女の後ろに控えるのは、何処にでもいそうな男女、おおよそ二十数名。年齢層は何れも若く、嬉々として眼光に狂気を孕んでいる。笑顔が素敵で恐ろしい。手に手に携える物体は、そのどれもが本来の用途とはかけ離れた扱いを受ける工具類。気合入ってらっしゃる。

「いやいや、無い無い。私怨にしたってこれは用意周到すぎ。わたしはそんな人数に恨みを買った覚えもないし、何しろアンタたちどうやってこの状況を作り出したのよ? てかもう常識で考えて病院で人殺しとか考えないでしょ普通?」
「嫌だなあ。我々にはきちんとした動機も、それに見合った常識も、それに基づいた手続きも、何もかもが終わっているんです。まったくもって問題ない」
「なっ……」
「無論、我々なりの流儀で、ね」
「もうアンタたちが死んでよ。我々? いつから群れるようになったわけ?」

やば、呆れたなんてかわいい感情通り越してる。相手にしたくないやつナンバーワンてとこだ。何しろ「彼ら」の常識が真っ当なはずもなければ、じわじわ距離を詰める周囲は殺意全開。これはどこから突っ込もう。大体、壮大な響きをしてるけど、どうせ国内ローカルだ。全くクレイジーなジャップ共だぜ、それは間違いない。

「≪トゥエルヴ≫誰が呼ぶようになったかは知りませんが、非常に、そう、悪くはないと思っています。まあ、実際のところは他にちゃんとした名称がありますが……ここで死ぬ以上、わざわざ知らずともいいでしょう? それに、我々の手は、耳は、目は広くに張り巡らされています。逃がす気は更々」
「無いよ、逃げる気なんて。だから遠慮なく黙ってて」

左足が、しなる。つま先からはじき出されたサンダルは、狙い過たず女の頭を叩く。それに反応するように動き出した群衆を眺めつつ、思考を張り巡らせていく。


バールのようなものに二ポンドハンマー、包丁に千枚通しにシャープペンシル。まだまだ数えればキリがないが、バリエーションの豊かさといったらもうシャレになってない。目の前の人間を殺す、という意思で繋がった狂った協調性の前には、常識なんてどうでもいいのだろうか。いいのだろうなぁ。

まあ、だからこそ読みやすい。殺到する殺意が赤い流線となって見えるほどに、純粋な殺意の集合体。待つだけであれば、死亡パターンはおおよそ五十八。手首の銀が居座る以上、再生できるか分かりはしない。しかし、この赤い竜泉そのものこそ、常人には見えないものではなかろうか――?







暫くして立ち止まり、周囲を軽く見回した。一人きりだ。右も左も上も下も、白い世界で一人きり。耳に忍び込む音は、世界が崩れる音だった。だけど、その音を「聞いて」はいない。むしろ、安楽椅子で寛ぐように、心がそれを認めるように、安らいだ気分で「聴いて」いる。わたしの中の何かが揺れ動き、笑いながらぐずぐずと――。


「は、馬鹿な。わたしはまだC3のはず。ちょっとやそっと奪ったり取り込んだぐらいで、そんな」

変わるなんて、都市伝説だ。あるわけがない。そう、断言したかった。狂った自分なんて誰も認めたくは無い。つい先日、少年の末期から目を背けた理由は、壊レタ観点かラでは、無イ。

「っ痛!?」

自らの思考ノイズが常軌を逸した、その瞬間だった。手首を圧し潰さんばかりの圧力が痛みに変換され、脳髄を支配していた歪んだ感情が払拭されたのだ。驚くべきは、既に「無視をする」ことが通例となっていた痛覚が、ここにきて顕著になったことであろう。自らの肉体、その特性から判断して脳がうけつけなくなった痛覚が、ここにきて蘇った意味を考えるならば、これは間違いようの無い「束縛」ということか。

「わたしは、もしかすると本当に」
「そう、本当に狂っている。違いますか、渡辺先生?」

唐突に、からかうように声が響く。わたしの思考時間が長すぎたのか、はたまたあちらの出現が唐突だったのか。どちらにせよ、『先生』などと呼ぶ手合いは数えるほどしか知らない上に、声の主すら理解できない。記憶に無いのだ。恐らく、某氏なら知っていてもおかしくはない。

