近くで二発の銃声が聴こえてから、しばらくの時間が経った。昼の放送でまたも誰かが死んだのを知り、禁止エリアが告げられた。
13時は船着場のG-7、15時は集落の一部にあたるH-4、17時は北の教会から東に進んだ場所にある森、B-8だった。

それらを地図に書き込んでから、中元日芽香は、教会の屋根で見張りをしている伊藤かりんに声を掛けた。

「誰か居た?」

先程の銃声を警戒したのか、かりんは率先して見張りを志願した。右手にはサブマシンガンがしっかりと構えられている。
そのかりんが日芽香を一瞥してから無言で首を振った。どうやら心配していた事は起こりそうもない。

「だったら、そろそろご飯にしよう。みんな待ってるよ」
「はい……すぐ行きます」

立て掛けられた梯子へと足を伸ばす、もう一度銃声の音がしたであろう方角に目をやる。すっかり秋めいた空に山の緑が際立つ。心地よい風が木の葉を揺らした。この美しい自然の中で、誰かが死に、誰かが殺しているだなんて、信じられなかった。
日芽香の呼び掛けに、再び返事をして、かりんは足早に教会の裏手の民家へと向かった。






「ふ、ははは。見ぃつけたぁ」

笑う殺人鬼の視線の先、林の向こうに見える教会の屋根に、人影を見つけた。

指で作った望遠鏡の中には、人形めいた表情に生物らしいアクセントを与えている二つの眼。それがニッコリと笑う。

堀未央奈は、自分の生きたいという本能に壊れ、目標(ターゲット)に向かってその足を進めた。















青い空に白い雲。

満ちるのは光、とてもとても……穏やかで温かな温もり。

側では透き通った水が湧き出て、水路を満たす。そして向こうでは水の壁が光に反射し、美しい七色の光を沙友理に見せてくれる。

ふと、視線の先に白いワンピース姿の少女が現れる。
大きな白い帽子を被り、小さなバックを持って……そしてその側には、他の少女の姿も……

そして、その少女達が振り返った。

いくつものつぶらな瞳が嬉しげに細められ……少女らは笑い、口を開き、

そして、


「さゆりん」


彼女ら口から出てきたのは、何かが混ざったような雑音だった。

それでも沙友理を呼んでいるのだと、分かった。

嬉しげに手を差し出して、手を招いて……だけど、

(ああ、これは……)

これは、夢だ。

すぐそう思った……いや、気付いた。
嬉しげに笑う少女も、美しく懐かしいその景色も全て全て……


「夢、幻だ……」


そう呟いた瞬間、少女らの顔が曇り、泣きそうな顔になる。
それで分かった。
ああ、これはあの日の再現だ、と。
これらは全て終わってしまった過去でしかなく、……私は、

「私は、此処になんか居ない」

穏やかな場所など私には無い。
そうだ、無いのだ……こんな優しい場所など、私には無い。

(これはただの、美化された過去だ)

この景色もそう……
最後に見た時は、嫌悪感に満ちたような、呆れた空気がそこら中に……蔓延していたではないか。
そう思った瞬間、空気が重く変わる。
どこか残念がる心に蓋をして、溜息と共に思う。


(……仕方がない、ことだ)


自分の仕出かした事の重大さぐらいよく分かっている。

目を瞑り、次に開ければ……

頭に思い描いた通りに目の前の空間は穢れていく
赤く黒く、灰色に……
狂った、穢れた色に染まっていく……


「ーーで」「ーーの」


また何かの声が混ざった……それでいて怒り気味に。

(ああ、そうだったね……)

ーー私は、帰らなくちゃいけないーー

『私』を呼んでいたのはみんなじゃない。ならば、私は此処に居るべきではない。そう思い立ち、背を向けた……瞬間、

「私は、おまえをゆるさない」

誰かの声が、聞こえた。

そしてすぐ、睨まれているような視線を感じた。

(ああ、これは振り返らなくても、考えなくても思い出せるね……)

だから、

「そうだね、私を……許さないで」

笑みを浮かべ言い渡そう。

自らが美しく保っていた思い出に、美化し忘れ去っていた愚かな記憶に、

私を憎めと、言い渡そう。

そして忘れるなと、

私はみんなに憎まれているのだと。

今回の戦いで……全てをーー本音を、知ってしまったから…………

ーーさよなら、私の思い出……さよなら、大切な大切なーー



みんな……










衛藤美彩が死んでから二分とちょっと後、松村沙友理は、堀未央奈の手によって、殺された。

喉に突き立てられたナイフからは、大量の血が噴き出し、伸ばした腕は、何かを掴もうと何度も空を握り続けていた。

命を乞いたかったのか、愚かな行為に懺悔したかったのか、その両の瞳からは、涙が零れ落ちていた。

堀未央奈の笑い声は、もう届かない。

午前十一時を少しだけ過ぎた時、松村沙友理は突き立てられたナイフによって、息絶えた。













松村沙友理は、木の陰からそっと頭を出した。二つある山の西側、学校とは反対側の山の中腹近く、山頂からは東寄りの辺りにいた。
沙友理は支給された武器のドライバーをら持ち直すと、一度後方を振り返った。

