汚れちまった悲しみに。
「汚れちまった悲しみに・・・」
汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる(以下省略)
:中原中也『汚れちまった悲しみに』
冬といえば、高校時代の国語教師が感情込めて朗読した、中原中也の詩を思い出す。
私はこの題材を習った当時、頗る成績が悪かった。
先生には嫌がられる程、質問攻めしてよく怒らせたり
突拍子もない発言、発想を、国語の時間にだけはしてしまっていたらしい。
と、当時の私はこれを自覚しているわけもない。
これを知ったのは卒業後、先生と再会する機会があったからだ。
今になってこの作品をまた見ると、随分に無機質なんだなと感じた。
重力がまるで違うのだ。
なぜか。
それはこの文体か、小雪か、呼吸だろうか。
必死に払拭して走りたいのにそれを許されない。
慟哭、焦燥、傍観、混沌、、、それすら嫌気がさしてしまう負の重力は
悲しい事に、これほどまでに軽快な重力を備えて生まれてきた。
それはそれは、汚れてしまった悲しみに他ならないのだ。
と、「今」のこの位置での私は、こう解釈するらしい。


世界一周にご協力ください!
汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる(以下省略)
:中原中也『汚れちまった悲しみに』
冬といえば、高校時代の国語教師が感情込めて朗読した、中原中也の詩を思い出す。
私はこの題材を習った当時、頗る成績が悪かった。
先生には嫌がられる程、質問攻めしてよく怒らせたり
突拍子もない発言、発想を、国語の時間にだけはしてしまっていたらしい。
と、当時の私はこれを自覚しているわけもない。
これを知ったのは卒業後、先生と再会する機会があったからだ。
今になってこの作品をまた見ると、随分に無機質なんだなと感じた。
重力がまるで違うのだ。
なぜか。
それはこの文体か、小雪か、呼吸だろうか。
必死に払拭して走りたいのにそれを許されない。
慟哭、焦燥、傍観、混沌、、、それすら嫌気がさしてしまう負の重力は
悲しい事に、これほどまでに軽快な重力を備えて生まれてきた。
それはそれは、汚れてしまった悲しみに他ならないのだ。
と、「今」のこの位置での私は、こう解釈するらしい。
世界一周にご協力ください!米$紙幣との微笑み返し。
去年、旅をしたNYの思い出にと、
落書きされている1$紙幣2枚を私は壁にピンでさしている。
そんな$紙幣と今日は目が合った。
円高だからなのだろうか、異様に不気味な口元に見えてきた。
もちろんそれに向かって微笑み返しをしてみたりするのだけれど。
どうも、居心地の悪い部屋になってしまった。
もう、あれだなあ。
落書きされている1$紙幣2枚を私は壁にピンでさしている。
そんな$紙幣と今日は目が合った。
円高だからなのだろうか、異様に不気味な口元に見えてきた。
もちろんそれに向かって微笑み返しをしてみたりするのだけれど。
どうも、居心地の悪い部屋になってしまった。
もう、あれだなあ。
SNOWから生まれた枯れたギター音。
久々のブログ更新、私の趣味である音楽の話題に触れようと思う。
第1回目の今回は世界的な人気ロックバンド、Red Hot Chili Peppers(レッチリ)と、そのギタリスト、John Frusciante(ジョン)にスポットをあててみることにした。
しかしながら、このバンドを簡単に説明することは不可能に近い。
それは全てのバンド、物事に云えることかもしれないが、上辺の理解や簡略は誤謬をもたらしかねないからだ。
長々とはなってしまうが、彼らの見た風景や空気を私なりに解釈して書いてみようと思う。
レッチリは1983年に アンソニー(V)、フリー(B)、ヒレル(G)、ジャック(D)によって結成された4ピースバンド。
アンダーグラウンドで好評を得ながら1987年には日本盤がリリースされ、これからと云う矢先の1988年にヒルレ(G)が薬物摂取過多により死亡、それと同時にジャック(D)もバンドを脱退してしまう。
1989年に現在のメンバーであるジョン(G)とチャド(D)が加入し、再スタートをはかった。
この時ジョンは若干18歳と云う若さ。加入前の15歳の時に彼はレッチリのライヴを観て魅了され全ての歌詞を暗記する程のめりこんでいた、ギターの練習時間は一日15時間に及んだと云う。
