カチ、コチ、カチ、コチ、カチ、コチ、カチ……
「……んが」
とりあえず、うるさい。古時計に起こされるようにして、晴香は目を開いた。明るい放送室。機材と撮影機材と電話と古時計の置いてある小さな部屋。電話の置かれた机に突っ伏している自分。どうやら、眠りこけていたらしい。今は何時だろうかと携帯を開く。
十二時五十九分。嫌な数字の羅列だった。
「先輩、なにやってんすかー?」
聞き覚えのある声が鼓膜を振るわせる。声のほうを向くと、同じ放送委員の一年がつまらなそうに機材の前でパイプイスに座っていた。少しずつ思考が夢から離れていく――電話番が晴香の役目で、アナウンスは後輩の役目だ。だから、彼女は眠れない。
つまらなそうではなく、羨ましそうだったかもしれない。
「んー……ちょっとね。夢を見てたみたい」
家のベッドで見た夢だと思っていたが、どうやら学校で見た夢だったらしい。記憶の齟齬が発生してるが、まあ、気にする必要もないだろう。ただの夢だったのだ。なかなかに生々しい夢だったが、今となっては思い出だ。
「夢見てた? ってことは寝てたんすか先輩?」
「いえすざっつらいと」
英語で答えてみる。と、後輩は迷わずブーイングを飛ばしてきた。
「死ね。人が働いてる最中に寝やがって。死ね」
ため息をつく。なんとも口の悪い後輩だ。あの後輩とは段違いすぎて泣けてくる。
「たまには変わってくださいよ、こっちと」
「えー? いいじゃん別に。電話番って先生の小言受ける仕事でもあるんだよ?」
実際グチグチ言われるのだ、電話番。お前授業に集中してねーだろとか、人の話を聞けとか何とか。だからあんまり電話番は好きではなかった。
「そりゃ先輩だけですって。俺は品行方正に生きてますから、小言なんか受けません」
後輩は胸を張ってそう宣言する。まあ、実際品行方正なんて他人の判断することだ。自分で言うのもおこがましい。これもある種の小言なので、平然と聞き流す。
午後の授業の始まりは一時半からだ。三十分の暇がある。なら、寝るのが最適だろう。そういうことで、晴香はもう一度寝ることにした。
と、それを妨害するように後輩の声。
「あー、そういや品行方正で思い出しました。先輩先輩。ちょっと愚痴聞いてくださいよ」
「……なしてー?」
「愚痴に意味なんてあるわけないじゃいっすか。単にちょっとこう……こう、イラっと来たとでもいうか。まあ、いいじゃないっすか。別に減るもんあるわけじゃないんですし」
「私の睡眠時間が減るよ」
言った瞬間、後輩は耳を塞ぐ。どうやら、何があっても聞けということのようだった。仕方ないからため息をつく。それを肯定と見て、後輩はべらべらと喋り始めた。
「うちのクラスに田野優花って奴がいるんですけどね? そいつが今日、他のクラスの女子と仲良く早退しやがったんですよ。何でも、今日オープンするカフェに行くんだとか何とか! 学校サボってっすよ?」
「……いいんじゃないの?」
若い頃なんてそんなものだろう。若気の至りという奴だ。そういうのが悪夢も含めて思い出となるのである……ふと思う。物は魂が宿った瞬間から歳を数え始めるべきなのだろうか。それともやはり作られたときからか。
と、判断が出るよりも早く、後輩の罵声。
「何言ってんすか? 学校サボってるんですよ? うらやま……じゃない、けしからんわけですよ! ああああああああっぁぁぁ」
後半はもはやなにやら手をじたばた振っているが、何かのジェスチャーだろうか。まあ、無視してもいいだろう。
それにしても、田野優花。聞いたことのある名前だった。あまり聞いたことがないのか、この上なくうろ覚えだが。何となく、知り合いのような気はする。まあ、だからなんだと言うだけの話だ。どうせ夢の話なのだし。
と――携帯がメールを受信する。後輩の戯言はなおも続いていたようだったが、どうでもいいので無視をして、晴香はメールを確認した。
「……へえ?」
「……ん? 先輩、どうかしたんすか?」
「いや、別に。夢って現実に干渉して来るんだなって感嘆しただけだよ」
「へ?」
「ま、どうでもいいことだよ」
適当に呟いて、手をぶらぶら振って何でもないと合図する。後輩は怪訝を浮かべたままだったが、そのまま機材へと視線を戻していった。それを確認してから、もう一度メールを見る。
送信者の名前は『悪魔』だった。くだらない悪戯メール。題名には、『勝者に敬意を表して』と書かれていた。
――望みを一つ。勝者のために叶えよう。
それが本文。チェーンメールなみに陳腐な本文だった。まあ、リスクを背負ったからには何かしらのリターンがなければやってられないが。返信すれば願いを叶えてくれるのだろうか。そこら辺の詳しいことは書かれていなかった。