暗い間隠れていた場所は、もうどこか分からなくなっている。昨晩からどれほど進んだのかすら分からない。沙友理が動き始めた理由は、誰かーー信用出来る仲間を探し出して、一緒に行動することだった。

ただ、自分が信用出来そうな仲間が、自分を信用してくれるとは限らない。

この島へ訪れる前、沙友理は皆の信用を失くす行動を取ってしまっていた。それを写真週刊誌伝いでメンバーに知らせることになってしまい、謝罪はしたものの、一部のメンバーとは以前よりギクシャクした関係が続いている。

そんな事もあり、沙友理は今一歩前に踏み出せない。

ただ、そんな沙友理にも、絶対に信用出来そうな仲間がいた。

それは、一番仲の良い白石麻衣ではなく、乃木坂を一番に考えていて、自分の仕出かした事にも、一番に怒って、一番に許してくれた彼女ーー生駒里奈だった。

彼女なら自分のことを無条件に受け入れてくれるかもしれない。勝手な信用かもしれなかったが、今の沙友理には里奈の助けが必要だった。

里奈だったらどこに向かうか、そんな事を考えながら沙友理は無我夢中に茂みを掻き分ける。右手のドライバーを力強く握り、邪魔な木の枝を折った。

途端、十数メートル離れた場所に、誰かがいた。

その後ろ姿に見覚えがある。里奈ではないことを確かだ。背中にじわりと汗をかく。それはゆっくりとこちらを向いた。

瞬間的にーー衛藤美彩だと分かった時点で、沙友理は茂みの中に隠れようと、身を低くしていた。だが、声が掛かる。

「誰? ねえ、誰? ねえってば!」

正面から茂みをかきわけて、迫ってくる音が聞こえる。

ーーお願いだからこっちに来ないで。静かにしてーー

大声は、他の誰かに居場所を教えることになってしまう。早く止めさせなければ。

目の前、数メートルまで近づいたところで、沙友理は、隠していた身を晒け出した。右手のドライバーを強くにぎりしめる。

「なーんだ」

沙友理を見た美彩の表情が、残念そうに曇ったのを見逃さなかった。見つけたと思った宝石が、ただの石ころだった時のような、凄く残念そうな表情だ。沙友理の胸にちくっと棘が刺さったような気がした。

「なんだ?」

敢えて問う。それは、沙友理からの意地悪な質問だったーーはずだったが、美彩は「だってねえ……」と苦笑いを浮かべる。

「あんな大事起こした人と一緒に居たらーーあ、ううん、なんでもない」

この状況だからだろうか、本音は意外と早く漏れ出た。美彩の困り顔がわざとらしい。

「そう。だったら、消えるわ」

あくまで笑顔を維持して踵を返す、怒りと悲しみが混同して、沙友理は泣きたくなってきた。

「消えるって、死ぬわけじゃないんだ」再び聞こえた美彩の本音は、凄く小さな声だったが、風に乗って沙友理の耳にはっきりと聞こえていた。拳をぐっと握る。「仲間なんている訳ないのに」

小さな溜息が聞こえたのをきっかけに、沙友理は身体を反転させ、右手のドライバーを美彩の顔面目掛けて振り回す。

半歩後ろに下がった美彩の目の前でドライバーが空を切る。身体がよろめいたのを左手で支え、もう一度態勢を立て直す。

「ちょっと……今、なにし」
「うるさい!」

持ち直したドライバーを、今度こそ顔面目掛けて突き刺す。一度目をしくじったのは痛かった。警戒した美彩には、沙友理の右手の軌道は読まれていたらしく、二度目のドライバーも避けられてしまった。

「はあ、はあ、はあ……」緊張感からか、大した運動量でもないのにも関わらず、息が上がっていた。

「みんなに言ってやる! あんな事して迷惑掛けた癖に、今度は人殺しだなんて……さいて」

言い終わる前に、耳をつんざくような音が鳴り響いてから、美彩の頭部から紅い液体が噴き出した。マネキンが倒れるように、美彩の身体もゆっくりと倒れる。
その瞳は、沙友理を見据えたまま、「なんで?」とでも言いたそうな顔をしていた。

