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  日本のメディアはいま、「イスラム国」による日本人人質事件にかかりきりで、その直前にあった「シャルリ・エブド」襲撃事件のその後の報道がすっかり消えてしまった。
 この人質事件は安倍首相の中東訪問が引き金になったが、そもそもなぜこの時期に中東へ出かけるのか、疑問視する声が外務省の中にもあった。それよりもっと問題であるのは、昨年10月末から拘束されていた後藤健二氏の数十億円といわれる身代金をめぐる遣り取りが、すでにイスラム国側と後藤氏の家族や外務省との間で昨年から行われていたことを首相が知りながら出かけていったことである。わざわざそういう時期に出かけていって彼らを刺激すれば、イスラム国がどんな行動に出るか分かりそうなものだ。日本人の中東音痴はよく知られたことだが、首相の外交音痴にもほとほとあきれる。出かけてゆくべきだったのは、、むしろパリでの反テロデモのほうであったのではないか?
 あのデモのとき、日本政府はパリ駐在の大使を参加させているが、まったく外国のメディアには無視されてしまった。40数カ国の首脳が参加した中に、日本の首相が参加していたらどうだったろう、と考えたのは、多分私だけではないと思う。
 それはともかく、「シャルり・エブド」編集長たちの記者会見の発言に大いに考えさせられた。自分たちがしたことは正しかった、ということを伝えたくて、特別号の表紙を再びムハンマドの風刺画にしたという。彼らはカトリックもからかう連中だから、キリスト教信者ではないと思うが、私たち日本人からみれば、どこまでいってもキリスト教的一神教の精神構造から抜け出ることができない人たちに見える。
 アッラーの神を信奉するやはり一神教のイスラム原理主義者も「自分たちは正しい」といい続ける人たちだから、争いは永遠に終わらない。
 実は、ヨーロッパ人の精神的根底には多神教の精神があるのではないか、と思っている。いまのヨーロッパ人の多様性や個人主義を見ているとそう感じるし、そもそもヨーロッパ文化を作り上げてきた根っこのところにギリシャの多神教文化がある。
 ローマの時代も、かなり長きにわたって多神教世界だったように思う。そのことを物語る話がある。暴君ネロの側近で、「サチュリコン」という有名な小説を書いたペトロニウスを、聖ペテロが折伏に出かけたときの話である。散々、ペテロがキリストの教えを説いた後、ペトロニウスがいったという。「君のいうことは正しいかもしれない。しかし、私は自分で毒杯をあおって死ぬこともできる。私のことはほっといてくれないか」。イタリアがカトリック万能になる時代はずっとあとのことだし、ルネッサンス時代には再びギリシャ文化が復活する。
 それでも、「自分は正しい」とどうしても言いたくなるヨーロッパ人の精神構造の中に、悪しきキリスト教的一神教の影響を感じないわけにいかない。パリのテロの引き金になったことが分かっているのだから、日本人ならば、「お騒がせして申し訳ありません」と謝ってしまうだろう。これだと喧嘩にならないから、知恵があるといえば知恵がある。シャルリ・エブドの編集者は風刺画
の礼賛者なのだから、ユーモアの精神に富んでいいるはずなのになあ・・・・・・。