TBS金平茂紀氏先月28日にTBS「報道特集」の金平茂紀キャスターが朝日新聞に談話を載せていた。「メディアは政権の愛玩犬になっていないか?」という記事。最近の安倍政権によるテレビメディアへの介入に関する特集である。
金平さんは 冒頭で、忘れもしない佐藤栄作元首相の退陣会見のことをとりあげていた。1972年。たまたまテレビ中継を観ていたまだ大学生の自分にも、わからないなりに大変なことが起こっているということは分かった。会見場に入ってきた元首相はいきなり、「テレビカメラはどこかね?」と聞いた。そのあと「新聞記者の諸君とは話をしないことにしてるんだ。僕は偏向的な新聞が大嫌いなんだ」と続け、一旦退席した。再び会見場に戻ってきた元首相に、記者の代表が「われわれは総理の発言を許すことができません」といって、記者たち全員、新聞も放送も通信社もそこにいた記者たち全員が退席し、誰もいなくなった会見場で元首相は、一人テレビカメラに向かって退陣の弁を述べた。政治史上でも類を見ない出来事だったが、今思えば、メディア史上でもとても意味の大きな事件だったわけだ。
金平さんが言いたかったのは、いま同じ状況になったら、果たしてすべての記者が抗議の意思を示して退席しただろうか? ということだ。「国民の知る権利に奉仕するという共通基盤がメディア内部から崩れているように感じます」というのだ。メディアの側に毅然たる態度が無くなっていることの問題を訴えている。まさに、問題にされているテレビ界の真ん中にいる人の発言だから意味が深い。
マスメディアはニュース報道において「公平中立を旨とすべきである」とよく言われる。テレビキャスター自身もよくそういう言い方をする。しかし自分は、もし、その中立が「国民と政治権力」の間に立っての中立であるなら、それは違うと思っている。政治権力が正しく使われているかどうかを常にチェックする役割がテレビや新聞に求められてきた。その通りだが、権力を持っているのは政治の側であって、国民の側ではない。だからマスメディアの立ち位置は権力を持たない国民の側にあるべきで、たえず批判的な目で政治権力のなすことを監視するのが当然だと思っている。
今年の1月、パリのテロ事件に際して、370万人がフランス全土でデモに立ち上がった。欧州の首脳のほとんどが参集してデモする光景に、胸が熱くなった。「表現の自由」はけっして犯してはならないという信念が、いかにヨーロッパの人々の意識に強いかをまざまざと知らされた。彼らは、自分たちの手で「自由」を勝ち取ってきた国民であるから、日本人とは意識が違うのだろう。そのヨーロッパの出来事の記憶がまだ覚めやらぬのに、わが日本では政権がメディアに介入をしている。
金平さんはかつて、キャスターとして一時代を築いた筑紫哲也さんの片腕といわれたTBSのバリバリの報道マンである。TBSはその昔「報道のTBS」といわれ、筋金入りの硬派記者たちがそろっていた。私は新潮社時代、放送担当記者としてテレビ局を取材していた経験もあるからよくわかる。この人は、記者時代から鋭い質問を浴びせてインタビューの相手をたじたじにさせる硬派記者の代表格だ。いまのテレビ界に残る良識派だと思うし、まだその金平さんを大きな報道番組のキャスターに起用し続けるTBSはさすがだと思う。
われわれ出版人の立場は、テレビや新聞とは少し違う。政治信条でいえば、右も左も真ん中も、同じ会社の中で何でもござれ、というところがある。求めているものがはじめから違うのだ。
しかし、そういうわれわれ出版人の立場も、「表現の自由」が保証されていればこそのものだ。だから、表現の自由の問題が起こると、ジャーナリズムの世界に長く身を置いてきた自分としても、心穏やかではいられなくなる。
C・W ニコルがいつも私に言っている。「こんなに安全で、信仰も自由で、そして何でも書ける国なんて世界中で日本だけだ」。世界中を旅し、いくつもの国で暮らしたニコルは「表現の自由」の価値を誰よりも分かっているのだ。