「忘れましたか、先生。かれこれ何年前になりますかね? 貴女の二人目の担当として宛がわれ、あっという間に職を奪われた惨めな女ですよ」
「……ああ、えっと、その節は悪かったと……まさかアンタがあんなに仕事ができないだなんて、わたしも知らなかったし、よく就職できたな、と当時は思ってた。……ごめんなさい」
「言ってくれる……! あれほどのじゃじゃ馬振りを見せ付けておきながら、それを変えもせず今更その態度! 私の人生を狂わせておきながらのその言葉、全くもって腹が立つ! こちらを見ないのも、貴女なりの奢りなのだろう?」

いや、興味が無いからなんだけどなぁ、などとは口が滑っても言えない。それ以上ガタガタとぬかされるのもうざったいので、仕方なしなし振り返ってみる。そこにある女の姿は、間違いようも無く狂っている、と断言できた。整った顔立ち、服装、丁寧に散髪された髪など、外見だけを見れば常人のそれだろうが、だとすれば、瞳に宿る狂気は一層におぞましさを増している。挨拶がてらに人を狂人扱いする割りに、自分も狂っているとは救いがたい。

「笑わせないでよ青二才。アンタ、わたしより年月生きてる割にわたしより人生ってモンを知らないでしょう? もう一回はっきり言わせてもらう。『アンタは使えない』。何においても」
「それは、どうかな。C3という不安定な立場にありながら、自らの変調を由とせず、足掻き生きる貴女をして人生を語る立場にある、と。それはとても傲慢だ。独りよがりな考えだ。そんな貴方を野放しにはできないな。今すぐ」

死ねばいいのだ、と。大仰な素振りで両手を広げ、死刑宣告を落としてくる。どっちが傲慢よ、と口を開く、その直前。無人だったはずの廊下は、処刑場となり果てた。







たった数ccの血液が、変化もなく試験管の中で揺らめく。その事象自体は、日常生活で何度も目にするものだろう。しかしながら、「渡辺麻友の」という接頭辞が付くだけで、それはとんでもない出来事であるかのように認識できるから、不思議だ。いや、実際不思議で仕方ないのだけれど。

「では、採血は終わりですね。確か三時間、でしたね? その間は『それ』、外さないで下さいね」
「分かりました……しかし、いつの間にこんなものを?」

採血痕の残る左腕を押さえつつ、看護士の指示に小さく頷く。が、視線は頷いたまま、右腕の『それ』に注がれたままだ。それこそが、試験管内で揺らめくわたしの血液が暴れないようにしているもの、なのだそうだ。形状は簡素な銀の腕輪。表面に記された幾何学模様と、「FC-01」なる表記が、ただの腕輪ではないことを示している。しかし、銀とは。わたしは西洋の魔族の類か。というか、相手の飄々とした態度にどこか薄ら寒いものを感じ、わたしもつい敬語になってしまっていたけど。違うか、気心の知れた相手でもなし、敬語が普通なんだ。

「昨年末でしたかね? C4以上の拘束に多大な費用がかかるのと、渡辺さんの採血が毎度毎度上手くいかないからどうすればいいんだー、って学会のほうでもかなり問題になっていたそうで。唯一データをとれる体液は自ら解毒の為に吐き出した血液、では因子濃度のチェックもままなりませんしねぇ。……で、拘束の効率化と、渡辺さん他、同等の拒絶反応が起きる方々のデータ採取にと、因子の働きを抑える方法を……」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんな簡単に出来るものだったんですか? ていうか、そんなあっさり言われても困りますし、何しろわたしの検査って単なる健康調査とかじゃなかったんです? 因子濃度まで測ってたって初めて聞きましたけど」
「ええ。初めて言いましたから」

しれっと、重大なことを言われた。わたしの検査内容について学会までもが興味津々とは、一体全体どうなっているのだろう。確かに、ここ数年で何度も何度もC4拘束に関わってはいるが、わたしの因子濃度に不安要素があるというのは初耳だった。だってそんなこと、一言も聞いていない。

「因子濃度は固定不可分、とは言いますけれど、それは九割。我々の庇護下にある貴女が残り一割であるかははっきりしていませんし、仮に貴女の濃度があがった場合、我々としても警察サイドと連携して対処しなければならない、という密約がありましてですね。学会でも、残り一割を割り出す方法について議論が耐えなかったりで」
「つまり。今まで何とか調査しようとしても出来なかった『わたしの血液』を調べることで、わたしが本当にC3か――或いはC4寄りなのかがはっきりする、と」
「そうなりますね。FM因子そのものが、血液以外の体液から抽出するのに向いていないとも言えます。それに――、おかしいと思いませんか?」
「何がですか? 犯罪率は減少傾向、わたしの死亡回数は激減、毒の排出で死ぬ思いをすることもなく。『それ』を普及させれば世界平和も五歩くらい前進するんじゃ」

