北斎ブームでも沈まぬ広重 | 編集長ブログ

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広重の墓

 

 去年の夏、大英博物館で開かれた北斎展 Hokusai beyond the Great Waveは連日の大入りで、15万人の来場者があったと大きな話題になった。

 その後、ローマでの北斎展も大変な人気を博したというし、最近でいえば、4年前、パリのグラン・パレでの北斎展は35万人もの人を集めたという。遅ればせながら日本で昨年あった「北斎とジャポニスム」(西洋美術館)は、私も見に行ったが、大盛況だった。

 ジャーナリズムも、北斎企画が昨年、一昨年と目白押しだった。外務省が2020年以降に発行するパスポートに、24点の北斎を使うと言っているし、来年以降も北斎展は続く。

 世界的な北斎ブームである。その陰に沈んでいるかに見える広重だが、私にとっては、ゴッホが模写した2枚の広重、「大はしあたけの夕立」と「亀戸梅屋敷」がなぜか若いころから頭にこびりついて離れない。数年来イタリア語を習っているが、イタリア人の女性の先生にこの2枚を見たことがありますかときいたら、広重は良く知っているわよと言われた。(失礼しました!)

 

大はしあたけの夕立

 

亀戸梅屋敷

 

 一昨年、知人たちが実現した「広重ビビッド展」は、原安三郎コレクションの初めての大々的な展示で、とても見ごたえがあった。

 実はこの夏はどっぷり「広重の世界」に浸っていた。浮世絵研究家で

栃木の「馬頭広重美術館」の館長もなさった市川信也さんの本「天童広重の研究」を編集しているのだ。

 一昨日も、市川さんに誘われて、竹ノ塚の東岳寺というお寺で開かれた広重忌に出かけた。「一日だけの広重展」も見ることができた。

 広重が山形の天童と縁が深いことは、浮世絵に詳しい人たちには

知られた事実である。江戸時代、天童藩が広重に約200点の肉筆浮世絵の制作を依頼した。財政逼迫が常態化していた天童藩が、藩内の資産家たちから集めた御用金への謝礼として広重の肉筆画を与えたものらしい。しかしその多くが焼失したりして、現存の「天童広重」と呼ばれるその作品はいまはとても価値がある。売れっ子の浮世絵師に200点もの肉筆を制作させたこと自体、美術史上特筆すべきことだろう。

 しかし、天童藩が一体いくらの制作費を広重に払ったのかは不明であるし、そもそも、きちんと制作費を払ったという証拠も見つかっていない・・・という謎多き「天童広重」なのだ。だから、市川さんのこのテーマは、浮世絵好きのならずとも興味深いテーマである。

 東岳寺での広重忌は毎年行われているという。当日も、天童の広重美術館から副館長の梅澤美穂さんや馬頭広重美術館の学芸員長井裕子さん、太田記念美術館の学芸員の方たちなど、浮世絵関係者が

各地から集まった。一般の広重ファンもたくさん参加していた。

北斎ブームの昨今ではあるが どっこい、広重も健在なり! である。