『源氏物語』現代語訳は、寂聴さんが作家人生の大きな目標にしていたものだ。先生から直接伺ったことがあるが、先生にとって円地文子さんは特別な存在である。円地さんは古典の教養をもち、しかし一方で、色気のある素晴らしい文章の書ける女流作家の最高峰にあったような方だ。寂聴さんにとって円地さんは憧れの人であり、どういう経緯からか二人は同じマンションに住んでいた時代もあって、とても親しかった。円地さんには『源氏物語』現代語訳という立派な業績があった。戦前の「与謝野源氏」の後、中央公論社版「谷崎源氏」につづいて、新潮社からでた「円地源氏」は読みやすく評判をとっていた。寂聴さんはいつか自分も源氏の現代語訳をやってみたいとずっと思っていたに違いない。先生の気持ちを知った講談社がもちかけ、大仕事が始まった。
講談社の動きは知っていたが、私は知らないフリをして、先生に『源氏物語』全54帖を音声化する企画を持ち込んだ。朗読の第一人者、幸田弘子さんの原文朗読と寂聴さんの解説を抱き合わせてCD(当初はカセットテープ)にする企画だ。先生はちょうど源氏を読み込んでいたときだったから、二つ返事で引き受けてくれた。録音・編集の専門家を毎回連れて、寂庵に足かけ5年ほど通っただろうか。私も必死で「源氏」を読んだ。先生は仕事には厳しい人で、こちらが少しでも手を抜くと、「あなた勉強してなでしょ!」と矢が飛んでくる。先生はやさしい人だが、ときどき怖い人である。 先生にとっての「源氏」は円地さんが先を走っていたからではないか・・・・と私は思っている。
不死身ともいえそうな「生きるエネルギー」を寂聴さんからは感じるが、ここまで先生を生かしてきた力はいったい何なのだろう。一つは、作家として円地文子さんという高い目標があり、いつか、円地さんのような素晴らしい小説を書いて死にたい、そう思っているのではないか? もう一つは反骨の根性である。 「うらみ」にも似た強い情念をもって生きて来た人だと感じることがある。
先生は誤解されることの多い人だ。ほんとうは、きっぷうがよく、男勝りの思い切りの良さがあり、それが、男たちに嫌われたり、誤解される理由になってきたように思える。 デビュー後間もない頃に書いた『花芯』で、評論家の平野謙氏から「子宮作家」とよばれた。「ポルノ小説」呼ばわりする批評もでた。おかげで、先生は5年近く文芸誌から締め出しを食らってしまう。新人作家にとってはとても大きなダメージだった。その時、先生に味方してくれたのが、円地文子さんと吉行淳之介さんだった。
『花芯』はポルノ小説といわれるような作品ではない。女主人公の中にある娼婦性をまっとうに書こうとした秀作である。まだ封建的体質を残すいまから60年も前の日本で、しかも女流作家が書いたのだから、その衝撃はどれほど大きかったろうか。男には決して書けない小説である。その頃の男たちの嫉妬や反発を買ったのだと思う。 若い頃の先生には、誤解の種を自らまいて歩いているような生き方があった。誤解されるからますます強くなる反骨の根性。
反骨は最近の「反戦」「反安保法制」発言にもよく表れている。「93年も生きてきて、こんな不確かな国の状態を見つめながら生涯を閉じるかと思うと情けなくて、まだ死ねないと烈々と闘志がわいてくる」(朝日新聞「残された日々」より)。いやーあ、すごい!さすが先生、まだまだ大丈夫ですね・・・・
あ、それから、最後に一つ。先生の生きる力になっているものがあった。先生は、いつも恋をしてきた。「そういうこと」が出来なくなってからも、いつも好きな人、「心の恋人」がいる。むかしの何人かは私も知っているが、言わないでおこう。いまもいる、と先日のテレビで言っていた。93歳になっても先生は「女」であり続けているのだ。ほんとにすごい!