「ふふふ……はははは!」

笑い声が何処からか聞こえる。沙友理は怯えながら、辺りを見回した。

「はははは。喧嘩、してる……はははは」

沙友理の右手方向の木と木の間に、堀未央奈が居た。











集落から北西に数百メートル行った場所、もうすぐ禁止区域になるであろう、『1-F』のすぐ手前辺りに、里奈達は逃げ隠れていた。
「ここなら多分誰も来ないよ。すぐそこが禁止エリアになるしね」
「うんーーあのさ、なんで二人はあそこに居たの?」

なんで助けてくれたの? 二の句が継げられなかったのは、里奈が少しずつ仲間を信じられなくなってきたからだろうか。里奈の疑問に一実はまあやと視線を合わせて、少しはにかんだ。

「これ、私のバッグに入ってたんだ」

一実が差し出した物は、小さな長方形の機械だった。表面にはさらに小さな液晶スクリーンがあり、その中央に黒い丸が四つ点滅していた。里奈は不思議そうな顔で目をぱちくりした後、一実に視線をやった。

「なに、これ?」

「これね」一実反対機械を持つとは反対の手で自分の首輪を指し示した。「この首輪を着けている人の位置が分かるの。ただ、結構近くまで行かないと画面に映らないんだけどね」

その説明で、里奈はようやく意味を理解した。そのまま一実は続ける。

「誰かまではわからないから、近づいて確認しなきゃいけないのがね……」

後半低くなった声に、里奈は落としていた瞳を持ち上げた。

「花奈りんがね……殺された」

スクリーンに映った二つの点滅を確認しようとしたところ、偶然にもその光景を目の当たりにしてしまったと言うのだ。

「私達が見つけた時には、もう、撃たれているところだった……」

佑美の動向を伺いながら、その場から逃げようとした時、突然一つの民家に向かって走り出した事で、二人はしばらく様子を見ることにした。案の定、そこからは里奈とみなみの二人が現れ、絶体絶命のピンチに陥っていた。

「気付いたら、まあやが石投げちゃったし、どうにでもなれって感じで私も投げちゃった」
「結果オーライだったし、いいんだよ」

まあやは、何故か照れ笑いに似た表情を隠すようにそっぽを向いた。みなみが「照れんなー」と茶化す。

「そっか……。二人とも、ありがと」

里奈は二人に向けて笑顔で告げた。続いてみなみもお礼を言ったが、どことなく照れがあり、そこをまあやに笑われた。

そして「二人は、ずっと一緒なの?」みなみが聴いた。

まあやが首を振ってから苦笑を浮かべる。

「かずみんが居なかったら死んでたと思う。あそこで助けに来てくれなかったらーーそう考えると……」

禁止エリアになる一分前の出来事だった。ほんの小さな崖を登れば助かる状況で、まあやはどうする事も出来なくなっていた。頭の中は助かりたい一心だったが、どうしても浮かぶ、首輪が爆発して自分が吹き飛ぶシーン。そうなりたくないと必死にもがいた。そこに助けに来た救世主が一実だった。

「そっか」里奈がまあやの頭を撫でる。「神様が生きろって言ってくれてるんだね」

そう言って、微笑んで見せた。一実が「二人は?」と問う。

撫でていた手を止め、里奈は瞳を落として数瞬だけ沈黙した。優子の事を言うべきなのか考える。

「みなみが逃げて一人でいる時に、偶然、生駒ちゃんに会ったんだよ。ね?」
「え? あ、う、うん」

何の意図があったのか、何も考えていないだけなのか、みなみは里奈が即答しなかった事で、優子の事を隠した。里奈は考える、本当にそれでいいのかと。ようやく出会えた仲間に嘘を吐く事に、罪悪感を覚える。

「でさ、これからどうする?」

一実から今後の事を問う質問を投げかけられた。













ゆっくりと地面を一歩一歩踏みしめながら佑美は歩いていた。二人から見えるのは、佑美の横顔だけだったが、その表情はどことなく気怠そうで、つまらなさそうな顔をしていた。
先程の銃声が佑美だったなら、誰かを殺したのだろうか、里奈はその真相が知りたかった。もう片方の手に持っているバッグを観察する。目を凝らしてよく見ると、バッグに赤い何かが付着していた。

「血……?」

思わず声にだしてしまった。みなみが人差し指を口許に当てて「しーっ」と口の動きだけで示した。里奈は慌てて自身の口を塞ぐ。視線を外に戻すと、佑美は後ろ姿をこちらへ向けていた。

遠ざかろうとする背中をしばし眺め見る。心臓は先程から大きく鼓動し、里奈の思考はバッグの血のことで頭が一杯になっていた。

あれは何だったのだろうか、佑美に怪我は無さそうだったのに何故血が付着していたのか。考えれば考える程、答えが一つに絞られていく。

佑美は誰かを殺したのではないか?