首を傾げ、思ったままを口にする。現実問題、コキ使われてる現実は置いといても、所謂「寄せ餌」の皆さんが犠牲になる件数は大分減った、と聞く。

それも、C4以上など日本人口から逆算すればごくごく僅か。虱潰しにすればいつかは終息を迎えるだろう。普通ならそう考える。……の、だけど。

「逆、ですよ。この間の少年といい、最近は因子濃度が初期検出と合致しないケースが多過ぎます。既に一割なんてものでは」
「でも、ただ単に不確定要素が重なってるだけで、総量は変わらないはずじゃ? 一割の不確定が、まだ知られてないとか」
「《霧人》《礫の手》そして、《亡霊トレーラー》……彼らもまた、その『一割』だと余りに都合よく、話が回ってはいませんか?」

息が詰まる。あ、空気中に漂う消毒液の匂いが鼻につく。何をイワンとしているのかは、一々口にせずとも理解できた。彼の口にしたい言葉、それが事実なら――

「増えて、いる? ううん、試算自体が狂っていた? ……わたしに何かあるなんてことは、無いですよね?」
「多分、『渡辺さん単独で』というのはないでしょう。しかしながら、FM因子そのものに何らかの動きがあるのは確かです。それが何かは不明ですが……気をつけてください。社会的にはまだ『人』扱いの貴方でさえ、『あちら側』、致命的犯罪者の心理を覗きすぎている。闇を覗き込むものは同時に覗き込まれている、という言葉、強ち間違っていませんよ」
「ははっ、意味深ですね? 大丈夫ですよ、わたしは。きっと、C3のままであることを違えたりはしないはずです」

そう言って立ち上がり、踵を返す。次の検査はなんだったか、とつまらないことで心を埋めて、何とか均衡を保ちたくて。逃げるように廊下へと身を躍らせた。







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どうしようもなく愛しているから、という理由が通用するのなら、どうしようもなく餓えているから、という理由も許されるのではないのだろうか。愛しているからとあの人たちを胃の腑に収めてから、その甘美な味わいを除いて餓えを凌げるものはなくなってしまった。だけど、手当たり次第襲ってはすぐに警察に捕まってしまうだろう。慎ましやかに動かなければ。

でも、いや、だからこそ――あの少女は襲わなければ。義務感を感じるほどに強い感情なら、「どうしようもなく」て仕方無いのだ。

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見えなかった。形を持った気配の初動も、左腕を奪われるプロセスも、何もかも。辛うじて、点々と流れ落ちる血が相手の位置を特定、してくれない。そもそもわたしの体の一部が大人しく動かないでいてくれる、なんて希望を持つのがおかしかった。こちらへとお互いに融合し、猛然と戻ってくる様は、己の生き汚さを見ているようで吐き気がする。切断面ですら、大人しくせずに肉が盛り上がっているのに。

ずるずる、と左腕を一飲みにでもしたような音が漏れ出ると、その「獣」は第二撃に躍り出た。

「はやっ、すぎるでしょうがっ!」

右に跳ぶ。左腕を失ったことで大幅に右に傾いた重心は、その行動をコンマ何秒か加速させてくれはしたが、それは「二撃目の致命傷で死ぬ」という選択を「二撃くらっても生きている」という状況にしたに過ぎない。だけど、その姿を、次は確かに視界に捉えた。

獣のように変質を遂げた顎、手、瞳、そして挙動。四足歩行の加速力についてはかつて父から聞き及んだけれど、まさかこれほどまでとは知るわけがない。解決策は四肢の何れかをもぐことだったはずだが、むしろ四分の一をもがれたのはわたし自身だった。

服装は、ブレザー。あれは確か有名私立のものだったか。となれば、寝る前の報道で聞いたC4はこいつか。確認するまでもないけれど。

横っ飛びから着地について考えていないのは下策だった。無様に転がり、左脇腹を削られて呻く自分がそこにいる。避けて居なければ、体軸からごっそり抜けて即死だったろう。どっちにしろ、普通なら致命傷。

一方、着地した相手は、今度は隠れない。こちらが消耗しきったと思っているのだろう、ゆっくりと捕食するつもりだ。何事か言うために、口が動いている。ちゃんと食べるから。残さないから。仕方無いから。そんなことを口にしたいのだろう。残念ながら、断片的にしか聞こえないけれど。

