今日の夕陽と共にお届けします。




今日はとても嬉しいニュースが飛び込んできました!

ブックホテル「浜比嘉別邸」のプレオープン前から、別邸を何度も研修会場としてご利用いただき、さらには別邸オープンに際し、数えきれないほどの大変なご支援を頂いているご婦人がいらっしゃいまして、そのご主人様がなんと、黄綬褒章を受賞されたのです!

私は子供の眼科に行っている時に待合室のテレビでその「秋の勲章」のニュースを見まして、思わず「えーーー!!」と大声をあげてしまいました。

長年、航空関係で功績をあげたことが
評価されての受賞ということでした。
小室ご夫妻様、本当におめでとうございます!!!
自分ごとのように嬉しく、テンションが上がってしまいました^ - ^





実は私の亡き祖父も、国鉄に長年勤めたことから、
勲六等の瑞宝章をいただいていまして、
今日は祖父のことを何度も思い出す一日でした。

広島生まれの祖父は生まれてすぐに養子に出されたものの、養子先で実子が生まれ、ドラマにあるような肩身の狭い思いをしたそうです。
そのため、中学を卒業し、学びながらもすぐの給料がもらえる国鉄に入社。
そして、国鉄の寮があった広島市で被爆。
文字通りの九死に一生を得て、
まさに裸足のゲンの世界を生き抜くなかで、お嬢様育ちだった祖母と結婚。私の父が生まれました。

時はまさに昭和で、家にいることはほとんどなかったという祖父。孫の私から見ても、祖母と祖父はしょっちゅう喧嘩をしていて、私は祖母の愚痴をいつも聞いていました。孫としては、祖父の会社での活躍はいっさい分かりませんから、なんだか、おばあちゃんが寂しそうというのが印象でした。

いわゆるエリート社員ではなく、完全なる叩き上げで国鉄幹部にまでなった祖父。
昭和の鉄道に大きく貢献したということで瑞宝章をいただくことになりました。

昭和の人間にとって
天皇陛下に謁見しお褒めの言葉を賜るというのは、もう本当に身に余る光栄だったことと思います。

ただ、、、
瑞宝章の知らせを受けた時は、子も孫も喜びましたが、祖母は素直におめでとうは言っておらず、これは私の勝手な憶測だけれど、「私の犠牲あっての受賞だ」とでも言いたいような雰囲気でした。^ - ^

そんなわけで皇居でのパーティーも帝国ホテル宿泊も私の父が付き添い、初めてに近い親子旅行を祖父と父がしていたことも良い思い出です。何せほとんど家にいない人でしたから。

そして、
最期まで、原爆投下後のことについて、
一切口にしなかった祖父。
絶対に聞けないオーラがそこにはありました。

絶対にあんなことはもうあってはならない、起こってはならない、そういう悲痛なる願いも背負っていました。




今日の夕陽は本当に美しく。
浜比嘉大橋から、浜比嘉ビーチから素晴らしい夕陽を眺めながら、
空の安全、陸の安全、海の安全を守ってくれている人たちがいることへの感謝の気持ちでいっぱいになりました。

今の当たり前の平和があること、
人生をかけて
安心安全な社会システムを
築いてくれた人たちがいること、
そこには犠牲になっている人もいること
全てのことに感謝したい夕暮れとなりました。

これは我が家のファミリーヒストリー。
きっとどの家にもそんな物語があるはず。

お越しになる際には
夕陽を見ながら、焚き火を囲みながら
ぜひ、あなたのファミリーヒストリーを
お聞かせくださいませ。

改めまして、小室様、小室礼夫人
本当におめでとうございます!!!! 




 


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