その答えを出した時、遠ざかっていた背中が、くるりと回転してこちらを向いた。


二百メートル先にいる佑美と視線が合った気がして、二人は思わず窓から頭を下げる形を取った。

そのまま四つん這いの姿のまま、里奈が自身のバッグを掴み、中の銃を右手に持った。みなみもまたバッグを抱え、二人は出入り口の商店側へと急ぐ。

「見た?」里奈が問う。「こっち見て笑った!」みなみが答える。二人の口ぶりが早くなる、急いで靴を履き、大きく開けられたお店の入り口へと向かう。

そっと顔だけを出して辺りを窺ってから、みなみに合図を出した。壁伝いに外へと出る。

「きゃあっ!」

里奈が振り返ると、下方に腰を抜かしたみなみが尻餅をついていて、その後方には佑美が笑顔で佇んでいた。

「二人とも、どうしたの?」

佑美がいつもの笑顔で問い掛ける。口を開けたまま里奈はその問い掛けに何も答えられなかった。視線だけを動かし観察する。よく見ると、佑美の服には赤い斑点模様が散りばめられていた。

「みなみ、そんなとこに座ってるとお尻汚れちゃうよ」

固まったまま何も言わない里奈を無視して、佑美がみなみを立ち上がらせようとしゃがむ。その動作を目で追いながら、里奈は思わず声を荒げた。

「触んないで!」

みなみを自身の側へと引き寄せる。佑美の目がきょとんと不思議そうに点になった。

「あ、ごめん。なんか悪いことした?」
「それ、なに? ……なんで血ぃ付いてんの?」

ゆっくりとみなみを抱き寄せて、里奈は疑問を投げ掛けた。佑美が自身の服を見て、「あぁ」と呟いた。

「これのことか。これはね、私の事を女の子扱いしなかった人がいてさ……」

表情が曇る、眉間に二本の筋を作り、鋭い目付きで地面を睨んでいるように見えた。

「むかつくよね? 守られたいのは私も同じなのに」

掌に爪が食い込む程に握られた拳が壁に叩きつけられた。どんっと言う音に二人が一瞬驚いた。

「こ、殺しちゃった……の?」

恐る恐る問う里奈に帰ってきた返答は、頷きだった。息を呑み込み、大きく深呼吸をする。

その返答に、これが夢ではないのかと里奈は目を閉じた。閉じた瞳からは抑えきれなかった涙が溢れ落ちる。

「だって、しょうがないじゃん。あの二人が悪いんだよ」
「しょうがなくないよ! しょうがないで、なんで殺しちゃうのぉ……」

言い訳なんて聞きたくなかった、いや、言い訳なんてして欲しくなかった。殺した事をすんなり認めた事に絶望し、その事実に言い訳をした事に愕然とした。涙でくしゃくしゃになった里奈が、自身の銃を佑美に向ける。

「どっか行って! 顔も見たくない!」
「生駒、それ、私に向けちゃったら、一緒だよ?」
「うるさいっ! 一緒じゃない! ウチは撃ってないもん、こ、ころ、殺してないもん!」

引き金に指は掛かっていたが、撃つ素振りが見えない事は分かっていた。自分がやった事を正当化したい佑美は、里奈の言葉は邪魔でしかない。

「だったら、死ぬ?」

マシンガンの銃口が里奈へ向けられる。今の佑美には正常な思考は働かない。

嗚咽で里奈の肩が上下に揺れ始めた時、佑美の体に野球ボール程の大きさの石が当たった。

「二人とも、逃げて!」
「生駒ちゃん、こっち!」

右方向の茂みの中から二つの顔が見えた。何かが放物線を描いて飛んでくる。それは再び佑美を目掛けていた、今度は頭に命中する。

よろめいた佑美と右方向の二人を交互に見て、里奈はみなみの手を引いて走り出した。

「早く、こっちこっち!」

その声に向かって全速力で走る。後方からは佑美の怒声が聞こえた。パパパパパパパと銃声が鳴る。
それは二人から大きく外れ、右斜め方向の木の葉を撃ち抜いただけだった。

茂みの中へダイブした里奈の手を握った一人が、そのまま走り出した。

二人の背中を見ながら、里奈は嬉しそうに名前を呼んだ。

「かずみん、まあや!」

高山一実と和田まあやの二人は、顔だけを振り返らせると、その声に笑顔で応えてくれた。