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 最近の訃報の中で、渡辺淳一さんの死は最もショックだった。さして親しくお付き合いしたわけではないけれど、何かとご縁があり、人物に興味を持ち続けていつもその動静が気になっていた作家だった。
 初めてお会いしたのは、10年ほど前である。世評とは違って、シャイで、まっ正直な人だと思った。新潮社時代の先輩が親しくしていたこともあって、その時以来、毎年年賀状をいただくようになった。
 初めて作品を読んだのは、角川の「野性時代」に連載した『遠き落日』である。40年近い昔のことだ。私の縁者がその資料調べを角川で手伝っていた。偉人ではない野口英世の実像を知って面白いと思い、猪苗代の野口の生家を見に行ったことがあった。渡辺さんは、野口がアメリカから15年ぶりに帰国した時、メリー夫人を同伴しなかった理由にこだわった。渡辺さんは、野口が貧しい自分の生家をアメリカ人の妻に見せたくなかったからだといった。特に厠(かわや)を見せたくなかったのだと・・・・。実際にその生家を見て、渡辺さんの言っていることに納得した。
 男女の愛と性を描くようになってからも、渡辺さんが描こうとしている主題に興味を感じた。その主題は、多くの読者がもつ興味とは違って、とても文学的だと思った。吉行淳之介さんにも共通する主題だ。性という切り口から人間の本質に迫ろうとする渡辺さんの姿勢は、真剣そのものだった。
 以前に渡辺さんに書いてもらいたいテーマがあり、企画を練っているうちに、先生がどこからかの依頼なのか、先に書き始めてしまわれたので断念したことがあった。最後のひとつ前の小説、『愛ふたたび』についても、いろいろなことがあった。沖縄のあるマスコミ関係者から聞いたのだが、沖縄で連載中の新聞社が、その性描写の赤裸々さゆえに、連載中止を要請するという話になった。その後、次々と各地方紙から中止要請が配信元の共同通信によせられたという。渡辺さんが怒っているという話を伝え聞いた。連載小説を、依頼した側から断るということは異例のことで、失礼なことだ。渡辺さんの晩年の作風、傾向が地方新聞の性質にそぐわないと思えば、初めから依頼しないのが編集者の常識である。
 連載中止の話を聞き、渡辺さんがその小説を本にする時には引き受けてもいいと思った。東京の夕刊紙はまだ連載を続けていた。そのうち、幻冬舎の見城氏が、渡辺さんに話して、書籍化を決めてしまったと知った。また先を越されたと思ったが、考えれば、『遠き落日』は見城氏の角川時代の仕事だ。彼と渡辺さんの長い長い付き合いを思えば、諦めるよりほかない。
 最近、中国で渡辺さんの評価がとても高い。何年か前、上海の一番大きな書店で、渡辺さんの新刊本サイン会のポスターを見た。渡辺さんにそのことを伝えたら、嬉しそうにして、「中国人は一面においてとても大人で、そこが評価できる」といっていた。渡辺さんの真意はわかった。渡辺さんは最近の日本人の幼さを嫌っていた。日本の社会がどんどん幼稚化している、という点で私もまったく同感なのだ。
 まだ、早すぎますよ、渡辺さん!・・・・・ 残念としかいいようがない。