1989年に『母乳』(アルバム)をリリース。(これがバンド初のヒットチャート)
1991年に『Blood Sugar Sex Magik』をリリース、このアルバムが初の全米一位を獲得し成功をおさめた。この時からジョンのギタープレイもただのヒルレの代役と云う位置から脱却しはじめ、注目を浴びはじめた。
そんな好スタートであったが1992年にジョンは世界ツアー中にバンドを脱退。
原因は薬物中毒。やはり18歳からレッチリと云う自分の尊敬するバンドでプレイすること、ヒルレの存在との戦い、ギターの方向性など様々なしがらみがあっただろうと思われる。相当な圧力だったことは間違いないだろう。
薬物中毒期の1994年のインタビューで彼はこう言っている。(要約)
『ドラッグは体を蝕んだりしないよ。オレは凄く気分がいいし、他に方法があるならドラッグはしないさ。賢さは学校でいい成績をとったりすることだってされてるけど、オレが思うには本当の賢さっていうのはどれだけ頭の中で空想できるかって事だと思うんだ、もっと脳のほかの部分を使ってね。僕はドッラグを肯定するし、そしてもっとよい人間になろうとしてるんだ。』
この当時のジョンは痩せ細り、顔色も悪く、歯はほとんどなくなり、爪は血の色、見るに耐えない程の痛々さだった。床には薬物、ゴミ、ギター、絵が散乱する様。薬物を買って底がつけば金稼ぎのためにソロアルバムを出し、またその金で薬物を買う繰り返しの生活。
熱心に家を訪問してなんとか助けようと試みるベースのフリーは、この時期のジョンを見て『「ああ、コイツは間違い無く死ぬんだな」』と後のインタビューで語っている。
レッチリメンバー達も彼を見放す気は更々なかったろうが、ジョンの痛々しい姿の後ろに初期メンバーで薬物過多で死んだヒルレを見たであろうし、仲間を薬物から救えなかったトラウマ(アンソニーもこのトラウマから一時期薬物に走ったが克服)、その繰り返しをまた、、、と頭を抱えた姿は当事者でない私でも想像がつく。
しかし、ジョンは生きる事を選び、リハビリセンターで苦しい生活を始める。必死で元に戻ろうとするジョンをフリーだけでなく、確執のあったアンソニーも見舞いをするようになった。
リハビリも順調に進み、1998年フリーがアンソニーに「ジョンを復帰させたい」と申し出たと言う。
その時アンソニーは「昔のようにマジックは起こせるか?」と。
そしてメンバーが出した答えはジョンに一言、「また一緒にやるか?」
1999年、薬物中毒から完全復帰したジョンがそこにはいた。メンバーは快く再加入を認め新しいスタートを切り、アルバム『Californication』をリリース。驚異的なセールスで過去最高のヒットとなる。
この曲からも分かるように以前のハードさは押さえられ、メロディアスで各パートが生きているように思う。
またこのScar Tissueはジョンとアンソニーの以前の確執を修復したと捉えることが出来る歌詞の内容だ。
このアルバムを聴くと私は『起死回生』の意味が辞書よりも、もっと自然に理解できるような気がする。
2002年にアルバム『By The Way』をリリース。ジョンの持ち味が全面に出された内容。
2006年にはオリコンアルバムチャートで、初登場1位を獲得。2枚組の洋楽アルバムとしては、史上初の快挙達成。アメリカやイギリスを始め、全世界24ヶ国で1位を獲得している。『Stadium Arcadium』がリリース。
記憶に新しい映画『デスノート』の主題歌で更に日本ではレッチリがよく聴かれ始めたのではないだろうか。
今回のブログのタイトルにあるSNOWとはこのStadium Arcadiumに収録されている曲だ。
SNOWとは直訳すると「雪」であるが、ここでは薬物、コカインの意味も内包されている。
18歳と云う若さでビックバンドに加入したジョン、アンソニーとフリーは26歳であった。
”Green Man"と当時ジョンは呼ばれマスコット的存在で随分可愛がられていたらしい。
そして様々な確執があっただろうが、アンソニーは心底ジョンを気に入っていた。
母親のような心境だったのだろうか、それとも弟か、又は・・・。
愛情と云うものは美しいが時にどうしようもない状況、相手に牙を向く時がある。
