の状況にもよるのだが、著者が提示するのは個人の判断の重要性。これはぜひとも大事にしたい。本書を推薦したい。
良かったのは、例えばこれら。「毒舌は世の中を良くするのか」、「あなたの一票で政治は変わるのか」、「論理的思考を身につける必要があるのか」。
著者の「捨てる技術」には感心した。読んでそして捨てた。これは、「いかにして整理するか」という常識を疑い「とにかく捨てるべし」と主張したものであった。今後とも著者には、いろいろなものを疑って追求していただきたい。
日頃「疑り深い」と言われている私も、自分の性格が心配になることもあったが、本書のタイトルを見、本書を読んで安心した。これで安心して眠ることができる。知力もあることが判明した。感謝したい。
だがしかし、本書を読んでみると、とてもマジメな印象を受ける。ひとつは文体が「ですます調」であることが影響しているだろう。しかしそれだけではないようだ。
話題がマジメ、論理の展開がマジメ、結論がマジメ。マジメだらけである。マジメに世の中のものごとを疑っている。いやいや疑うこと自体には大いに賛同する。しかし疑い方がマジメである。
これは著者の性格なのか、あるいはカモフラージュなのか、はたまたそれとも出版社の圧力なのか?
「マジメでなぜ悪い」とのツッコミがありそうだが、私としては、あまりおもしろくない。「捨てる技術」を書いた著者であるならば、世の中の出来事、価値基準などさまざまなことにヤジウマ的な観点からゲリラ的に撃ちまくって欲しかったと思うのは私だけではないだろう。