ふと困る。願い事なんて何もないのだ。この日常を楽しんでいる自分からすれば。まあ、だから悪魔には悪いがしばらく放置することにした。願いに有効期限はない。ふらっと思いついたときに使えばいいだろう。
結局、夢だったのか現実だったのか。それとも手の込んだ誰かの悪戯だったのか。答えを出す必要はあるのかないのか。まあ、どうでもいいことだ。時間戦争や電波戦争、果ては人と物との究極の戦い、無機物戦争なみにどうでもいい……と。
「あ、そうじゃん」
それがあった。それならちょうどいいかもしれない。
「どうかしたんすか?」
「いやね、時間戦争とか電波戦争とか無機物戦争って、聞いただけでもとんでもなさそうじゃない?」
「……まーた始まった。ま、大変なんじゃないんすか? 無機物全部敵って、人間は何使って戦えって話ですよ」
「だよねー。んじゃ、起こらないように願っときますか」
さっさと携帯いじって、悪魔にメール送信。これで地球は平和になったのだ……
と。ボケッとしている間に後輩の声。机の上の校内電話を指差して、一言。
「先輩。電話鳴ってますけど」
規則正しいコール音。振り子時計の音を静寂を強調する音というのなら、これはまさに静寂をぶち壊す音だった。呻く。
「……オーケー。交代しない?」
「死んでもお断りします」
あっかんべーされた。仕方がないから泣く泣く受話器を取る。聞こえてきたのは、男っぽい口調の女性の声だった。
「おーい、石田いるかー?」
「いません」
「オーケー、いるな。ならいい」
国語科の先生の声だった。この先生の話は時々嫌というほど長くなる。かといえば、稀にものすごい単刀直入だったりする。だからあんまり好きじゃなかった。
今回は単刀直入のほうだったらしい。先生は、開口一番とんでもないことを言い放つ。
「なあお前、最近誰か泣かせたりした?」
わけがわからずにポカンとする。聞こえていたのか、後輩もポカンとしていた。呻く。
「……あのですね、先生。まったく心当たりがないんですけど」
「だよなー。石田だもんなー。なあ、本当にこいつか? 石田晴香だぞ?」
嫌な同意のされ方だった。後半は誰かとの会話だったようだが――とりあえず、それに聞き耳を立ててみる。といっても、途中から受話器を遠ざけたのか、声はほとんど聞こえてこなかった。仕方がないから数秒待つ。
「やっぱりお前だって。いつの間にアタシの生徒に手だしたのよアンタ」
容疑が確定したらしい。が、やっぱり心当たりはまったくなかった。
「いやいやいやいや、ちよっと待ってください」
「何よ、ちよっとって」
特に意味のない言葉である。というか造語だ。だから適当にでっち上げる。
「いや、思いっきり待てって意味にしといてください。まず心当たりがですね」
が、こちらの言い分などまるで聞く気もなく。先生はきっぱりと何かを宣言するように一言呟いてきた。
「ハンカチ」
「はい?」
「だから、ハンカチ。その子曰く、アンタに貸したんだってさ」
「………………」
「何か、それなのにひどい扱いされたって怒ってるんだけど。ハンカチのことなのか自分のことなのかは知らないけど」
一瞬ドキリとする。白いハンカチ。赤いハンカチ。そういえばそんなものがあったような気がしないでもない。慌てて自分の身の回りを確認する。
あった。机の上。白色のハンカチ。見覚えのあるものだった。中には一枚、小さなメモ。
メモ曰く、『くやしいから、最後っ屁。悪魔より』。
「……いや。いやいやいやいやいや」
意味がわからない。どういう意味だ。何でハンカチを彼女から奪ってここに置いていくことが最後っ屁になるのだ。わけがわからない。
が、とりあえず確かめねばならないだろう。本当に彼女が彼女なのか。
「先生。とりあえずこう言ってみてください」
「あん?」
「化石」
呟いてから、しまったと思う。嫌な予感は、繰り返した先生の声で膨れ上がった。
「化石? ……あ、おい!」
と、受話器から悲鳴じみた声。嫌な予感が十倍に増した。
「……先生? 何かありましたか?」
「いや、何かも何も。その生徒の名前、島崎遥香っつーんだけどな? 島崎遥香」
爆弾発言だった。完璧に確定。
そして、死刑宣告だった。
「そっち行ったぞ?」
「……マジですか?」
「マジで。すんげー怒ってた。死んでも事情説明させるとか何とか。ま、後で話し聞かせてもらうから、よろしく」
あっけらかんとそれだけ呟いて。ガチャリと音が鳴る。電話切ったんだろうなと理解できたのは、たぶん十秒位してからだった。即座に思考する。怒ってる。死んでも事情説明。それが面倒だからクロロホルム使ったのに。死んでも。ふと引っかかりを覚えた。
(殺す気ってこと?)