「のこ、な、ら、ゆる、て」
「"残さないから赦して"、かな? 傲慢だ馬鹿。何人も食べといて、そうそう安易に許されると思わないで」

右腕で体を持ち上げようとする。が、バランスが取れず転倒。からかうような声を鳴らし、相手が近づいてくる。学生のクソガキのくせに、少し発現しただけで生意気に好き勝手やってくれちゃって。ああ腹が立つ。

しかし、そのクソガキの足取りは、わたしと数歩離れた位置で歩みを止めた。自分が付けた傷の切断面、あと出血量か。意識を失わないで雄弁に語るわたしにも、ただならぬものを感じ取ったらしい。正解だけど、気付くのが遅い。

「おま、なん、しな」
「あーあー、ハイハイ。普通こんだけされたら失血死してるよね。でも、見てみて? わたしの意識トばさないと失血死にはもってけなかったし、傷口は出血したって戻ってくるの。驚いた?」
「な、なん――ご、ぅえ!?」

訳が分からない、という体でわたしと対峙する少年に、自慢げにとうとうと語る。どうやら、失血死こそなかったものの、痛覚で脳が焼き付いてたらしい。その証拠に、今になってこの少年が飲み込んだ腕が「反応」を始めたようだ。

少年の腹部が、否、腹部から口にかけてが、激しく脈動する。何が起きたか理解できない様子ながら、その激痛に膝を折り、のたうち回る。続いて、腹部を裂いた右腕が裂ける。それを無感動に眺めながら、今度こそわたしは立ち上がる。見下ろす。否、見下す。

「本当はさー、わたしの腕を飲み込んだりしなければ、いや、もっと丁寧に飲みこんでれば苦しんだりはしなかったのに。でも、流れる血を飲みつつ飲み込むっていう暴挙がいけなかったみたいね。食道やら何やらに満遍なく血がこびりついちゃってるから、わたしに戻ってくるにも……あんたの体、千切ったりしなきゃ戻ってこれないんだ。ごめんなさい」

少年の腹部が、更に脈動する。最早、当人の意識はあるやなしや、微妙なところだ。胃袋から上の消化器官全てが、わたしの血を多量に吸ってしまっている。残念だけど、

「詰みってやつ? 過ぎた能力だったね」

背を向け、ため息一つ。断末魔が聞こえた気がするけど、気にしない。形を取り戻していく左腕と腹部をぼんやりと眺め、直後に押し寄せる不快感の波を、背中を壁に叩きつけることで何とか遮った。――三人分か。好き放題やったってのがありありと感じられるほどに、「取り込んだ」それらの感触が生々しい。異常過ぎる消化力と嚥下に要する筋力。成程、まるで大型の肉食獣だ。







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二人一緒に、はとても大変だったけれど、どちらかが残ってしまうのは非常によろしいことではない、と思ったので仕方なかった。けれど、私の体は歓喜の声を上げていたのだからよいことなのだろう。

次は、恋人だった相手。両親のことを聞き及んでいた彼女が私を心配して近づいてくる様はとても滑稽に見えたけれど、それでも彼女は、私が愛するに値する相手であるのは間違いない。だから、その愛に報いるために。

私は、彼女を――する。

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「……寝すぎた」

すっかり暗くなった路地を歩きながら、一人ごちる。精々昼過ぎまで、と思っていたのだけれど、どうやら日々の疲れに二徹は堪えたのだろう、すっかり日没まで眠りこけてしまった。どれだけ眠りが深かったか、というのは、ポケットの携帯の着信数が雄弁に物語っている。着信十七、録音六。うち九割は巡査部長殿、一割母。あの暇人どもめ、わたしに矛先を向けないとロクに生活できないのだろうか。


腕時計のバックライトが照らす短信は七と八の間。長針も、ほぼ同位置。営業時間にはまだ間があるから、マスターに苦労話を愚痴るくらいは許されるだろう。寝る前に嗜めなかった珈琲を口にして、それから帰って、さてそれからどうしたものか。

くあ、と欠伸を噛み殺した辺りで、異様な気配を肌に感じて立ち止まる。物陰から放出されるそれは、殺気と呼ぶには純粋すぎる。敵意と呼ぶにはキツすぎる。対峙した相手を必殺する意志はあっても、それは享楽や怨恨などの混じり気がある意志ではない。故に、この気配は「獣じみている」。

「えぇー、今日はオフの筈なんだけど? 何でわたしが襲われ」

戸惑いの声など、聞こえるべくもない。その気配が人形をとった次の瞬間――わたしの左腕は、消えていた。