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麻友が姿を消して、もう一月になる。毎日のように舞い込む動向をまとめながら、出てくるのはため息ばかりだ。
「寄せ餌」と呼ばれていたころはせいぜい五日に一回あるやなしや、だった彼女の死亡やC4との対峙は、失踪後一週間を境にして爆発的に増大した。毎日なんてものではない。一日に二度三度、その姿が目撃されている例だってある。そのどれもが他人の救済。誰かを庇って死んだところで終わるわけも無く、再生する彼女の姿に、救われた者ですらも唾棄し、冒涜する。
救うたびに死に、その死が全く報われない。彼女がC3であることなんて誰も知らない、C4に見られたっておかしくはないだろう。この行為は、彼女なりの意思をもって行っているのか、或いはただの無謀なのか、自己罰なのか。
唇を噛む。口の端から滲む血を拭うこともせず、己の無力さに嫌気すら差しながら、それでも冷静に思考を巡らせようと思索する。彼女の行動原理が自己犠牲で、より大きい犠牲に動くのならば、次に往くのは最近現れたC5――
「《薬禍擁災(やっかようさい)》
ねぇ。今のあの子じゃ犬死にがせいぜいじゃない。行かなきゃ。そして」
一発くらいひっぱたいておかないと、と。物騒な考えが頭をよぎったのは間違いではない。
Φ←
月が、紅い。恐らくは天候によるものではなく、「悪意」の視界がそうさせるのだろう。フルムーン。ルナティックなこの夜は、待ってましたと死を求めている。真っ赤な視界をより紅く、染め上げて止まないのは、恐らくこの先に求めている相手が居るからだ。そう、それが求める往路は確か、
「化学工場……?」
ズン、と大きく響く爆音。聞こえない筈の悲鳴や怒号、鼻を衝く(筈のない)死の匂い。心臓を鷲掴むそれらの混合物は、細胞単位で歓喜を呼び起こしていく。
「違、う、チガう違ウチガウ……! わたしは嬉しくなンて無い、許されルにはこンな状態、じゃ……!」
「問題ないと思うわよー? 取り敢えず、色々と説明してもらいたいかな、って思うけど。少なくとも、あたしは許す」
唐突だった。今にも狂いそうになる思考の端を、掴んで離さぬ声がした。それは、長くなじみ、それは、死地の前で聞くべきではなかった声。そして、その声の主は、今まさに往路を遮っている。
「今更なによ公僕? こんなとこで油売ってていいの? あの火事の原因は多分、例のC5でしょ? 放っておけばびっくり特大殺人ショウが続くかもよ? ま、いいわ。わたしが止める。わたしが殺す。それで、お終い」
「死にに行くのね、懲りもせず飽きもせず。でも、今度は生き延びる保障ゼロよ? 分かってるんでしょう、貴女の体のことくらい。髪の色目の色肌の綻び。どれもフツウじゃないわ。毒まみれの体で更に毒を浴びて、自分がどうなるかくらいは分かるんでしょう? 仮に万全でも、相手は毒に身をやつすのよ。戦うだけで、侵される。貴女がC3のままでいられる保障なんてないの。だから」
「それでも、わたしは死にに逝く。次に会うのは瓦礫の中ね。大丈夫、わたしは狂うくらいなら誰かの為に死んで逝く」
らしくもない。死んでくれといつも言うのは誰だと言うんだ。そんな言葉を聞く為に、今の今まで過ごしたんじゃァない。だから、その言葉を遮って、覚悟の言葉を口にする。
わたしという人間が如何に愚かで救いがたく、小嶋陽菜と違う場所にいるのか教えておかないと、お互いが不幸になるだけだ。
早く、往かなければならない。恐らくは、このまま放置していい相手ではないのだ。ただ、ひとつだけ。最後に伝えることがあって、聞きたいことがあって、足を止める。
「少しは、料理できるようになった? それと、わたしの部屋は大丈夫よね?」
「……っ、あたしは、まゆゆがあんなに残してったから当てつけだろうと思って頑張ってレシピ通りにやったんだけど何というかドえらいことになっちゃってもうどうしようっていうか片付けたんだけど、えーと、兎に角! あたしは貴女を通したらもう二度と会えなくなりそうで怖いから駄目! あの部屋を片付けるのも、これから朝ご飯をタカりに行くのも、まゆゆに以外考えられないんだから!」
極論だね。何にしろ、わたしの帰る場所は大惨事ってことは間違いないらしい。ああ怖い。ま、構わない。それに言いたい事は伝わってるらしい。八割強は。だからわたしはそれでいい。何のいらえもなく、わたしは死地へと赴ける。
「ほんっと色々と不器用だよね。そりゃまあ、貰い手が居ないってのも分かるかも。もうちょっとマシになればいいのに」
ため息混じりに吐き出される言葉に項垂れる彼女をすり抜け、化学工場へと歩を進める。何をか言わんとする彼女の肩を叩き、小さく一言、残していく。それだけ言えば、全て伝わる。
「でも、アンタはそれでいいよ、小嶋陽菜。残念ながら、そんなアンタをほっとけないし、ほっとかない。生きてたら、家事のひとつやふたつ教えてあげる。だから、今はそのままでいいんじゃない?」
詰まる声すらもどかしく、振り返ることも出来やしない。そんな相手を残して、歩き出す。煌々と照らす満月の光が柔らかいのは気のせいじゃない。きっと今日は、死ぬにはとてもいい日なのだ。