「先輩ー? 結局何だったんすか?」
結論。後輩の問いを受け流して、晴香は暗鬱にため息をついた。急いで自分の荷物を纏めて、放送室の扉を開ける。
「ごめん。私も早退する。後は任せた」
とりあえず礼儀程度にそう答えると、返ってきたのは後輩の恨み節だった。
「……先輩もデートっすか? 恨みますよ? 憎みますよ? 呪いますよぉぉぉ……」
「むしろもう恨まれてる気がしないでもないけど……ま、そういうわけで」
闇のない廊下を、ハンカチ片手に走り出す。手のひらの傷も、手首の痕もない。一夜の夢。終わった悪夢の、その続き。悪魔のことはもうどうでもいいが。
いや、よくないけども。
「夢のままで終わらしてくれたら、楽だったのにねえ……」
安穏と呟いて。
晴香は悲鳴を上げたい気分で、ネズミよろしく逃げ出した。
おわり
「……んが」
とりあえず、うるさい。古時計に起こされるようにして、晴香は目を開いた。明るい放送室。機材と撮影機材と電話と古時計の置いてある小さな部屋。電話の置かれた机に突っ伏している自分。どうやら、眠りこけていたらしい。今は何時だろうかと携帯を開く。
十二時五十九分。嫌な数字の羅列だった。
「先輩、なにやってんすかー?」
聞き覚えのある声が鼓膜を振るわせる。声のほうを向くと、同じ放送委員の一年がつまらなそうに機材の前でパイプイスに座っていた。少しずつ思考が夢から離れていく――電話番が晴香の役目で、アナウンスは後輩の役目だ。だから、彼女は眠れない。
つまらなそうではなく、羨ましそうだったかもしれない。
「んー……ちょっとね。夢を見てたみたい」
家のベッドで見た夢だと思っていたが、どうやら学校で見た夢だったらしい。記憶の齟齬が発生してるが、まあ、気にする必要もないだろう。ただの夢だったのだ。なかなかに生々しい夢だったが、今となっては思い出だ。
「夢見てた? ってことは寝てたんすか先輩?」
「いえすざっつらいと」
英語で答えてみる。と、後輩は迷わずブーイングを飛ばしてきた。
「死ね。人が働いてる最中に寝やがって。死ね」
ため息をつく。なんとも口の悪い後輩だ。あの後輩とは段違いすぎて泣けてくる。
「たまには変わってくださいよ、こっちと」
「えー? いいじゃん別に。電話番って先生の小言受ける仕事でもあるんだよ?」
実際グチグチ言われるのだ、電話番。お前授業に集中してねーだろとか、人の話を聞けとか何とか。だからあんまり電話番は好きではなかった。
「そりゃ先輩だけですって。俺は品行方正に生きてますから、小言なんか受けません」
後輩は胸を張ってそう宣言する。まあ、実際品行方正なんて他人の判断することだ。自分で言うのもおこがましい。これもある種の小言なので、平然と聞き流す。
午後の授業の始まりは一時半からだ。三十分の暇がある。なら、寝るのが最適だろう。そういうことで、晴香はもう一度寝ることにした。
と、それを妨害するように後輩の声。
「あー、そういや品行方正で思い出しました。先輩先輩。ちょっと愚痴聞いてくださいよ」
「……なしてー?」
「愚痴に意味なんてあるわけないじゃいっすか。単にちょっとこう……こう、イラっと来たとでもいうか。まあ、いいじゃないっすか。別に減るもんあるわけじゃないんですし」
「私の睡眠時間が減るよ」
言った瞬間、後輩は耳を塞ぐ。どうやら、何があっても聞けということのようだった。仕方ないからため息をつく。それを肯定と見て、後輩はべらべらと喋り始めた。
「うちのクラスに田野優花って奴がいるんですけどね? そいつが今日、他のクラスの女子と仲良く早退しやがったんですよ。何でも、今日オープンするカフェに行くんだとか何とか! 学校サボってっすよ?」
