26日は第1回の「手紙の魅力」講座の日。私が理事長をおおせつかって、昨年発足した「日本手紙文化総合研究所」の催しである。四谷のスクワ―ル麹町で開かれた。
興味深かったのは、秀吉の巧みな手紙術の話。主任研究員清水眞澄さんが講義した「戦国武将の手紙に見る人間像―豊臣秀吉」だ。清水さんは青山学院女子短大などで教鞭をとっている方。いやあ、なかなか面白かった。知らなかったのは、秀吉が大変な手紙魔だったということ。生涯に一万通も書いているというのだ。そのうち、約7000通が現存しているという。
漱石が手紙魔だったことは知られている。一日に24通(多分ハガキで)も書いたという記録があるというが、清水さんによれば、漱石に匹敵する手紙魔が秀吉だったらしい。戦国時代と明治時代とでは通信事情が違うから、それだけ秀吉は、手紙に情熱をかけ、人の心を動かそうと努力していたということだろうか。
「毛利攻め」の総大将だった秀吉は、信長に対し、目に浮かぶような戦況報告を手紙で何度もして、信長を大いに満足させたというのは比較的知られた話だ。しかし、五人の妻たちへの手紙が面白い。最近の研究では、「おね」以外の4人の女性たち、淀君(茶々)も、京極マリアの娘の京極龍子も、信長の娘「三の丸殿」も、前田利家の娘の「加賀殿」も、それぞれ秀吉から正統な妻としての扱いを受け、役割を分担していたのではないかと考えられ、五人の妻と言った方がいいらしいのだが、その妻たちに対し、まあ、戦に明け暮れるあの忙しさのなか、実にまめまめしく、あけっぴろげに、こんなことまで言っていいのかと思われるような手紙も書き送っている。
おねに出した手紙の中には、淀君との間にやっとできた愛児「鶴丸」への手放しの可愛がりようが書かれており、子供を産めなかったおねの嫉妬を買うのは明らかだと思われるけど、また別のところでは、おねに対する実に細やかな気遣いを感じさせる記述もあって、近親者には自分の感情を正直に吐露している秀吉のきわめて人間臭い一面が分かるのだ。五人の妻といっても、やはり、糟糠の妻でもあるおねには、格別気を遣っていて、秀吉が天下人になった後も、おねには頭が上がらなかったのは確かなようだ。
それにしても、手紙によって、プライドの高い五人の妻たち(おねも含め、全員が大名の娘のはず)の心を操るとは・・・・・。なかなかできない芸当だ。メールも携帯もある今の時代、我ら、一人の妻だって、ろくに操れないというのに・・・・・・。
当然、その都度、妻たちからの返信もあったはずだが、なぜか女たちからの手紙は現存するものが少ないという。
こういう秀吉の手紙の書きっぷりを見ただけで、秀吉の人間像が浮かび上がってくる。たぐいまれなコミュニケーション能力をもった男だということが分かるのだ。つくずく、「手紙」は日本の文化的伝統の中でも、大切な伝統なのだと思う。