(極端ではあるが殺人もこれに近い心境で為されることも少なくはない)
間違いなく、ジョンを理解しようと努力したであろうし、強い責任感があったはずだ。
薬物中毒で苦しむジョンを救えない憤りの声はジョンへの愛情から生まれる憎しみのアンビバレンツそのものであったろうと思う。
そして薬物中毒から脱したジョンはそれを充分理解していた。そしてカムバックを果たしたそのギタープレイの数々は言葉には説明できない「信頼関係」と「生き方」を指で語っている。
レッチリの歴史を一言で云うならば、このSNOWに集約できるかもしれない。
SNOWは今ではネクストEric Claptonと云われる程、演奏技術のあるジョンですら難易度の高い曲だ。
この動画の出だしのアンソニーとジョンのやり取りは、そんな彼らの擦れ違いを経て得た信頼、バンドとしてのあり方を私達に呈示してくれている様な気がしてならない。
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確信したね
僕がこの人生でやったのはただハイになろうと
しようとしただけだってこと
一人で座っているともう少しよく分かってくる
だけど今回は僕自身以上の何かが必要
道を外れて海へ空へ
そして頼ってるものを思う存分信じよう
僕がそれを用意するから
利用しにおいで
僕の人生を全部捧げるから(By アンソニー)(抜粋)
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アンソニーは言う
『俺たちはこの世に、ギフトをもらって生まれてくるんだよ。
神からの贈り物をね。…(中略)…ジョン、フリー、チャドは オレにとってのギフトなんだ。
追い払おうとしたって、 できなかったんだよ。俺たちは何か意味があって 一緒になったんだと思う。』
メンバーは口を揃えて言う
『ジョンみたいにあんな途方もない才能を持ったミュージシャンはいないよ。あいつと同じバンドでやれて俺は本当にラッキーだったと思うね。・・・とにかく信じられないような凄い男だよ。俺はあいつのことをよく兄弟みたいに感じることがあって・・・自慢の弟だ。結局我々はジョンじゃなきゃだめだったんだ。』
ジョンは言う(CROSSBEAT File vol.6)
「俺は苦しみを乗り越えることを経験したし、人生そのものを破壊することを経験したし、世界から自分を隔離してから、再び世界に返ってくることも経験した--そういう経験をした後に語れるチャンスのある人って少ないんじゃないかな。俺はそれを克服したことを誇りに思っているし、完全に落ちぶれ果てた経験をしたことも誇りに思っているし、世界中で一人も友達がいないのを経験したことも誇りに思っている。こういうことは全部、人生が与えてくれる全てのことを把握させてくれるし、そのおかげで感謝できるようになったんだ。」
(2004年インタビュー)
「今生きてることが楽しくてしょうがないよ。それと同時に俺は死ぬことも楽しみなんだ。この二つの発想は俺にとって全く同じものなのさ。」
今では現代の三大ギタリストと称され「枯れたギター」を奏でるジョン・フルシアンテ(John Frusciante )。
現在レッチリは無期限の活動休止中だが、きっとまたステージで彼らはプレイするだろう。
そして、仮にそれが解散であっても、それはとても穏やかで彼らにとってはごく自然なあり方なのだろうと思う。
音楽はその人の人間性関係なく、結局、音、作品で決まる。
それは音楽だけではなく、世界的な成功を納めたアーティスト、画家、偉人達も同じ事ではあるが、その作品を「良い」と感じるとどうしても人はその作品を創った人間性が気になる物だ。
その人間性はもちろん全て違う人間だから多々差異はあるだろうが、共通していることは「いかに生きるか」と問い続けていることではないだろうか。
そしてその人間性はやはり、万人とは言わずとも人は憧れたり惹かれたりするものだ。
「自己表現」して作品にすることは、誰でもできることだろう。ただの自己表現の延長の音楽や絵画はただのつまらない自己満足な作品となってしまうが、ある一定ラインを超えた、作品を自己と別個なものとして確立させ追い求めた人は、結局、気付けば非常に人間味のある人物であり、その作品は私達を魅了してしやまない。