「……いいんじゃないの?」
若い頃なんてそんなものだろう。若気の至りという奴だ。そういうのが悪夢も含めて思い出となるのである……ふと思う。物は魂が宿った瞬間から歳を数え始めるべきなのだろうか。それともやはり作られたときからか。
と、判断が出るよりも早く、後輩の罵声。
「何言ってんすか? 学校サボってるんですよ? うらやま……じゃない、けしからんわけですよ! ああああああああっぁぁぁ」
後半はもはやなにやら手をじたばた振っているが、何かのジェスチャーだろうか。まあ、無視してもいいだろう。
それにしても、田野優花。聞いたことのある名前だった。あまり聞いたことがないのか、この上なくうろ覚えだが。何となく、知り合いのような気はする。まあ、だからなんだと言うだけの話だ。どうせ夢の話なのだし。
と――携帯がメールを受信する。後輩の戯言はなおも続いていたようだったが、どうでもいいので無視をして、晴香はメールを確認した。
「……へえ?」
「……ん? 先輩、どうかしたんすか?」
「いや、別に。夢って現実に干渉して来るんだなって感嘆しただけだよ」
「へ?」
「ま、どうでもいいことだよ」
適当に呟いて、手をぶらぶら振って何でもないと合図する。後輩は怪訝を浮かべたままだったが、そのまま機材へと視線を戻していった。それを確認してから、もう一度メールを見る。
送信者の名前は『悪魔』だった。くだらない悪戯メール。題名には、『勝者に敬意を表して』と書かれていた。
――望みを一つ。勝者のために叶えよう。
それが本文。チェーンメールなみに陳腐な本文だった。まあ、リスクを背負ったからには何かしらのリターンがなければやってられないが。返信すれば願いを叶えてくれるのだろうか。そこら辺の詳しいことは書かれていなかった。
ふと困る。願い事なんて何もないのだ。この日常を楽しんでいる自分からすれば。まあ、だから悪魔には悪いがしばらく放置することにした。願いに有効期限はない。ふらっと思いついたときに使えばいいだろう。
結局、夢だったのか現実だったのか。それとも手の込んだ誰かの悪戯だったのか。答えを出す必要はあるのかないのか。まあ、どうでもいいことだ。時間戦争や電波戦争、果ては人と物との究極の戦い、無機物戦争なみにどうでもいい……と。
「あ、そうじゃん」
それがあった。それならちょうどいいかもしれない。
「どうかしたんすか?」
「いやね、時間戦争とか電波戦争とか無機物戦争って、聞いただけでもとんでもなさそうじゃない?」
「……まーた始まった。ま、大変なんじゃないんすか? 無機物全部敵って、人間は何使って戦えって話ですよ」
「だよねー。んじゃ、起こらないように願っときますか」
さっさと携帯いじって、悪魔にメール送信。これで地球は平和になったのだ……
と。ボケッとしている間に後輩の声。机の上の校内電話を指差して、一言。
「先輩。電話鳴ってますけど」
規則正しいコール音。振り子時計の音を静寂を強調する音というのなら、これはまさに静寂をぶち壊す音だった。呻く。
「……オーケー。交代しない?」
「死んでもお断りします」
あっかんべーされた。仕方がないから泣く泣く受話器を取る。聞こえてきたのは、男っぽい口調の女性の声だった。
「おーい、石田いるかー?」
「いません」
「オーケー、いるな。ならいい」
国語科の先生の声だった。この先生の話は時々嫌というほど長くなる。かといえば、稀にものすごい単刀直入だったりする。だからあんまり好きじゃなかった。
今回は単刀直入のほうだったらしい。先生は、開口一番とんでもないことを言い放つ。
「なあお前、最近誰か泣かせたりした?」
