法然上人の手紙から読む女性たちとの関係?? | 編集長ブログ

編集長ブログ

ブログの説明を入力します。

法然上人像

講座風景 

 「花に嵐」という言葉があるが、この春ほどその字義通りになってしまった春もない。風雨が続いて花も早々と散ってしまった。悲しい春である。
 ちなみに、「花に嵐」という言葉は、昔から日本にあった言葉ではない。わが敬愛する作家の井伏鱒二先生が、漢詩の中にある言葉から、「花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ」という詩文をつくり、それから広く知られるようになった。いいことばかりは続かない、好事魔多しということの、粋な言い方だ。

 先日、私が理事長をしている日本手紙文化総合研究所のセミナー「手紙の魅力」講座が開かれた。今回のテーマは「法然上人と女性たち」。青山学院女子短大で教鞭をとる清水眞澄先生に語っていただいた。法然上人の生きた鎌倉初期は、戦乱期であるとともに、親鸞、道元など仏教の祖師たちが華々しく登場した時代でもあり、日本史の上でも興味の尽きない時期である。
 講座の狙いは、手紙を通じて、浄土宗の開組・法然上人と女性たちのかかわりを浮き彫りにしようというものだった。取り上げられた手紙の中では、なんといっても,式子内親王に宛てた法然の手紙が面白い。式子内親王は、後白河法皇の娘に生まれながら、波乱多き当時の政治状況に巻き込まれて、あまり幸せな人生を送れなかった女性だ。身体も弱かった。しかし、彼女は「新古今」の代表的歌人として有名で、「新古今」の撰者、藤原定家と恋愛関係にあったという説もある。彼女は40歳くらいで出家している。
 法然はその内親王の信仰上の師であったようだ。死にそうになった内親王は、かねて慕っていた法然に手紙を書き、それに対する返書を法然が書いた。その手紙「正如房への返書」が残されている。
 その中身は、仏の道を説き、会いたいといっている内親王に、浄土でお会いしよう、往生をけっして疑ってはいけない、と教え諭すような内容になっているのだが、そこには、書き手の法然の肉声が聞こえてくる。「(あなたの)加減が分からず、淋しくわびしい」などという言い方の中に、内親王への思いの深さを感じとることができるのだ。そうだからこそ、二人に愛情の関係があったとする説まで生まれてくるのだろう。そこに、公文書や記録と違った手紙の本質があり、、面白さがある。手紙は書き手と受け手の関係の中でうまれ、巧まずして書き手の生きた生身の人間そのものを明らかにしてしまう。だから面白い。
 清水先生は、法然だけでなく、鎌倉仏教の祖師たちの手紙を続けて取り上げてゆく構想をお持ちのようだ。宗派の開祖というような高潔な人物の人間臭い面を手紙によって引き出していこうというアイデアが秀抜だ。