麻友が姿を消して、もう一月になる。毎日のように舞い込む動向をまとめながら、出てくるのはため息ばかりだ。
「寄せ餌」と呼ばれていたころはせいぜい五日に一回あるやなしや、だった彼女の死亡やC4との対峙は、失踪後一週間を境にして爆発的に増大した。毎日なんてものではない。一日に二度三度、その姿が目撃されている例だってある。そのどれもが他人の救済。誰かを庇って死んだところで終わるわけも無く、再生する彼女の姿に、救われた者ですらも唾棄し、冒涜する。
救うたびに死に、その死が全く報われない。彼女がC3であることなんて誰も知らない、C4に見られたっておかしくはないだろう。この行為は、彼女なりの意思をもって行っているのか、或いはただの無謀なのか、自己罰なのか。
唇を噛む。口の端から滲む血を拭うこともせず、己の無力さに嫌気すら差しながら、それでも冷静に思考を巡らせようと思索する。彼女の行動原理が自己犠牲で、より大きい犠牲に動くのならば、次に往くのは最近現れたC5――
「《薬禍擁災(やっかようさい)》
ねぇ。今のあの子じゃ犬死にがせいぜいじゃない。行かなきゃ。そして」
一発くらいひっぱたいておかないと、と。物騒な考えが頭をよぎったのは間違いではない。
Φ←
月が、紅い。恐らくは天候によるものではなく、「悪意」の視界がそうさせるのだろう。フルムーン。ルナティックなこの夜は、待ってましたと死を求めている。真っ赤な視界をより紅く、染め上げて止まないのは、恐らくこの先に求めている相手が居るからだ。そう、それが求める往路は確か、
「化学工場……?」
ズン、と大きく響く爆音。聞こえない筈の悲鳴や怒号、鼻を衝く(筈のない)死の匂い。心臓を鷲掴むそれらの混合物は、細胞単位で歓喜を呼び起こしていく。
「違、う、チガう違ウチガウ……! わたしは嬉しくなンて無い、許されルにはこンな状態、じゃ……!」
「問題ないと思うわよー? 取り敢えず、色々と説明してもらいたいかな、って思うけど。少なくとも、あたしは許す」
唐突だった。今にも狂いそうになる思考の端を、掴んで離さぬ声がした。それは、長くなじみ、それは、死地の前で聞くべきではなかった声。そして、その声の主は、今まさに往路を遮っている。
「今更なによ公僕? こんなとこで油売ってていいの? あの火事の原因は多分、例のC5でしょ? 放っておけばびっくり特大殺人ショウが続くかもよ? ま、いいわ。わたしが止める。わたしが殺す。それで、お終い」
「死にに行くのね、懲りもせず飽きもせず。でも、今度は生き延びる保障ゼロよ? 分かってるんでしょう、貴女の体のことくらい。髪の色目の色肌の綻び。どれもフツウじゃないわ。毒まみれの体で更に毒を浴びて、自分がどうなるかくらいは分かるんでしょう? 仮に万全でも、相手は毒に身をやつすのよ。戦うだけで、侵される。貴女がC3のままでいられる保障なんてないの。だから」
「それでも、わたしは死にに逝く。次に会うのは瓦礫の中ね。大丈夫、わたしは狂うくらいなら誰かの為に死んで逝く」
らしくもない。死んでくれといつも言うのは誰だと言うんだ。そんな言葉を聞く為に、今の今まで過ごしたんじゃァない。だから、その言葉を遮って、覚悟の言葉を口にする。
わたしという人間が如何に愚かで救いがたく、小嶋陽菜と違う場所にいるのか教えておかないと、お互いが不幸になるだけだ。
早く、往かなければならない。恐らくは、このまま放置していい相手ではないのだ。ただ、ひとつだけ。最後に伝えることがあって、聞きたいことがあって、足を止める。
「少しは、料理できるようになった? それと、わたしの部屋は大丈夫よね?」
「……っ、あたしは、まゆゆがあんなに残してったから当てつけだろうと思って頑張ってレシピ通りにやったんだけど何というかドえらいことになっちゃってもうどうしようっていうか片付けたんだけど、えーと、兎に角! あたしは貴女を通したらもう二度と会えなくなりそうで怖いから駄目! あの部屋を片付けるのも、これから朝ご飯をタカりに行くのも、まゆゆに以外考えられないんだから!」
極論だね。何にしろ、わたしの帰る場所は大惨事ってことは間違いないらしい。ああ怖い。ま、構わない。それに言いたい事は伝わってるらしい。八割強は。だからわたしはそれでいい。何のいらえもなく、わたしは死地へと赴ける。
「ほんっと色々と不器用だよね。そりゃまあ、貰い手が居ないってのも分かるかも。もうちょっとマシになればいいのに」
ため息混じりに吐き出される言葉に項垂れる彼女をすり抜け、化学工場へと歩を進める。何をか言わんとする彼女の肩を叩き、小さく一言、残していく。それだけ言えば、全て伝わる。
「でも、アンタはそれでいいよ、小嶋陽菜。残念ながら、そんなアンタをほっとけないし、ほっとかない。生きてたら、家事のひとつやふたつ教えてあげる。だから、今はそのままでいいんじゃない?」
詰まる声すらもどかしく、振り返ることも出来やしない。そんな相手を残して、歩き出す。煌々と照らす満月の光が柔らかいのは気のせいじゃない。きっと今日は、死ぬにはとてもいい日なのだ。