わけがわからずにポカンとする。聞こえていたのか、後輩もポカンとしていた。呻く。
「……あのですね、先生。まったく心当たりがないんですけど」
「だよなー。石田だもんなー。なあ、本当にこいつか? 石田晴香だぞ?」
嫌な同意のされ方だった。後半は誰かとの会話だったようだが――とりあえず、それに聞き耳を立ててみる。といっても、途中から受話器を遠ざけたのか、声はほとんど聞こえてこなかった。仕方がないから数秒待つ。
「やっぱりお前だって。いつの間にアタシの生徒に手だしたのよアンタ」
容疑が確定したらしい。が、やっぱり心当たりはまったくなかった。
「いやいやいやいや、ちよっと待ってください」
「何よ、ちよっとって」
特に意味のない言葉である。というか造語だ。だから適当にでっち上げる。
「いや、思いっきり待てって意味にしといてください。まず心当たりがですね」
が、こちらの言い分などまるで聞く気もなく。先生はきっぱりと何かを宣言するように一言呟いてきた。
「ハンカチ」
「はい?」
「だから、ハンカチ。その子曰く、アンタに貸したんだってさ」
「………………」
「何か、それなのにひどい扱いされたって怒ってるんだけど。ハンカチのことなのか自分のことなのかは知らないけど」
一瞬ドキリとする。白いハンカチ。赤いハンカチ。そういえばそんなものがあったような気がしないでもない。慌てて自分の身の回りを確認する。
あった。机の上。白色のハンカチ。見覚えのあるものだった。中には一枚、小さなメモ。
メモ曰く、『くやしいから、最後っ屁。悪魔より』。
「……いや。いやいやいやいやいや」
意味がわからない。どういう意味だ。何でハンカチを彼女から奪ってここに置いていくことが最後っ屁になるのだ。わけがわからない。
が、とりあえず確かめねばならないだろう。本当に彼女が彼女なのか。
「先生。とりあえずこう言ってみてください」
「あん?」
「化石」
呟いてから、しまったと思う。嫌な予感は、繰り返した先生の声で膨れ上がった。
「化石? ……あ、おい!」
と、受話器から悲鳴じみた声。嫌な予感が十倍に増した。
「……先生? 何かありましたか?」
「いや、何かも何も。その生徒の名前、島崎遥香っつーんだけどな? 島崎遥香」
爆弾発言だった。完璧に確定。
そして、死刑宣告だった。
「そっち行ったぞ?」
「……マジですか?」
「マジで。すんげー怒ってた。死んでも事情説明させるとか何とか。ま、後で話し聞かせてもらうから、よろしく」
あっけらかんとそれだけ呟いて。ガチャリと音が鳴る。電話切ったんだろうなと理解できたのは、たぶん十秒位してからだった。即座に思考する。怒ってる。死んでも事情説明。それが面倒だからクロロホルム使ったのに。死んでも。ふと引っかかりを覚えた。
(殺す気ってこと?)
「先輩ー? 結局何だったんすか?」
結論。後輩の問いを受け流して、晴香は暗鬱にため息をついた。急いで自分の荷物を纏めて、放送室の扉を開ける。
「ごめん。私も早退する。後は任せた」
とりあえず礼儀程度にそう答えると、返ってきたのは後輩の恨み節だった。
「……先輩もデートっすか? 恨みますよ? 憎みますよ? 呪いますよぉぉぉ……」
「むしろもう恨まれてる気がしないでもないけど……ま、そういうわけで」
闇のない廊下を、ハンカチ片手に走り出す。手のひらの傷も、手首の痕もない。一夜の夢。終わった悪夢の、その続き。悪魔のことはもうどうでもいいが。
いや、よくないけども。
「夢のままで終わらしてくれたら、楽だったのにねえ……」
安穏と呟いて。
晴香は悲鳴を上げたい気分で、ネズミよろしく逃げ出した。
おわり